Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか?」 P6

2005年06月29日 07時43分31秒 | Weblog

続き、5.

 前回は、「アルハンブラ宮殿」の由来のおさらいをしましたが、今日はその
宮殿の区分についてもちょっと触れて見たいと思います。

 わたしの手元にある、EEC情報『ヨーロッパ‐‐旅のお金の使い方』には、
次のように四つの区分がしてあった:

    1. アルカーサル(14世紀に建てられたムデハル調の城)
    2. カルロス5世宮殿
    3. アルカサバ「赤い城」
    4. ヘネラリーフェ庭園

と、なっているが、私は勝手に、

    1. アルカサバ(赤い城)
    2. ヘネラリーフェ(庭園、夏の離宮)
    3. 王宮
                           
というふうに、三つの区分に分けてみた(他にもそのように分けてある記事もあるにはあるが…)。

 と、いう訳で、今日はその「区分1」のアルカサバ(赤い城)の写真を載せました。               
今日はここまで…。

 写真は、アルハンブラ宮殿敷地内にある、アルカサバ(城塞)から撮影した周辺の丘陵地風景である。
 
 この城塞の色が赤いので、このアルハンブラ宮殿の名称が赤い城(アルカサバ)と名づけられた理由が良く分かった。

 また、このアルカサバ(城塞)からサクラモンテの丘が見えるが、この丘にはグラナダに定着したジプシーが穴居生活をしていて、今でも家族ぐるみでフラメンコショーも見せてくれる、という。
先に、写真をクリックしていただくと、大写しになると申しましたが、クリックして大きくしてご覧ください。
 良く見ると山腹に白い住宅の建物としか写っていないが、その後ろが洞窟になっているらしく、その数500~600もあるそうだ。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか?」  P 5

2005年06月28日 12時10分53秒 | Weblog
 続き、4.

 私たちが宿泊した宿は丘陵地に建っていた。従って、宮殿へはなだらかな坂を下りた所が東側にある駐車場になっており、裏門から直ぐ宮殿へ入れた。

 いよいよ待望の「アルハンブラ宮殿」へ足を入れるのである。

 さて、ここで、宮殿の由来をおさらいしてみたいので、インターネットで調べてみた、それによれば次のとおりである:

 「紀元711年にイベリア半島に進出したイスラム勢力は瞬く間に半島を制圧し、西ヨーロッパよりもはるかに高いレベルのイスラム文化が花咲いたようである。しかし、キリスト教勢力がこれを徐々に押し戻し、紀元1492年にはついにイスラム最後の砦であるグラナダが陥落し、イベリア半島は再びキリスト教勢力のものとなった、ようである。

 ところで、このアルハンブラ宮殿というのは、そのグラナダを見下ろす丘の上に築かれた城塞、宮殿、離宮から成っているのです。

 アルハンブラというのはアラビア語で『赤い城』という意味で、紀元1238年にナスル朝ララマール王が宮殿の建設に着手、以後21人の王たちの手によって増改築が重ねられていった」、と書いてある(砦自体は9世紀に建設、だとか…)。

 そこで、また元に戻るが、グラナダ陥落後、街のモスクは破壊されカテドラル(大聖堂)が建設された。しかし、このアルハンブル宮殿だけが幸いにして完全に破壊されることはなく、現在でもその優美な姿を見せている、というしだいである。

                     今日はここまで…。

 写真は、混雑している「アルハンブラ宮殿」内の風景。
背景に見える城塞(赤い城)が、よく使われている「アルカサバ」である。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか?」  P 4

2005年06月27日 10時19分58秒 | Weblog

 続き、3.

 いよいよアトーチャ駅を出発してスペイン南端にあるグラナダへ向かう。
 
 グラナダへ着いた私たち二人はもう大分日が沈みかけていた。

 早速、珍しい夕陽の一こまを撮影した。と、いうのはこの夕陽はとても私には強烈な印象を受けたからだ。

 さて、グラナダへは到着したが、目的地の「アルハンブラの宮殿」へ行く方法が分からずタクシーをつかまえた。

 曲がりくねった鬱蒼とした暗い山道を長時間走る。2時間近くも走った感じがしたが実際にはもっと短かったかも知れない。

 宿は目的地アルハンブラ宮殿から歩いて数分位のところに取れた。

 明日の見学には至近距離にあったので安心した。もう外は真っ暗だ。

                  今日はここまで…。

 写真は、スペイン・グラナダでの異様な夕陽の記録である。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか?」  P 3

2005年06月26日 00時00分15秒 | Weblog
「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか?」

 続き、2.

 私は、最初にこの旅行はオプショナル・ツアーで何処へ行くのか分からないと申しましたが、高い旅行費用を使う訳ですから、当然目的意識は持って出かけました。

 スペイン旅行は2度目だし、1回目に失敗して行けなかった「闘牛ショー」を見たかったからである。

 むしろ、1回目の方がブラッと出掛けたようだったと反省しているのです。

 マドリードへ行けば闘牛ショーは毎日見られるものと早合点していたのが間違いだったのである。
 
 闘牛ショーは土曜日と日曜日の午後開催されていた。

 やはり、事前にツアー会社で良く聞いてから計画を立てるべきだったと思う。

 スペイン行きを希望した第2の目的は、グラナダにある「アルハンブラ宮殿」
の見学だった。
                  今日はこれまで…。

 写真は、マドリード・アトーチャ駅そばで撮った写真である。後方、遠景に見える白い建物が見えるでしょうか? それは、ヨーロッパ随一の規模を誇るマドリード王宮である。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか?」 P2

2005年06月25日 07時16分02秒 | Weblog
「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか?」

 続き、1.

 写真をみると、これはスペインのマドリードのようです。撮影年月日を見たら、1997年8月4日とあった。大分古く今から8年近くも前に遡る訳だ。
 マドリードへはこれで2回目の訪問です。最初の訪問時期は、1992年で丁度オリンピック開催直前の、バルセロナ開催地を訪問した時だ。バルセロナは6月中旬だというのにまだ突貫工事が進められていてびっくりした記憶がある。
 オリンピックと言えば、その4年後に開催されたアメリカのアトランタへも訪問したが、その時はイベント会場の爆発事件があった。家内と私の二人がその会場を離れた1時間後の事件でビックリしたことがある。

 写真は、標示板が示す通り、マドリード中心街で宿泊したホテル前の風景だ。
今日からは、写真をクリックして頂くと、結構大きく見られると思いますので試して見てください。

                     今日はこれまで…。

「愛・地球博」を見て参りました! P16

2005年06月23日 07時23分09秒 | Weblog

平成17年6月6日(月)-続き15

 今日は、私の「愛・地球博」ブログ最終回です。

 あとがき:
                                  
 「愛・地球博」一泊二日に亘るバスツアーに参加できたことは、ほんとに素晴らしいことでした。ここに東京都7市連合会の役員の方々、ツアーバス運行会社のセン・トラベルの皆様、大変楽しいツアーを経験させて頂きありがとうございました。

 また、このブログを通じて「コメントやトラックバック」という生きたコミュニケーションが出来たこと、それに少しでも頭のリフレッシュができたことを嬉しく思っています。
 また、私が話題に取り上げなかった、森の精「モリゾー」と「キッコロ」が、愛・地球博の公式キャラクターであることを取り上げていただいた、最後の投稿者Kittyさんでしょうか?トラックバックどうも有難うございました。

 最後に、このツアーに参加できた陰の功労者Kさんに厚く、厚くお礼申し上げます。

 また、このツアー日記を閉じるにあたって、小金井市地元の一人として要望と共に悲願があります。

 それは、宮崎駿監督のアニメーション映画「となりのトトロ」の主人公が住む一軒家で、愛・地球博で大人気の「サツキとメイの家」を当地(小金井市には東京都立小金井公園とか都立武蔵野公園などの有力な候補地があります。)に是非誘致したいのです。この誘致については、既に市民団体「小金井にプレイパークを作る会」などが動いていますが、その実現を祈願するものです。子供たちも「小金井をジブリの街にして」とか「トトロの家をよんでください」などと熱いメッセージが小金井市長のもとにに寄せられているのである。

どうも、未熟な「愛・地球博」のブログを長い間、最後までご覧いただいた皆様、どうも有難うございました。
    
 写真は、ツアー初日の夜、浜名湖のロイヤルホテルの和室大宴会場で最後の余興を勤めたハーモニカ演奏を楽しんでいる風景である。

                                  おわり。

「愛・地球博」を見て参りました! P15

2005年06月22日 08時48分30秒 | Weblog
 
平成17年6月6日(月)-続き14

 前回の続きです
                                  
  さて、会場西口の大駐車場に着いた私たちは、例のカップルが到着するのを待って、午後3時15分「愛・地球博会場」を出発する。

 途中、車中でガイドが「休憩は牧の原インターで7~8分のトイレ休憩しますが、宜しいでしょうか?」と発声途端、多くの参加者は「お土産物も買いたいし、もっと休憩時間を延長してくれ」という要望が出され、5時5分出発予定のところを10分延長して5時15分とした。休憩時間中に土産物を探したが、地方名産の土産は殆ど無く落胆した。なんとか笹かまぼこと静岡名産のわさび漬けを買った。

 バスは5時15分ピッタリに出発。スケジュールが遅れた訳ではなかろうがバスは出来るだけ追い越し車線を利用して疾走しているのが分かった。

 富士川を通過する時、富士市の掲示が目についたのは午後6時だった。

 車窓から時々雲に覆われた富士山が見え出す。なんとか夕日の沈む前に写真に収めようと懸命になって撮ってみたが、高速道路の防音壁や金網に遮られてうまく撮れなかったが、今日の写真に貼り付けました。

 間もなく沼津市。6時40分には大井松田を通過する。

 もう帰りの目的地まで休憩は無いと思っていたら、海老名インターでも20分も休憩が取られた。

 午後7時21分、海老名インターを出発する。

 このインターで、数人弁当を購入した人もいて車中で思い思いに食べていた。

 最初の最終下車連は稲城グループで、稲城市庁舎に着いたのは午後8時5分。ガイドの話によると、予定通りの時刻だという。

 ここまでのバスの走行距離は800kmと知らされる。
 
 かなりの距離を旅行したことになる。

 さて、感心したことが一つあった。実は、この旅行中初日に静岡の袋井市、「可睡ゆりの園」でゆりの鉢を買い求めた参加者のために私たちのガイドがバスのトランクに置いてあったゆりの鉢に毎日怠らず潅水していたことを知って職業柄とは言え感動した。

 私たち小金井市参加者を乗せて最終地小金井市公会堂へ着いたのは午後8時40分だった。

 ここで、二日に亘って運転して下さったドライバーとバスガイドに礼を述べ、リーダー、参会者に御挨拶をして解散する。
                   今日はここまで……。

 写真は、夕日が沈む直前の富士山を高速道路を走る車窓からですが、なんとかその面影がご覧になれるでしょうか?

「愛・地球博」を見て参りました! P14

2005年06月21日 07時43分28秒 | Weblog

平成17年6月6日(月)-続き13

 前回の続きです

 スピードも程良く数分も経たないうちにヨーロッパ館から目的地、西ゲート駅へ着く。下車すると、早速見つけたのは長い列だった。なんだろうと思ったらトイレ待ちの行列だった。聞けば女性トイレは1時間近くかかるし、男性トイレも20分以上かかる、と言う。でも、食事前に用足しをして置こうと思って並んで見たら男性トイレの方は10分少々で利用できた。

 どうも、先に述べたVIP(皇太子殿下、小泉首相)来訪の影響らしい。

 さて、ようやくすっきりしたところでいよいよランチを取ろうとした。トイレのすぐ側に簡易食堂の店がずらりと並んでいた。
 
 見ると、多くの人が店の前のベンチに座って食事を楽しんでいたが、満杯で空席が無かった。3人で手分けしてようやく3人の席を確保した後、私と家内がオーダーしたのは名古屋名物の味噌カツだ。Kさんは、カレーライスをオーダー。いずれも飲み物付で¥1,000だった。名古屋の商人は中々商売上手だと思った。

 名古屋名物とあって、味噌カツは肉も柔らかく美味しかった。後片付けは家内に任せたがセルフサービスで同じ店へ返すのかと思えばかなり遠方の何軒も先の店のコーナーにあったようだった。

 やっと、腹ごしらえが出来て食堂街前の広場へ出た。そこが集合場所だったのである。時計をみると丁度2時10分過ぎだった。まだ、グループの人もチラホラだ。そのうち、段々集結して、結局、ある御婦人が例のトイレの列が長いので待ちきれず他の近くのトイレへ変えたという。2時半を回るのに中々帰ってこないので、待ちきれず、今度は御主人が迎えに行くハップニングも起こり、止む無くそのカップルを後にして、今朝駐車したバスの停留場へと向かう。

 途中気がついたのだが会場内は団体の小学生が優先されていて、帰りの一般客はエスカレーターの利用が禁止され、係員がその誘導にあたっていた。老人には疲れているのに少し酷ではないかと思ったりもしたが、やはり仕方が無いのかな? ただし、車椅子の人は当然だが、最優先の配慮が良く行き渡っていたようである。

 こうして、「愛・地球博会場にはスケジュール通り、5時間の滞在」を無事終了する。

 ところで、私が最も見たかったパビリォンは三つあった。第1は勿論「マンモスの展示館」、第2が遊びと参加ゾーンにある「ロボット・ステーション」、第3が瀬戸会場にある「サツキとメイの家」であった。

 でも、まあ、希望の一つが叶えられたので無理なことは申すまい。

 大阪万博の時でさえ、2回も行ってジェットコースターだかなんだか忘れてしまったが乗物に乗る機会があったのにパビリオン全部が見られた訳では無い。

 やはり、この愛知万博会場はいくらスケールが縮小されたと言っても満足するには3回位は行く必要があろうな、と思いながら会場を後にした。

                   今日はここまで…。

 写真は、ギネスブックにも認められたという高さ47mの巨大万華鏡のパビリオンとして知られ、また同時に会場のランドマークとしても利用された「名古屋市パビリオン大地の塔」を背景にして最後の記念写真。

「愛・地球博」を見て参りました! P13

2005年06月20日 12時46分11秒 | Weblog
平成17年6月6日(月)-続き12

 前回の続きです

 やっとの思いで、グローバル・トラムに乗って見たが、揺れは全然無く乗り心地は実に良かった。スピードも程良く設定されていた。
 途中、この「愛・地球博」会場の外周を眺めて見た。周りは小高い丘陵があちこちに見えた。また、今朝見学した「マンモスラボ」棟のそばにはこいの池もあり、自然の地形をふんだんに利用した会場であることが良く頷ける。

 ところが、このように立派に海外120カ国が参加する会場も、その経緯を調べてみると、開催までには、長い年月と幾多の困難な問題を抱えながらの背景があったことを知る。

 いろいろ調べてみて私がもっとも注目したのは、この万博が「自然との共生」「自然の叡智」という崇高なテーマを掲げながらも、山を破壊して都市化する計画が推し進められた中で、愛知万博、瀬戸会場内に生息する希少種の「ホトケドジョウ」の移植問題、むささび(リス科)やオオタカ保護問題で当初の150haから1.5haに会場縮小(2002年に基本設計)などがあったことである。

 21世紀の万博建設のように大きなプロジェクトを実現させるためには並々ならぬ、計り知れない諸問題が背景にあったことをこのブログでの発信を通して痛感した次第です。

                  今日はここまで…。
 
 写真は、先に紹介済みの「会場の一こま」写真でも遠景を見れば会場の自然環境がお分かりかと思いますが、今日の写真は、もっと良く分かる会場の外側に見えた自然環境を載せました。

「愛・地球博」を見て参りました! P12

2005年06月19日 17時36分19秒 | Weblog
平成17年6月6日(月)-続き11
                             
 前回の続きです

 ヨーロッパ各国が集結しているグローバル・コモン3を中心に見学した私たちが最後に入ったパビリオンはチュニジア館だった。

チュニジアと言えば、アフリカ北部、地中海に面する共和国で、もとフランス保護領だったが、1956年に独立した国だ。

館内の見学者は、まばらだった。コンパニオンは職業柄であろうが、愛嬌を振り回して迎えてくれる。ただし、館内はPR用案内の掲示ばかりで、ヨーロッパとアフリカを示す地図が貼られ、自国の位置が何処にあるかを示したり、案内情報が貼られているだけで、特段に目を見張らせるものは無かったような気がしている。

それよりも集合時間が気になるし、大分お腹も空いてきたのでレストランを探そうと言う事になった。

食事を取るのは集合場所の近くにしようと言うことで、ヨーロッパ館から今朝入場した長久手会場の西ゲート駅へ向かうことにする。

ところが、交通手段が問題になった。何に乗って行こうか、ということになり、最初私が提案したのは、会場の外周を走っている乗り物にしよう、言ったが、見事その予想は外れた。
その外周を走っているのは「リニモ」という乗り物で、場外とのアクセスに使用する乗り物だという。一旦場外へ出てしまえば、また新しい入場券が必要になるところだった。

兎に角、乗り物も結構いろいろ有ったが結局グローバル・トラムという約2.6kmのグローバル・ループをバッテリー駆動で走る、1編成3両の乗り物にすることにした。

今度は、その乗り物に乗ろうとしたが、そう簡単には乗れなかった。それは最初の2台が、満員で乗れなかったからだ。待ち時間にしても、とても東京、山の手線のように3分置きというわけには行かない。15~20分以上も並んで待ってようやく乗れたのである。

今日はここまで…。

  写真は、会場風景の一こまです。 今日はお天気も良く、日差しが強く日傘をさしたり、
顔を頬かむりしている女性の姿が見えるでしょうか?