名古屋高裁が元少年3人に下した「死刑判決」は、適正であり、学校教育の教材にもすべきだ!

2005年10月15日 16時34分14秒 | 政治
元少年3被告に死刑判決 連続リンチ殺人で名古屋高裁 (朝日新聞) - goo ニュース

 大阪、愛知、岐阜の3府県で1994年に少年3人が若者4人を殺した「連続リンチ事件」で名古屋高裁が、元少年3人に死刑判決を下した。名古屋高検の杉本一重次席検事が「誠に適正、妥当な判決」とコメントしているように、まさしく「当然の判決」であり、司法の権威を高める立派な名判決として高く評価したい。
 とかく教育刑に傾き勝ちな日本の刑事裁判にしては、「応報刑主義」に則り、厳正な判決と言えよう。犯行時に未成年であったからと言って、「将来のある若者4人」の生命を奪った行為はには、それに見合う刑罰が課せられるのは、罪刑の均衡上、当たり前のことである。均衡を失した判決を下し続けていると、近代刑法の精神が根底から覆され、「仇討ち」の復活を促し、社会の安寧、秩序は保持できなくなるであろう。
 本来ならば、「公開処刑」により、国民の目に直かに見せ、恐怖させて、犯罪の惹起を抑圧するのが、刑法及び刑事政策の目的であるはずなのに、法務省が、死刑を極秘に行っているため、「死刑」を規定している刑法が、その機能を低下させているのが現実である。法務省の姑息な処刑の仕方を糾弾しなくてはならない。
 アメリカでは、「電気椅子」などによる処刑の様子を公開しているところがあると聞く。それでも凶悪犯は後を絶たないから、死刑は廃止すべきだという温情論者がいるけれど、そういう観念論者は実際に被害者の立場に陥れられてみればよい。被害者の遺族がいかに「悔しい思い」をしているかを身を持って味わうことであろう。 次に犯罪の低年齢化がもう30年も前から目立ちはじめ、今日は小学生が凶悪事件を起こす事態にまで深刻化している。このような状況を許しているのは、家庭の問題ではあるが、それ以上に学校の教師の責任も重い。さらに責任重大なのは、文部科学省である。
 道徳・倫理を徹底的に教えもせず、忍耐、堪忍する強い精神力を鍛えることを怠り、その挙げ句に、犯罪者を育成しているかに見えるのである。
 朝礼や道徳の時間、ホームルームなどを利用して、少年犯罪の実体はもとより、犯罪を犯すとどのような刑罰を課せられるかをしっかり教えるべきである。今回の死刑判決は、学校の教材として、また具体的なスタディケースとしては、最適である。子どもたちが犯罪と刑罰および処刑について学習する絶好のチャンスである。
 また、学校教育のなかに、少年院や鑑別所、刑務所などを見学する時間も設けるべきである。罪と刑について、子どものころから、実地に勉強することにより、ひいては、「犯罪惹起を抑圧する効果」が期待できるからである。そうすれば、犯罪がバーチャルな「ゲーム」ではなく、また、一度失われた「生命」にはリセットは効かず、生まれ変わりはできない貴いものであることを実感できるに違いない。
 東京・神田の明治大学に「刑事博物館」があるが、江戸時代に使われた処刑器具を陳列している。それらに混じってヨーロッパで使われた器具もある。これにを見るだけでも、犯罪に対する抑圧効果は、抜群であり、首都圏の学校から見学に訪れるとよい。地方の学校は、修学旅行のコースに最高裁判所の見学に含めて、この刑事博物館を加えると多大な教育の効果を得られるはずである。
 司法制度の改革により、「裁判員制度」が導入されるに当り、いつ何時、「裁判員」に指名されても大丈夫なように、小学校のときから心の準備をしておくことは、無駄ではない。この意味で、文部科学省と司法の連携も不可欠である。
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