Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

「愛・地球博」を見て参りました! P11

2005年06月18日 18時46分45秒 | Weblog
平成17年6月6日(月)-続き10

 前回の続きです

  そろそろお腹も空いてきたが、周りには何も食べ物を売っている店は見当たらなかった。

  次はトルコ館へ入った。全然並ばなくても自由に見学できた。

 トルコへは、昨年夏訪問していたので、なんとなく親近感があった。また、トルコは、多くの国民が好日家である。

 それは、トルコという国は、アジア側とヨーロッパ側があって、過去の歴史をみると、外国と絶えず戦争が行われ疲弊の蓄積が溜まっていた頃、日本という小国の海軍が日本海海戦に於いて大国ロシア海軍に戦勝したという事実にたいへん感銘を受け、尊敬の念を持っていること、また第2次世界大戦後は、日本の企業も進出していて技術、経済援助もされているからだと思う。

 因みにトルコのヨーロッパ側とアジア側にまたがるボスポラス海峡に架かる大橋が2本あるが、1本は日本の石川島播磨重工業が建設したものでトルコ国民には日本人と言えば馴染みが深い訳である。

 余談はその位にして、トルコ館内には陶器類が一杯並んでいてコンパニオンは、PRよりも販売中心のようだった。
                   今日はここまで…。

 写真は、トルコ館内の陶器類販売風景です。

 ところで、コンパニオンの背後につるしてあるトルコ絨毯風の絵模様がついた掛け物《正しくは、「スザニ」と呼ばれる。ソファーやベッドカバー、インテリア用に使う人もいるようだが…。》が見えるでしょうか?

 今日は、この絵模様について、少し説明させてください。

※ このような、絵模様はトルコ絨毯の絵模様には必ずついている筈です。これらの絵模様はトルコの風俗習慣とも関係があり、トルコ絨毯の歴史から頷けるのです。

 トルコでは、女の子が生まれると、結婚までに嫁入り道具として必要なキリムを準備します。キリムについては長くなるので、今回は省略させて貰いますが、色や模様は身近にある自然や動物の他に、代々受け継がれた伝統的なもの、織り手の女性の感情、信仰や祈り等を表現したものがある、と言われています。

 私が言いたいのは、その絵模様の中に鳥の絵が見つかったでしょうか?写真をクリックすれば少しは大きくなって、見えると思うのですが…。

 この鳥の絵柄が好んで用いられるのは「鳥のような模様が見えたら、それは鳥が幸運を運んでくることを示している」と言われているからなのです。

 今日、何故こんなに絵模様についてこだわるのかと言えば、私がトルコへ訪問した時、国営のトルコ絨毯工場で結構高い買い物をして、帰って来たからです。 
                                                                                                                                以上。

「愛・地球博」を見て参りました! P10

2005年06月17日 21時30分34秒 | Weblog

平成17年6月6日(月)-続き9

 前回の続きです

 冷凍マンモス展示棟「マンモスラボ」を出て、まだ興奮冷めやらぬ中で、さて今度はどこを見学しようかということになった。二人と知人Kさんの3人が一緒に行動していたが、結局ヨーロッパ関係を見ることにした。

 因みに、愛・地球博会場の外国パビリオンは地形に合わせて6つのエリアに分かれていた。
 そのエリアのことをグローバル・コモンと呼んでいる。
 
 ヨーロッパ各国が集結しているのはグローバル・コモン3と4で、3にはドイツやイタリア、スペインなどを始め、チュニジアなどの北アフリカから東欧までバラエティ豊かなゾーン、4には、イギリスやロシアを筆頭にヨーロッパ21カ国が参加し、その上、イベントのメイン会場もあるグローバル・コモン最大のエリアになっていた。

 そういう訳で、私たち3人のグループは、グローバル・コモン3の方へ歩いて行った。先ず最初に入ったパビリオンはフランス館だった。

 入るまでには、約20分位列を作って並んだ。すると、館の外壁に2,3箇所に張り紙がしてあった。それによると、「13:20~14:20は、都合により閉館します。」とあった。時計を見たら、13:00前だったので辛うじて入館できた。

 今朝から騒がれていた「今日、皇太子殿下と小泉首相の万博会場訪問」のためだ。

 さて、入り口には美しいコンパニオンがいて、連れのKさんとその美人を入れて記念の写真を撮った。中へ入ると広いホールのような感じだった。展示物は殆ど無く、館内のホールでは3Dグラフィクスを多用した映画が反復上映されていた。現代の世界各地で生きている人間の実態を映し出しエコロジーの必要性をPRした内容だった。
                     今日はここまで…。

写真は、仏人のコンパニオンとのツーショットのKさん。

 注)愛・地球博の詳細をお知りになりたい方は、以下のURLアドレスをクリックして見てください。
http://www.expo2005.or.jp/jp/index.html(愛・地球博ホームページ)

「愛・地球博」を見て参りました! P9

2005年06月17日 00時11分39秒 | Weblog
平成17年6月6日(月)-続き8

 前回の続きです

 この万博会場の駐車場は、長久手会場西ターミナル内駐車場と瀬戸会場ターミナル内駐車場と二つあって、私たちの駐車場は勿論大きい方の長久手会場西ターミナル駐車場である。
 
 下車すると、ガイドについて歩く。開門は午前9時に始まっており、団体客は続々と押し寄せている。その中にあって、私たちのバスガイドは黄色地に3号車の数字の3と黒字で書かれた旗を手にして、私たちは、その後をついてゲートへ向かうのである。

 駐車場からかなりの時間、大体15分位歩いたであろうか。やっとのことで、ゲート近くにたどり着く。ところが、それからが大変なのである。

 あの忌まわしい2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービルに二機の旅客機が突入して以来テロ対策が世界中に敷かれるのは当然だが、空港での持物検査以上の厳しい点検に直面するのである。

 すべてのバッグ内は底まで見られるようにという指示の他に飲食物の持込が一切禁止されているのである。側には大きなドラム缶が何個も用意されていて、ペットボトル、瓶、缶類及び酒類が見つかれば容赦なくその場で検査員が投棄するのである。

 事前に私たちもガイドから聞いてはいたが弁当まで持込禁止とは厳しいと思う。
 
 この弁当持込は、開幕間もないころ小泉首相の指示(?)だったかは定かでないが、家庭で調理したものは除くことになったようだ。でも、コンビニでのおにぎりと判別するのは容易ではないと思うのだが、その時はどうなるのだろうか。遭遇しなかったので知る由も無い。
   
 バッグの検査が終わると、今度はX線による検査である。ネックレス、指輪、金具などは直ぐ引っかかるようである。ようやく、身体検査が終わって入場となる訳であるが、ここで問題が発生した。それはガイドが入場出来なくなったのである。昨日までは入場券なしに入場できていたというが、今日は駄目だというのである。

 これは私たちにとっては混乱のもとになった。というのは、帰る時の集合場所が午後2時半、会場内の日本庭園近くの掲示板前にガイドが黄色い旗を持って待っているということが発表されていたからだ。あわてたのも無理は無い。

 しかも、ガイドが急に何処かへ行ってしまったのである。私たちは押し寄せる客にもまれながら探すことも出来ず前進せざるを得なかった。

 人の流れについて行くと、皆同じ方向にどんどん進んで行った。途中、前方を良く見たら案内表示板が目にはいり、「マンモスラボはこちら」とあった。

 誰しもがこの人気施設「冷凍マンモス展示棟」へ行きたかったのである。私も昨夜から見たいと思っていた展示棟だ。
 
 間もなく2,3人の係員が「11時からのマンモス展示棟入場予約券の欲しい方はこちらで並んでください」、と声を張り上げているのが聞こえてきた。

 見ると先頭に「11時から入場の予約券」と書かれたプラカードを持った係員の前には長蛇の列があった。まだ時間は10時前だったが、急いでその後ろに並ぶ。汗ばむような陽気になってきた。幸い、並んだのは屋根の下だったのでその分助かりはした。

 やっとの思いで、予約券を貰ったのは10時30分過ぎ。11時までまだ大分時間があったので、外でしばらく休む。休んでいると、そばでおにぎりを用意していた家族もいて美味しそうに食んでいる光景も見られた。

 11時になったので、また長い列の後ろに並んでいよいよ「約1万年前に絶滅したゾウのマンモス」が見られるという訳で、心が弾む。

 ついに、待望のマンモスが見られる時間がやってきた。入り口に入ると前と後ろに二つの動く歩道(観客導線)があって、自動的に観客を運ぶシステムになっていた。聞けばこの冷蔵棟はライトアップする照明15基のうち3基が倒れてその熱でプラスチック製の台座や屋上のウレタン防水コーティング層が焼けて火事騒ぎがあったようだ。そのため、安全優先のためライトは撤去されたらしい。
 
 火事のためか、否かは知らぬが中は真っ暗だった。まるで真っ暗いトンネルをくぐるようなあんばいだった。

 問題のマンモスは、冷凍展示室内に、頭部、左前肢および骨格などの発見物が展示され、室内はマイナス15度程度に保たれ、観客はガラス越しにその展示物を見ることが出来るのであるが、ほんとにアッという間の瞬間である。
 
 じっと落ち着いて見たかったが、歩く歩道のベルトが物凄く早く動いているように感じられ、またたく間にトンネルをくぐって出口の明るい所に追い出された感じがした。

 それでも、私の脳裏に強烈に焼きついたのは長い牙も去ることながら、左前肢だった。

 まるで紙粘土で作ったような直径が30cm位(実際にはもっと大きいかも知れないが…。)はあったように思われた。
                    今日はここまで…。

 写真は、冷凍されたマンモス・ゾウの貴重な写真だと思うのですが...? 写真をクリックすれば多少は大きくなりますが、果たしてどこまで見えるでしょうか?

「愛・地球博」を見て参りました! P8

2005年06月15日 18時24分43秒 | Weblog

平成17年6月6日(月)-続き7

 前回の続きです

 夜中の午前2時10分頃、1回トイレに行き、また一眠りしたが、結局4時15分には目が覚めた。うろうろしていて家内に促されたのが午前5時を少々回っていて、今朝の日の出時刻がたしか4:43だったから、まだ日の出から20分も経っていなかったのに日は大分昇っていた。もっと、太陽は大きく見えるものと思っていたら、案外小さかった。

 その時、この太陽のことで、思い出した記憶が蘇った。それは、私が今から10年以上も前の夏、北欧のノルウェーを訪問した時のことである。もう夜の10時を大きく回っていたので、早く寝ようと思って窓際のベッドに仰向けになって寝ようとしたが、中々寝付けなかったのだ。

 それは、白夜の現象で、北極へ近ければ当たり前のことであるが、実際に体験してみると、自然の神秘性を感ずるというより、恐怖さえ覚えたのである。
 
 物凄くデッカク、真っ赤な太陽が私の体の上にギンギラギンとデンと乗っかっているように見えたからである。北極に近い国なら、当然の現象で、逆に、もし冬に行っていたら、1日中真っ暗な世界だっただろう、と想像するのであった。

 さて、家内は朝風呂で大浴場へ行っている間に私は身支度をする。帰ってくると、6時半の朝食時間になったので2階奥の方の食堂へ行く。朝食はブッフェー形式で好きな物を取って食べられるので昨夜のディナーよりもズーと良かった。
 いつもは大食漢の私だが、今朝は珍しくお粥とヨーグルトにした。結局、お粥はお代わりしたが。最後はコーヒーでしめた。

 ホテルを出発したのは、午前7時45分。車中でガイドの話ではお天気は上々だし、気温が28度位まで上がるようだ、と今から暑さが心配される。

 車中では、10分ばかりの「愛・地球博」の簡単なビデオの説明があった。
                        
 途中、矢作川を越えて、先にある上郷サービスエーリアで10分のトイレ休憩を取り、
目的地、「愛・地球博」長久手会場の西ターミナルへ到着した。
 
 バスの時計を見たら9時33分だった。

 さあ、これから万博会場で、どんな話が始まるのであろうか?

                 今日はここまで…。

 写真は、正面遠くに見える会場内にあるワンダーホイール「展・覧・車」前風景である。

 この展覧車は、建物の内では人とクルマと地球の物語、外では会場展望、50m級観覧車に乗って2つの世界が楽しめる国際博覧会初のパビリオン、と、入り口で貰ったEXPO2005AICHI JAPANの会場案内地図に書いてあった。なんでも、人の話によると、8秒毎に展覧車が動くというから気長な話ではある。この展覧車は遠くからバスの車窓からも見えたが、全く静止している感じがしていた。

「愛・地球博」を見て参りました! P7

2005年06月14日 17時52分54秒 | Weblog
平成17年6月5日(日)-続き6

 前回の続きです

 夕食宴会場は3階一番奥の宴会場だった。戸を開けると和室の大宴会場には7市各市別の立て札がしてあった。私たちの小金井市の宴会席は入り口後方2列目だった。前方と後方部分のセクションには本物のミニ庭園まで敷物を敷いてセットされていた。

 しかし、既に開会時刻の6時半の時点で一割強も集まっていなくて、やはり日本での時間観念の軽薄さが問われる所以である。10分位待ってようやく6時40分過ぎに、今年の役回り、立川市のリーダーによる開会挨拶で宴会が始まる。明年は東久留米市へお鉢が回るようだ。

 乾杯の音頭によって飲んだ食前酒、続いて飲んだビールの一杯目の実にうまいこと。それもその筈、入湯後で喉がカラカラに渇いていたからである。

 ただ、今夜出された宴会の料理は私の好みでは無かった。というのは、ゆば入り豆乳鍋がメインだったからである。罰が当たるかも知れないが私の口には全然合わなかった。他の人達はどう思っていただろうか?

 そんなことはさて置き、なにせ、参会者142名が一同に集まっての宴会だから賑やかいことは相当なものだ。

 皆飲食に夢中になりかけた時、正面宴会ステージで参会者有志による余興が始まる。
1番バッターは、妙齢の婦人に扮した高年の御婦人3人による舞踊はとても面白かった。ステージに現れお辞儀をした時は浴衣に羽織姿だったが、音楽の曲が始まった途端、帯を解き始め、着ていた着物をスパッと咄嗟に脱ぎ捨てたのである。その瞬間は誰もが肝を抜かされたことと思う。私もつい胸がキュンとした。

 でも、変身したその姿は、黒色の網タイツに真っ赤なドレスだった。舞踊曲はたしか昔はやったピンクレディーのミー&ケイの「UFO」である。間違っていたら、御免!傑作だった。太ももを出しての熱演でヤンヤの喝采で終わった。

 続く余興は大部分カラオケ大会に終始した。御本人はみんな一生懸命で、熱唱だった。でも、歌の方は失礼だが「いまいち」の感がした。最後は、たしか小金井出身で74歳男性によるハーモニカ演奏だった。閉会はそのハーモニカ演奏で、「故郷」の歌を参加者全員で合唱した。最後の〆は、明年当番の「かつの様」の一本締めで無事宴会は終了する。

 部屋へ帰ると、このバスツアーのクライマックスである明日の「万博会場」への期待を夢見つつ就寝。
                    今日はここまで…。

 写真は、静岡のお茶工場前に駐車中の私たちの乗っているバス3号車である。

「愛・地球博」を見て参りました! P6

2005年06月13日 20時44分50秒 | Weblog

 平成17年6月5日(日)続き-5

 前回のつづきです。

 鳥取砂丘ならば海岸へたどりつくには、最低でも20分以上はかかると思うのだが、この中田島砂丘は入り口から海辺へたどり着くのに10分少々あれば十分です。しかも、鳥取砂丘の場合は沿岸に沿って延々と続いているのです。

 中田島砂丘駐車場を出発したのは、午後3時45分。

 ようやくこのあたりから疲労感が出始める。良くしたもので、次の目的地は今夜宿泊予定の「浜名湖ロイヤルホテル」だ。

 バスはホテルへ向けて疾走する。車中でガイドのアナウンスによると明日は天気も良く気温も更に上がる、という。今日でさえ歩けば汗ばんだのに明日の万博会場の見学は容易ではなかろうと予測する。
 
 そんなことを考えていたら、やがて前方浜名湖へ向かって一際高い高層ビルが一棟だけポツンと建っているのが見えて来た。実は、それが今夜宿泊する「浜名湖ロイヤルホテル」なのだ。

 ホテルへ到着すると、既にバスへ乗車の際、渡されていたホテルの部屋番号札をロビー受付へ渡して鍵(1050)を貰うと10階50号室へ入る。窓から下界を見下ろしたら西側の眼下には広い浜名湖が一望出来るように設計されていた。
 
 ただし、ホテルの所在位置のせいか、どうかは分からないが、そんなにきれいな風景には見られなかった。

 部屋は、かなり広くてツイン部屋だったので、気に入った。

 でも、私の東京郊外で体験している千葉木更津の「竜宮城スパホテル三日月」や三浦半島にある「まほろば・ホテル」の方が、ず~とスケールが大きい。なかでも私の外人客が来た時、利用する「まほろばホテル」の方が好きなんだが…。

  しばらく部屋で休んだ後、1階にある温泉大浴場へ入湯する。湯船は一つだけだった。お湯の温度はぬるめだったが疲れは癒された。20分近くしてから外側に露天風呂があったので、浸かってみたが、これもスケールは小さいものだった。
                                                                        
 入湯の後は、部屋へ戻ると浴衣に羽織を羽織って、6時半に始まる夕食宴会場へ二人と知人のKさんの3人で一緒に行く。
                   今日は、ここまで…。


 写真は、このバスツアーの3号車で今朝稲城市からの参加者14名が待っていた、稲城市庁舎の正面をバスの車窓から撮影したものである。

 雑感: 余談で恐縮だが、この稲城市庁舎は市制施行10周年にあたる昭和56年(1981年)に建てられ地階もあり、6階建の近代的ビルである。

 一方、私の住んでいる小金井市庁舎は、リース庁舎なのでその一日も早い早期解消が望まれている。

「愛・地球博」を見て参りました! P5

2005年06月12日 23時18分47秒 | Weblog


平成17年6月5日(日)続き-4

前回の続きです

 中田島砂丘へ到着し、バスから降車すると、30分間の自由見学の時間となる。駐車場からはめいめい徒歩で遠州灘の海岸へ向かう。

 この中田島砂丘と言えば日本の3大砂丘の一つとも言われているようだ。その3大砂丘とは、この中田島砂丘の他に私の故郷の鳥取砂丘、鹿児島県吹上大砂丘の三つのようだ。

 残念ながら、私はまだ吹上大砂丘へは行っていないので、比較は出来ないが少なくともこの中田島砂丘と比較すれば鳥取砂丘の広大さは見事なものだと思う。殺風景だと言えば全くその通りだが、そのありのままの自然美と砂の風紋は他に比較するものは無いだろうと思う。

 さて、中田島砂丘へ足を入れるや否やバリバリとエンジンの唸る音が空から聞こえてくる。見上げると、2機のモーター・パラグライダーが前方頭上を楽しそうに男性が操縦しながら飛んでいるのだ。

 つい、この間までは丘とか山から飛び降りていたパラグライダーだが、今は簡単な操縦操作を学べば免許資格を持たなくても誰でも気軽に飛べるモーター・パラグライダーが操縦出来るようになっているようだ。
 
 この、パラグライダーを見ていると、私が中学校の時、夏休みに鳥取砂丘でグライダーの訓練を受けていた時の思い出が頭をよぎった。当時は砂丘の丘の上にグライダーを置き、その先頭にゴムケーブルがつないであって、7~8名のクルー・メンバーが下で引っ張るのである。メンバーは一歩づつ日本海へ向けて引っ張るたびに数を増やしながらその数を叫ぶのである。

 30~50あたりを数えていたように思う。操縦者は順番に交代していた。私も経験しているのだが、操縦が終わると教官から操縦操作の批評を受ける。良く「お前はクルー・メンバーがそのゴム・ケーブルを離した瞬間操縦桿を自分の方へ引いたから今のような“芋ほり”になって急降下して突っ込んだんだ。」などと言われたものだ。
 操縦桿を握っていて、その数が10位数えられると「ギギ」という音がするのだが、顔面蒼白になったことを未だに良く覚えているのだ。

 さて、本題に戻ってこの中田島砂丘は「アカウミガメの産卵地」としても有名だ。このアカウミガメは太平洋沿岸を回遊して、5月~9月頃にかけてこの中田島砂丘に産卵する、と知らされる。

                    今日はここまで…。

 写真は、中田島砂丘入り口の掲示板でその位置を示す地図である。

「愛・地球博」を見て参りました! P4

2005年06月11日 23時50分14秒 | Weblog
平成17年6月5日(日)続き-3

前回の続きです

 バスは、次の目的地「中田島砂丘」へと向かう。

 目的地へ向かう途中、今まで有料道路であった所が、無料道路に変わっている所が
あり、日本も利用者の署名運動や先進国のプレッシャーかどうかは良く分からないが、
徐徐ではあるがようやく行政当局も重い腰を上げて来たようで、喜ばしい現象だ。

 私は東京オリンピックが開かれる直前の夏、北海道をマイカーで旅行したことがあ
るが、オリンピック景気で北海道では立派な道路であっても有料道路は無かったよう
に記憶している。

 また、途中天竜川を渡ったが、その源流は長野にあるという。やがて、中田島街道を抜
けると目的地の中田島砂丘のある遠州灘に到着した。

           今日はここまで…。

 写真は、遠州灘の中田島砂丘での記念写真です。

《お詫び》

 私のパソコンの部屋環境を変更(大工工事)するために、丸二日かかりました。

 実は、その結果、私が使用中のPCシステムが壊れてしまい、今夕までその修復に
追われひどい目にあいました。

 お蔭様で僅か1日で修復は出来ましたが、情報のバックアップを知っていながら
大部分の情報が消されてしまい、残念至極に思っているところです。

「愛・地球博」を見て参りました P3 

2005年06月09日 06時31分25秒 | Weblog
                    
 平成17年6月5日(日)続き-2

 袋井インター出口を出ると、直ぐそばに昼食場所の「袋井観光センター」があった。

 昼食会場へ案内される前に商売は始まっていた。帰りに土産用に買って貰おうといろ
いろな特産物が店内一杯に通路脇に山積されていて、試食用が各特産物の前に用意さ
れていた。
 
 私が一番気に入ったのはメロンの粕漬けだった。しょうゆ漬けもあったが、メロンの
粕漬は、断然良かった。甘くて薄味の、マイルドな味は実に美味しかった。

 その他、竹炭菓子、羊羹など静岡のお菓子はすべて気に入った。

 昼食のご飯は、散らし鮨だった。具はうなぎ、まぐろ、ホタルイカ、えび、卵など新鮮
でコリコリしていた。
 うなぎは浜名湖産で絶品だった。勿論その他に澄まし汁に漬物が出ていたのは言うまで
も無い。デザートにはメロンが出されて申し分なかった。

 この観光センターで土産物を買い、予定時刻通り午後1時出発する。

 出発直前にバスの前で、Tさん姉妹の記念写真を2枚撮る。私は、参加者の中に知って
いる人はいないと思っていたが、家内が良く行きつけの喫茶店Tさん姉妹、また家内が前
に開店早々当時1度立ち寄ったことがあるというお店のSさんご夫婦、と1台のバスに思
わぬ方々もいるんだなと知った時は驚いた。やはり、小金井市は12万足らずの人口だか
ら、すぐバレてしまうのだろう。
 
バスが発車すると直ぐに道路の両側にメロン栽培のビニール・ハウスがアチコチに見られた。

 次の目的地は袋井観光センターから10分足らずの所にある3万坪の敷地に世界
200種のゆり「可睡ゆりの園」だ。入場料が¥1,000と知り、少々高いなと思った。

 このゆり園には見学用のゆりだけでなく、園の中央部分に人工の滝もあって常時小さな
山から水しぶきを上げて流れていた。聞けばこの園は、公営ではなく、ある企業が建設
していて、この可睡の園の姉妹園として他にも長野、山梨、那須塩原にもあると言う。

 ここで、私は初めてユリの根の天ぷらを試食してみた。少々甘みもありサクサクと美味
しい味だった。天気も良く喉がかわいたのでアイスクリームを食べた。ところが、1カップ
¥300と少々高いなと思ったが、さっぱりしていて後味は良かった。

 このゆり園を出発したのは午後2時半。 次の目的地は中田島砂丘見学だ。

                                 今日はここまで…。

 写真は、可睡ゆりの園の中央部にある見事な人工の滝風景である。

「愛・地球博」へ行って参りました! P2

2005年06月08日 00時35分17秒 | Weblog
                   
 平成17年6月5日(日)続き-1

前回の続きです。

 グリンピア牧之原へ着くと、待っていたとばかりに男性ガイドが3号車参加者を2階へ
案内する。

 見学通路の2階からはガラス窓越に1階の工場風景を見下ろしながらガイドの説明を聞く。

 広い工場内は全然稼動していなかった。ガイドの説明によると、お茶の栽培は年4回
行われるのだ、という。

 第1回目が、4月初、中旬頃から5月、第2回目が梅雨時の6月下旬から7月上旬、
第3回目が暑い夏の8月、最後の第4回目が秋の10月頃だという。従って、今は一番
茶の収穫が終わって二番茶前の稼動しない状態であると言う。
 
 機械が動いていない理由がやっと分かった。簡単な工程の説明が終わると、早速1階へ
案内され、本番の商売が始まった。

 先ず、今年一番茶の深蒸し茶が振舞われた後、100%を極めたという常葉緑(ときわみどり)
を練りこんだ羊羹を頂戴して、最後はお土産にどうぞという訳である。お茶は沢山あるので、
羊羹を土産に買った。

 ここで、学んだ大事なことは一番茶だけが、無農薬だということだった。お茶好きな人は
銘記したいものだ。お茶を買う時は一番茶だけを買うと良い。

 も一つ学んだことは、結構、茶畑の中でも所々黄色になった茶畑があった。それは休耕地
だった。やはり旨い茶を栽培するためには相当苦心がされているようだ。それに茶畑のアチ
コチニ扇風機の羽が取り付けてあったが、説明により霜よけ装置だと分かった。

 お茶工場見学が終わると、昼食会場へ向かう。菊川インターを通過して、袋井インター出口
を出て、昼食場所の袋井市の袋井観光センターへ向かう。

 袋井インターを出る時、高速料金表を見たら東京から¥5,200という表示があった。マイカー族には高速料金もかなりの出費になるようだ。

               今日は、ここまで…。

 写真は、次の訪問地、可睡ゆりの園(かすいゆりのその)でのゆりの花弁。

「愛・地球博」へ行って参りました! P1

2005年06月07日 21時23分23秒 | Weblog

平成17年6月5日(日)

 話題はロシア旅行から、また国内旅行にチョット戻りたい。実は、「愛・地球博」を見学して昨夜愛知県瀬戸市から帰って来たばかりです。

 ツアーの発端は、K氏御夫妻が申し込んでいた参加予定の「愛・地球博バス・ツアー」が奥様の御都合により突然のキャンスルが発生したのです。 そこで、そのK氏の御紹介で私にピンチヒッターとして参加依頼が飛び込んできたのでした。 只、私も7~8月に夫婦で行く予定でいましたので、逆に1人追加出来ないか、という問題が生じました。そんな中で、彼が奔走の結果、1日前という直前であったにも拘らず、3人とも全員が行けるようになり私にとっては念願が叶えられ最高の結果が得られました。

 さて、このバス・ツアーのあることさえ知らなかった私でしたが、あとで聞いたら、これはかなり前から行われている恒例のバス・ツアーだという。団体名は、「東京都7市連合会」である。

 7市とは、小金井市を初め、立川市、稲城市、東久留米市、東村山市、西東京市、国立市を指しているのである。

 この会の事業内容は良く知る由も無かったが、地元小金井市の案内状差出人を隣の参加者に見せていただくと、「小金井市勤労者社会福祉サービスセンター」とあったので、おおよその想像はついた。

 そんな訳で今年の東京都7市連合会のバスツアーは「愛・地球博1泊2日」と決定されたようである。
 
 交通手段は、明治記念館グループ(株)セラン、「セラントラベル」会社からの日の丸観光バスが3台チャーターされた、バスツアーである。

 私たちのバスは3号車で、小金井市からは31名、稲城市から14名の計45名が3号車に乗車することになった。

 7市全体の参加者は142名で、相当の参加者である。1号車、2号車はそれぞれ分かれての運行だが第1回目の休憩地、海老名インターで3台のバスが合流することになっていた。

 先ず、小金井市公会堂前で小金井市参加者31名を乗せたバスは集合時刻7時のところを10分前の6時50分には出発。

 稲城大橋を渡って稲城市からの参加者14名が待っている稲城市役所前へ向かう。途中稲城梨園を眺めているとアッという間に稲城市役所に着き参加者をピックアップすると、7時15分市役所前を出発。

 7時40分には川崎インターから東名高速に乗り入れる。8時に海老名SAで20分休憩して8:20出発。

 富士川を通り過ぎて5分ばかりすると前方左手に太平洋の海原が見えてくる。よく眺めていたら岸壁に面白い四角形の堤防が出来ていてその周りには2~30人の釣り人が竿を垂れていた。

 遥か左前方に清水港も見られるようになる。清水と言えば「清水次郎長」が思い出され、彼の墓とか日本平もこの近辺にある、とガイドの説明があった.

 間もなく海抜380メートルとあまり高くない、なだらかな日本平が左前方に見えてくる。日本平と言えば春になるとイチゴ狩りが有名だ。丘の上からは5本の鉄塔が見えた。

 やがてあの忌まわしい日本坂トンネル・火災事故(静岡県・焼津市、全長2045メートル)現場を通過した。

 思い起こせば、昭和54年(1979年)7月11日、トラックと乗用車が起因する衝突事故が発生し車両173台が次々と炎上し、7人が死亡するという火災事故である。
 今では、内壁は白色で中はとても明るい立派な近代的トンネルに変身していた。

 日本坂インターでも20分の休憩を取って、10時20分出発。藤枝、大井川、島田を通過。島田と言えば遊女が好んで結い始めたと言われる島田髷由来の紹介があった。

 やがて高速道路の両脇には鮮烈な緑の茶畑が見えてくる。なんでも、この牧之原近辺のお茶は全国の60%を生産しているという。

 間もなく相良牧之原出口を出る。ここから25km先に御前崎灯台がある、と知らされる。

 また、あと3キロ先に目的地グリンピア牧之原に着くのだという。農道を通る車窓から見える延々と続く茶畑は見事なものだった。目的地到着予定の11:30が2分早い11:28分到着の正確さには驚いた。
                     今日はここまで…。

 写真は農家の回りに見られる見事な新緑の茶畑風景。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-8、P3

2005年06月06日 22時30分55秒 | Weblog


 前回の続きで、今回が最終号になります。

 第7日目(最終日) 平成14年1月3日(木)続き-2

 空港へ着くと、厳重な出国手続きを済ませ、機上の人となるわけだ。

 帰りの便は、ウラジオストック航空だった。入国時のダリアビア航空とは違って、機内放送は全部日本人スチュアデスによってなされ、全く違和感は感じられなかった。約2時間後の14:15新潟空港へ到着する。

 ところが、新潟ではかなりの積雪のため、予定のバスでは列車の時間に間に合わないと分かり、急遽各自タクシーで駅へ向かう。

 駅へ着くとみんな小走りでやっと間に合って、上越新幹線「Maxあさひ388号」にて新潟駅を16:05出発する。終着駅、上野へは定刻通り、18:06到着。

 上野駅で団長Y氏のねぎらいの挨拶の後、自由解散。

 かくして、長~いタイトル「むさしの・多摩・ハバロフスク協会設立5周年記念冬季体験団、ハバロフスク タイガの中の小さな村でのお正月体験と冬のシベリア鉄道・ウラジオストックで芸術鑑賞7日間」の旅は無事終わったことになる。

 写真は、ウラジオストック空港のお土産店。

 ほんとに長~い間、この紀行文を読んで頂いた皆様、誠に有難うございました。


あとがき:

 私は、この旅行を終えて大変有意義な体験と、今まで抱いていたロシア観とイメージが変わったような気がする。

 ここで、注意しなければならないのは、私が訪問したのは、あの広大なロシアの中で、極東ロシアの一部だけを知った訳で、これのみを以って全体として捉えるのは大きな誤算になるものと思う。でも、そうは言ってもロシア国民の、しかも地方の国民性が少しは理解できたものと自己満足をしている。

 只、地理的、歴史的経緯から判じてロシア(旧ソ連)の南下政策だけは今後も変わらないと思う。

 従って、日本政府としては今後も中々難しい舵取りが必要となると思うが、まず国民一人一人が日露友好関係を築く努力の積み重ねが重要な課題だと、このツアーを通じての私の結論である。

 最後に、私が帰国してからハバロフスク・タイガの中の小さな村でのお正月を体験してお世話になったホスト宛に英文で礼状(礼状のことを英語で一般的にThank you note.と言うのであるが)をしたためて、ハバロフスク協会を通じて、その村へ送りました。いまだに、その返事は私の手元に届いていないので、果たして御本人に届いているのか否かも分からない。私のホストのお父さんは、きっと読んで頂けたものと期待しつつ、私のこの拙い紀行文を閉じたいと思います。     
                                        完

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-8、P2

2005年06月05日 04時42分52秒 | Weblog
 第7日目(最終日〉 平成11年1月3日(木)続き-1

  まだ、11時前で早いが、ランチを取るため、後ろ髪をを引かれる思いで日本人墓地を離れる。

 昼食は、中央アジアの伝統料理という触れ込みだったが、確かに今までとはちょっと違っていた。
 
 いつものスープとサラダは普通コースだが、先ずパンが違う。インドでは良く見かける円形の平たい「ナーン」という小麦粉を発酵させてから焼いたパンだった。それから、紅茶を飲んだ後に出てきたマトンのリブ付き焼肉は実に美味しかった。

 ランチが終わると、飛行場へ直行する。

 途中ウラジオストック商業港の岸壁に陸揚げされた日本車を数台見つけた。ナンバープレートが外されているのは当然だが、よく見ると、車自体がかなり古い中古車ばかりだったので驚いてしまった。

 勿論右ハンドルのままだ。ロシアではその右ハンドルのままで右側を通行するというのだから不思議な国だ。話によると、車売買に関しては私たちの知らない所で日本の暴力団とロシアのマフィアが提携して莫大な資金源になっているという話もあるので、その複雑な図式は私たちには分かる由も無い。
                           さて、今日はここまで…。

 写真は、中央アジアの伝統料理に舌鼓をうつ団員たち。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-8、P1

2005年06月04日 08時36分05秒 | Weblog
第7日目(最終日) 1月3日(木)
 
  朝食は9時。今日の朝食はブフエイで思い思い好きな物を食べる。 デザートのフルーツポンチは特に美味しかった。

 午前9時半にチェックアウト。10時にホテルを出発して、いよいよウラジオストック日本人墓地へ向かう。
 
 途中、車窓から見える原野と白樺の木々を眺めながら、30分も経たないうちに小高い丘の上に到着する。
 
 天を仰げば空は紺碧の青空、雪は積もってはいないが所々氷結している。 この丘には、一面、乾燥しきった地面に夏に生い茂った後の黄ばんだ枯れ草が一面に広がっていた。

 その中にあって、最近整地されたばかりなのか、むき出しになったクレイの地面に2本の供養塔が寂しそうに建っていた。

 戦後60年、話によると今尚約5万以上の遺骨が取り残されたまま、この異国の丘に眠っている霊がいるのだ、という。

  私達訪問団員各自が涙して合掌する。

                                   今日はここまで…。

 写真は、参拝後供養塔の周りにしばしたたずむ訪問団員たち。 向こうには乗ってきたバスが待っている。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-7、P4

2005年06月03日 06時42分56秒 | Weblog

第6日目 1月2日(水)- 続き-3

  前回の続きです。

 潜水艦博物館見学が終わると、近くの市街地のカフェで昼食を取り、ショッピングを楽しむ。
 
 そこで、私は先ずウオッカ3本、アルメニアのコニャック3本、キャンデーなどを買う。キャンデーも数種類のものを自分で選んでビニール袋へ詰めて目方で買った方が得だとガイドのイーリアさんから教えて貰って買って帰る。

 ウオッカもアルメニア産のコニャックもアルコール度が40%で冷凍庫で冷やしても決して凍らないのである。ライターを使えば発火するとも言われてきたが、私はまだそのテストはしていないが、今でも記念に冷凍庫に1本ずつ大事に保存している。

 でも、アルコール好きの私がいつまで持たせることであろうか、甚だ疑問だが…。同じ冷凍庫に私は大吟醸酒の原酒も飲む前によく冷凍庫に冷やしてから飲むことがあるが、アルコール度18度以上19度未満と書いてあるものは中の原酒が直ぐに凍ってしまって、白い雪状になってサラサラになってしまうのである。
                              
 さて、ショッピングを楽しんだ後は、鮮魚市場巡りをすることになった。ところが、1番行きたかった市場(と言っても、東京築地市場の1/10以下の小さい市場だが)お正月で休業なため、仕方なく2軒目のさらに小さい市場へおもむく。実は、そのあたりで私は持参してきた皮手袋の紛失に気が付いた。

 団員が市場で買い物をしている間に、親切にもガイドのイーリアさんは、昼食を取ったカフェなど親切に回って探して頂いたが、とうとう私の手袋は出てこなかった。旅の疲れのせいか、自分でも落としたのか置き忘れたのかまったく覚えていなかった。

 観光ツアーが終わって、ホテルへ荷物を置いてくると、また外出して市内「アルセイニエフ・ホール」にて芸術鑑賞をする。ボランティアのダンサーが民族舞踊を披露してくれるのだ。

 中々寸劇も交え、団員も仲間に誘われてその寸劇のハップニングを楽しんだ。その寸劇と言うのは、恋愛している男女二人が女性の親の所へ行き結婚の許しを乞い、念願かなって目出度し、目出度し、というたわいない筋書きだった。その筋書きを、先ずダンサー達が手本に示した後、日本人の我々にもボランティアとしてやらせる訳である。

 言葉は分からなくても踊りとか男女の愛の交換などは身振り手振りで良く分かるのだが、人それぞれその表現方法が違っているものだから爆笑ものだった。最後には恋愛相手の男女役二人とも我々から選ばれ、観客の私達もボランティアのダンサー達もヤンヤの喝采で、その名演技(?)を楽しんだのであった。

 夕食は観劇後、市内のレストランで取りホテルへ帰還。

                    今日はここまで…。

写真は、芸術鑑賞で、ボランティアのダンサーの面々。