「キャラが作者の操り人形になっている」の件について、
もうちょっと考えてみた。
要するに、作家には2パターンいて、
・キャラから作る人
・思想から作る人
に分けられるのかな、と。
いずみは完全に後者。
で、読者としてのいずみは割とどっちも認めることができて、
例えば「キャラが可愛いだけの漫画」とか大好きです。
まあそういう漫画が、
必ずしもキャラから作られているわけではないけども。
ともかく、いずみはこの2パターンの作り方
両方を認めていくべきだろ、と思ってるの。
思想先行でできていれば、
そりゃキャラは操り人形だよ。
思想を伝えるための道具なんだもん。
だから、一概に「操り人形」がいけないわけではないでしょ、と。
そういう作品も認めてあげてよ、と。
日本人は特にキャラ偏重の人が多いからかな?
「漫画はキャラが命!」とか言っちゃうもんな。
面白い思想からは面白いキャラができる、
というのもあるはずなんだけど、それと「操り人形感」は別だろうし。
面白くても「操り人形」っぽかったら駄目なんでしょ?
いずみが作る「操り人形」は面白いと思うんだけどなあ。