cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

コメント。*鶏ハラミ肉の山葵ソース*

2009-04-07 | Weblog
[レシピ] ブログ村キーワード

今日はここのところちょっと体調不良もあり、でお籠りしていたので
たまっていた買い物に…近所ですが出かけました。
途中見た桜ももう散り始めていましたね。
桜の絨毯ができる、いつも楽しみにしているポイントがあるので、
もう数日したら、そこへ散歩してみたらイイかも…なんて思っています。
散り始めると早いですもんね。。。
マイペースすぎる私では置いていかれる
今はまだ私の生き方としてゆっくり流れている時間なので、せめてこういうときこそ美しいいのちに触れる時間を大切にしたい、
もつように心掛けたいと思っているのですが…
なんだかはっと見開かれるようなこともないままに時を後ろに流してしまうことが多い、
…反省、デス。
でも、本当はそういう特別なことを求めなくても、すぐそばにだって日々奇跡はあふれている、
美しいものはあふれている、
退屈に感じてしまうのは自分に気づく目がないからにすぎない、
と考えるほうが正しいのかもしれないですね。
毎日、風、色、音、空、雲…ひとつとして同じものはない。
それに対する自分も刻刻と変わっていて。。。
そう考えると、退屈って何だろう、刺激って何だろう、
日々なにか求めているけれど、そのうちどれだけが本当に求めるべきものなのか、
そんなことを考えてしまったりもします。

でも、日々こうしてブログを更新することを習慣にして、すこし見えるものが多くなった面もあるような気がします。
私の場合は、
ですが、言葉で表現するという、こういうと大げさだけど、創作にかかわること、カタチにすること、
それを日常的に繰り返すことで、今まで見過ごしていたものに少し気づくことができるようになった、
接し方、たたずまいも変わってきたような。
話すだけだとそこにとどまらず、感覚としては消えてしまうから、
同じように思ったことをアウトプットする、という行為でも、
こうしてつづることは、なにか大きく意味を持っているような。
もちろん思い描くようには半分もできていないけれど、
自分にとって意味のある、
今の自分をつくっているひとつの習慣だなと改めて思います。

…と、ま、こうしてブログは続けていきたいと思っているのですが、
ブログをする人も本当に多い近年。
ニュースショー、ワイドショー的な番組の増加もあいまって、まぁなんとも国民総コメンテーター化??みたいな
コメントのあふれる世の中になっている気がします。
各言う私もしょっちゅうあちこちへコメントしているし、ここでもニュースに触れたり、思うことを述べたり、
大した知識もないコメンテーターと化しているわけですが。
このあふれすぎるコメントについて、コメント?!(苦笑)

様々なコメント、コミットメントがあふれることは、基本悪いことではない、むしろ良いことだと思うんです。
それぞれのバックグラウンドを持つ人が、それぞれに考える、
みな個体が違うのだから、ひとつとして同じものなどない。
違うものに触れて、なるほど、と見分が広がることも多いし、自分と違う意見を知ることで、その存在を見ることで成長することも多い。
そう思うんです。
ただ、膨れ上がりすぎた無責任に過ぎる匿名のコメントと、今のテレビなどにあふれるコメントにはどうしても疑問を感じてしまうことも確か、なんですね。

とくに後者の話で今日気になったのは、
ハリセンボンのはるかさんが肺結核で入院されたニュース。
そのニュースのなかで、某キャスターさんの専門医学博士の方を迎えて話していた際のコメントが、
「私、ついこの間、8時間一緒に仕事したんですけど大丈夫でしょうか。」

はっきり言って、このコメントには呆れるというか…
はぁ???

気になるんだったら自分で検査に行け、知らんっ
公共の電波を使って、コメントし、解説を求めるところか???

…と思うのですが
思う私の了見が狭いのか

でもやっぱりなんか変、非常に感じが悪いように思えて仕方がありませんでした。

なんだかこういったものをはじめとして、コメントするべき、求めるべきポイントが間違っている、
そんなふうに感じることが少なくない。
ここでどう思う?と思って耳を傾けたポイントでは、なぁなぁで流したり、ま、そ~ゆ~こともありますよね、みたいなコメントだったり。
どこの局を見ても同じような取り上げ方、意見に終わっていたり。
そうかと思えば、そこはその人に関すること、それぞれのことなのだから、放っておいていいんじゃないか、というようなポイントで、大騒ぎ、
盛り上げまくる、追跡しまくる、
むやみやたらと権威の意見まで引っ張って来て…
最終的に分かったのはそれ?
それだったら誰でも思うんじゃないの??
みたいなことも。。。

何なんでしょうね。
ジャーナリズムのレベルが下がっているということなのか、なんなのか。。。
議論が交わされる、いろいろな意見があるということが、
なにか勘違いされているんじゃないか、
これほどにあふれているのに、肝心なところが欠けている、
いや飽和しすぎているから肝心なところへ目が向かなくなっているのか、
ボーダーが分からなくなってしまっている、行き先を見失ったような状態になっているのか…

一歩ひいて考えると、それっておかしくない?
気づくはずだと思うのですが、
それもまた笑ってすませたり。。。

それでいいのか?

…とコメントしたくなります

議論が重視されるようになった、
それぞれの意見を聞く、自分の意見を発信する、
それが重要なことと考えられるようになった、
それ自体は評価すべきことなのだけれど、
そこに伴う責任や背負うものの認識、
時と場と、テーマのタイプとの見分け…
そうした点が、まだ成長途中段階で、成熟していないからなのか。

これもまたなんとでも分析はできそうな話ですが、分析いかんよりも、自然に考えて分かることじゃない?
違和感感じない?
と私は思う。。。

意見を言うことがいけないのではない、
言わないことがいけないのではない、
言うべきところ、
自分のなかに押しとどめるべきところ、

当然あるはずで、そのラインがなんだかおかしくなっているような。
なんとなく盛り上がればいいのか?
笑ってすませてうしろに流していいことなのか?
繰り返すうちに無意識にもどんどん腐ってきていないか、生ぬるいなかで侵食が広がっていないか…
危機感を感じてしまうのですが、

考えすぎ、

…ですかねぇ。。。

それでもなお、やはりここは言うべき、と思う、
私のコメントでした

なにか思うところがあれば、ご意見いただけるとうれしいです。


今日のレシピです

・鶏ハラミ肉の山葵ソース …①
・アボカドプディング …②
・フリルレタスとパリパリポテトのシーザーサラダ風 …③


①の作り方



1 鶏ハラミ肉(横隔膜)に塩こしょう、ガーリックパウダーをまぶしておく
2 わさびとだし汁、白醤油、醤油を合わせる
3 軽く2を温め、バターを溶かしこんでとろっとしたソースにする
4 菜の花はソテーする
5 1の肉を油を敷いたフライパンで焼き、取り出す
6 4と5を皿に盛りつけて、3のソースを流す


②の作り方



1 アボカドはよく熟したものを用い、つぶす
2 1に卵、塩、水、生クリームを加えのばす
3 耐熱容器に注ぐ
4 湯せんにかけた状態でオーブンに入れ、プリンを焼く要領で焼き上げる
5 竹串をさしてみて、透明な汁になっていれば出来上がり
6 生クリーム少々を流し、いくらととんぶりを添える


③の作り方



1 紫ジャガイモは千切りにする
2 1をじっくりと素揚げする
3 フリルレタスは適宜カットし、セロリはスライスする
4 アンチョビペースト、イタリアンドレッシング、マヨネーズ、レモン汁、塩こしょうを合わせてドレッシングソースをつくる
5 3と2を盛りつけ、フライドオニオンもトッピングし、4のドレッシングをかける


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