――ガタン。
一度、音がして。
続いて、ガタガタ、ガタガタと、廊下側の窓ガラスが震えた。
「小麦」
「ん。任せて」
日も暮れかけた、オレンジの教室。
同じ色のコスプレをした少女は、口の端に笑みを浮かべ、機を待つ。
ガラリ、と窓が開き――セーラー服の袖が、窓から侵入して来た。
「く、ら、えッッ!」
右手に構えたリコーダーを、槍投げの要領で投擲。
それは、窓の向こうからタイミングよく顔を出したロアに見事的中した。
・・・マジかよ。ロンギヌスの槍みてーだな。
「さて、こんなもんじゃないでしょ?」
言って、小麦は軽快に走り出した。
ひょいとジャンプして、開いた窓から廊下へ飛び出す。
やっぱ、戦闘中の小麦はイキイキしてるなー。
――と。
「あれええええ!?」
僕が分かりやすく油断する中、廊下から素っ頓狂な声が聞こえた。
チッ、まずったかっ。
ロアは大抵、並じゃない能力を持っている。
あんな適当な遠距離攻撃ひとつでどうこうなるものではないのだ。
僕は急ぎ廊下へと飛び出す。
「小麦、大丈夫――か?」
そこには。
ぴくりともしないロアと、割れた仮面、そして不満そうにそれを見下ろす小麦がいた。
「コイツ、もう死んだっぽいよ?超弱いんですケドー」
・・・遠距離攻撃ひとつで、どうこうなるもの、だったな。
唇を尖らせ、ジト目で僕を見る。
「いや、僕に訴えられても。良いじゃないか、勝ったんだし」
「そうだけどー。つまんないー」
愚痴りながら、げしげしと朽ちる寸前のロアを蹴飛ばす。何てヤツだ。
そういえば、このロアの「顔」は――と。
僕は、(下半身を見ないように気をつけながら)その素顔を覗き込んだ。
――ん?
何だ、こいつ――。
「危ない、ハル君っ!」
どん、と真横からの衝撃。
僕は堪らず廊下の端へと倒れ込む。
小麦が、凄まじい勢いで体当たりしてきたのだった。
「な、何だよっ、小麦っ」
「・・・人体模型」
「は?」
「見慣れた人体模型が、猛ダッシュしてった・・・」
「見慣れた・・・って、あれか。部室の」
「うん、多分」
「マジっすか」
「マジっす」
それって、ロア、だよな。だって、足音しなかったし。有り得ねえだろ、色々と。
僕は、大きくため息を吐いた。
「おかしいと思ったんだよな。楽勝過ぎて」
一方、すぐさま体勢を立て直した幼馴染は、ニヤニヤ笑いながら言った。
「ふふん、あれくらいじゃ面白くもなんともないって思ってたところよ」
あー、そりゃまあ、オマエはそうだろうよ。
仕方ないな、と僕も立ち上がる。
「さてと――」
多分、と僕は予想する。
――多分、これにはまだ裏があるな。
そして。
僕の役目は、いつだってその更に一歩先にある。
人体模型が走り去ったと思われる方を睨み付ける小麦。
案の定、再度攻撃を仕掛けるべく、その方向からロアがやってくる。
・・・足早っ。
っていうか、人体模型でも律儀に仮面付けてるんだな。
小麦は、先ほどのリコーダーを拾い上げて、猛ダッシュで近づくロアを迎え撃つ。
「ほらほら、掛かってこいよォォ!」
という挑発に乗ったのかどうか。ロアは更に速度を上げる。
そして更に。
ロアが、分裂した。
「げっ、増えた・・・そんなのアリ!?」
否、最初から2体だったのだ。1体は影に隠れていたに過ぎない。
さすがに不意を突かれ、慌てる小麦。
となると――。
僕は、周囲の様子を伺う。
「えーい、面倒臭い、2体まとめてやっつける!」
動揺したのも僅か一瞬、小麦は気を取り直した。その辺はさすがである。
僕なんか、ある程度予想していたのにちょっとびっくりしたからなー。
・・・さてと。
僕の役割の方については――びっくりするわけにもいかないな。
「小麦、そっちは任せた」
「ん?うん。トーゼン!」
そして僕は、くるりと後ろを向く。
「不意打ちは卑怯じゃねえ?久我さん」
こちらも、案の定。
廊下の角からこちらを伺う久我さんが、姿を現した。
「あちゃ。バレてました?さすがっすね、語り部さん」
「・・・・・・にゃろう」
不覚にも、苦笑が漏れる。
『語り部さん』ときたか・・・こいつ、何か知ってやがるな。
僕は、最悪のケースを想定する。
・・・ちっ、面倒なことになりそうだ。
背中からは、小麦と人体模型×2が闘う音が聞こえる。
僕は、それを小麦に任せると言った。
だから――その存在は、一旦無視することにする。
「よく分かったっすね、しっかり隠れてたのに」
「ロア2連発はいくらなんでも怪しいだろ。となると、1体目の噂を持ってきた君が一番怪しい」
「えー、それ、殆どカンじゃないっすか」
「経験と言って欲しいね。で、久我さん。君の目的は、何だ?」
「んー・・・どこまで話して良いのかなぁ。ちょっと判断に迷うトコっす」
「僕らを、罠にハメたことは認めるな?」
「ああ、はい。そこはガチっす」
副会長は、明るく笑ってあっさりと肯定した。
その朗らかな態度は、逆に不気味に映る。
「一応、上半身オバケで油断させて、人体模型クンでトドメというコンボの予定でした」
「詰めが甘ぇよ」
「はい、反省してるっす。やっぱ、ヒトの言うことは聞くもんっすね」
・・・はて。ということは、つまり。
「組織立って動いてる、と判断して良いのかな?」
「あうあう、またバレちゃったっすか!?」
結構、アホの子なのかも知れない。
僕の中で、生徒会の地位がどんどん失墜していく。大丈夫か、この学校。
「はあ・・・気が進まないけど、しょうがないっすね」
「ん?」
「柊センパイ、ちょっと動きを止めさせてもらうっす」
・・・何だって?
僕は確かに直接戦闘向きではないが、女子生徒ひとりに取っ捕まるほど弱くもない。
「ええと、こんな噂、知ってます?」
実に唐突に、久我さんはその都市伝説を語り始めた。
「この学校の1Fの水道――ちょうどセンパイから見て左にあるソレっす。
その水道の鏡、見えるでしょ?
夜にその鏡を覗き込むと、悪魔が映るんっすよ」
・・・しまった、そういうことか!
気付いたが、既に遅かった。
僕は、反射的に左を――蛇口の上に備え付けられた大きな鏡を覗き込んでしまっていた。
そこには、当然、僕と。
仮面を付けた悪魔が、映っていた。
黒い肌、尖った耳、細く長い手足。
僕の左約2メートル・・・ちょうど小麦と僕の中間くらいに立ち、こちらへにじり寄る。
「見えましたか?そいつ、ボクの最新作にして自信作っす」
久我さんが、余裕たっぷりに言う。
「名付けて、忍び寄る悪魔」
畜生、まるで誰かを連想させる言い回しじゃないか。
イライラする、イライラする、イライラする!
「そいつは、呪いの一種っす。発動トリガーは『特定の鏡を特定の時間に覗き込むこと』。
そして、発動後は鏡に写っている間、悪魔と『だるまさんがころんだ』することになるっすよ」
「『だるまさんがころんだ』・・・?」
「そっす。鏡に写ってる間、悪魔は近寄ってくるっす。写らなければ、悪魔は動きません。
じりじり忍び寄って、最終的にはセンパイの首を絞めて殺すんっすよ」
朗らかな声色のまま、恐ろしいことを宣言された。
故に、忍び寄る悪魔ってか。
全くもって、趣味が悪いね。僕とは到底合いそうにない。
ともかく――この場にいるのはまずい。
にじり寄る悪魔から逃れるように、身を屈める。これで鏡には写らないはずだ。
「おお、素早い対処」
「お褒めにあずかり光栄の極み」
「でも、そのままじゃジリ貧っすよね。ボクは、今のうちに逃げさせてもらうっすよ」
「逃がすかバカ」
勇ましい声。
「――え」
驚愕する久我さん。
「おー、小麦、終わった?」
「楽勝!」
にひ、と武器を片手に小麦が笑う。
その背後には、砂のように崩れ落ちる人体模型が2体。
「え?え――ま、マジっすか?そんな、マジでそんなに強いんすか?」
「ふふん。あたしを誰だと思ってるのよ。あんなロア、瞬殺なんだから」
「はへー・・・これは、マズいなぁ。マズいっすよ。うーん・・・」
困り顔で、しきりに首を捻る久我さん。
しかし、それは降参の意ではなく。
「じゃあ、しょうがないから奥の手を出させてもらうっすね」
なっ、奥の手――だと!?
「これ以上、何かあるって言うのか?」
上半身だけの女子高生、走る人体模型、鏡に写る悪魔。
全て、久我さんが創作したロアだろう。
ひとつひとつの強度は大したことないものの、その数は驚愕に値する。
だというのに、まだこれ以上手駒を持っていると言うのか。
怯む僕に、久我さんは――改めて、誇らしげに名乗りを上げる。
「ボクの名前は、噂中毒・久我描。息をする様に噂を作り出してみせるっす」