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今日は4月22日。
地球の日、Earth Dayです。
1970年、ウイスコンシン州選出のG・ネルソン議員が、この日を"Earth Day"であると宣言したことに由来する、世界共通の記念日。
あまり今日の国内としては取りあげられていなかったようにも思いますが、各地、環境を考えるイベントが開かれたりもしたようですね。
なにかそういう大きなイベントに参加した、アクションを起こした、
というわけではない私ですが、
ここであらためて環境について考えることで、私なりのEarth Dayとしたいと思います。
人間がこうして当たり前の生活ができる、
いや、そもそもこうしてこの世界に誕生したのも、すべて地球という奇跡の環境があったからこそ。
美しい景色も、美味しい空気も、この時間も、ひとつひとつのいのちも…
地球がすべての源。
源として、すべての母として、
愛情を感じて生活できているか、愛せているか、
地球の愛にこたえられているか、
…ただそこにある愛が大きすぎて、静かに寄り添いすぎて、
気づかないで、甘えてばかり。
そんな状況で、これまで人は生きてきたのかもしれない。
いや、意識しなくても応えられていた、
こちらも静かな愛を返せていた、それが当たり前だった、
…はずなのに、様々な豊かな技術、創意工夫に真剣になるうちに、その素朴な気持ちをどこかに落としてきてしまった、
効率でははかれないものを、感覚ではからなければならないのに、その大切さを忘れ、見えるもの、目先のもの、
そればかりを信じて走ってきてしまった、
どこの世代のせいでもない、積もり積もった。。。
“今”なのかもしれないと思います。
自然を見ること、地球の姿を見ること、
そこから離れ過ぎたことも大きな原因のように思います。
どんなに相手を想おうとしても、そこに距離があると、それだけでうまく愛することが一段階困難になる、
声に、姿に、その都度感じて応えること、思いやること、
せめてなにかの機につけ、近くに感じられる、触れることができたら。
自然と愛することができる、
間違った愛しかたにはならない、
そういうきっかけになるんじゃないか。
そして自然に触れることが、その愛を受けることが、
私たちの精神も豊かにしてくれる、支えてくれる、
ひいては真の意味での生活の豊かさも与えてくれる、
…のではないかと。
いろいろなことが不安定、先の見えない閉そく感、いらいら…
何を求めても満たされない、
なにかがおかしく、それに気付きながらも、その“なに”にせまれない、
そんな、一見環境問題とは無関係の社会全般の問題も、
空を見上げる、小さな命をいとおしむ、環境を愛し、感謝する…
そういうところから、実は解決のきっかけは生まれるのではないか、
問題は実は底の底のところで、大きくつながっているのではないか、
そんなふうに私は思います。
誰でもがそのためのアクションの主役、愛する主体の主役であって、小さなことからでもなにかは変わる、変えられる。
こう言うと、ただのきれいごとのようだけれど、それは虚ではない、嘘ではない、事実と証明できることだと私は思います。
とりあえず自分にできることから始める、
そのことが実は間違った愛しかただった、もっといい愛しかたがあった、
そう気づくときがくるかもしれない。
でも、何もしない、愛を知らない人よりはずっといい。
そして、ただ愛せばいいのではなく、それが本当に応える愛になっているか、常に気を配ることが必要なのだということを学ぶ、
そしてさらに次の段階へと進むことができる、
愛を次はもっとうまく返すことができる、もっと良い関係を築くことができる、はずだと。
今、ことさらにエコと言われるけれど、それが実際問題として、どういうカタチになって地球へと帰っていくのか、
どういう愛として伝わるのか、
そのことにまで気を配る、
常にこれでいいのか、この方法がきちんと応える、自分なりの想いの方法なのか、
問い続けること、
それが地球を“愛する”という観点から考えて、真に環境問題に向き合うという点から、
これから、とても大切なことなのではないかと私は思います。
もちろんやらないよりはやったほうがいい、のだけれど、
ただ“やればいい”じゃない。
なんでもかんでも“エコ”。
その文句さえついていれば、すべてが有無を言わせずの正、
疑問を付すこともない、前後を考えない、やりっぱなしの満足、
愛した“つもり”。
そんな独りよがりな押しつけの愛は、愛とはいえない自己満足。
それを押しつけ続けても、想いは伝わらない。
悪くすれば傷となって広がることも…
相手を見ること、想うこと、
その基本が、環境問題でも失われてはならないキーなのではないかと思います。
思いやること、考えることを放棄しない、
密につながる“愛”。
そういう発想での環境保護が、
小さな想い、愛が集まって、地球のとてつもなく大きな愛に応えられるように…
なるといい、
環境問題に対して、私はそういう付き合い方をしたいと思っています。
今日のレシピです
・烏賊のソテー アンチョビ風味のバターソイソース …①
・蚕豆と桜海老のキッシュ ペコリーノロマーノ風味 …②
・人参と焼きエリンギのスパイシーサラダ …③
①の作り方
1 烏賊げそは食べやすいサイズに切る
2 玉ねぎを薄くスライスする
3 みじん切りにしたニンニクと2をオリーブオイルで炒める
4 1も加えて炒める
5 ごく軽く塩こしょうをし、ブランデーでフランベして火をとめる
6 アンチョビの漬けオイルとバター、醤油を小鍋に入れて煮詰める
7 わきあがったら火をとめ、冷たいバター少々を加えてとろみをつける
8 5を盛り、7のソースを流す。木の芽を添える
②の作り方
1 パイシートを薄くのばし、型にはめてオーブンで下焼きする
2 蚕豆はさやから出し、半割にする
3 生クリーム、おろしたペコリーノロマーノ、卵、塩少々をよく混ぜ、アパレイユをつくる
4 下焼きした1の生地に2を並べ、3を流し込む。桜海老をふる
5 オーブンに入れて焼き上げる。途中焦げすぎるようなら、ホイルで覆って焼く
6 竹串で刺して、なにもついてこなくなったら出来上がり。型をはずして盛りつけ、ペコリーノロマーノをおろしたもの少々をふりかけて飾る
③の作り方
1 人参は千切りにする
2 エリンギは半分くらいに割って、網焼きにする
3 2を縦に裂く
4 1と3をカレーパウダー、粉唐辛子、塩、砂糖、ワインビネガー、オリーブオイルで和える
5 器に盛りつけて出来上がり
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それでは
今日は4月22日。
地球の日、Earth Dayです。
1970年、ウイスコンシン州選出のG・ネルソン議員が、この日を"Earth Day"であると宣言したことに由来する、世界共通の記念日。
あまり今日の国内としては取りあげられていなかったようにも思いますが、各地、環境を考えるイベントが開かれたりもしたようですね。
なにかそういう大きなイベントに参加した、アクションを起こした、
というわけではない私ですが、
ここであらためて環境について考えることで、私なりのEarth Dayとしたいと思います。
人間がこうして当たり前の生活ができる、
いや、そもそもこうしてこの世界に誕生したのも、すべて地球という奇跡の環境があったからこそ。
美しい景色も、美味しい空気も、この時間も、ひとつひとつのいのちも…
地球がすべての源。
源として、すべての母として、
愛情を感じて生活できているか、愛せているか、
地球の愛にこたえられているか、
…ただそこにある愛が大きすぎて、静かに寄り添いすぎて、
気づかないで、甘えてばかり。
そんな状況で、これまで人は生きてきたのかもしれない。
いや、意識しなくても応えられていた、
こちらも静かな愛を返せていた、それが当たり前だった、
…はずなのに、様々な豊かな技術、創意工夫に真剣になるうちに、その素朴な気持ちをどこかに落としてきてしまった、
効率でははかれないものを、感覚ではからなければならないのに、その大切さを忘れ、見えるもの、目先のもの、
そればかりを信じて走ってきてしまった、
どこの世代のせいでもない、積もり積もった。。。
“今”なのかもしれないと思います。
自然を見ること、地球の姿を見ること、
そこから離れ過ぎたことも大きな原因のように思います。
どんなに相手を想おうとしても、そこに距離があると、それだけでうまく愛することが一段階困難になる、
声に、姿に、その都度感じて応えること、思いやること、
せめてなにかの機につけ、近くに感じられる、触れることができたら。
自然と愛することができる、
間違った愛しかたにはならない、
そういうきっかけになるんじゃないか。
そして自然に触れることが、その愛を受けることが、
私たちの精神も豊かにしてくれる、支えてくれる、
ひいては真の意味での生活の豊かさも与えてくれる、
…のではないかと。
いろいろなことが不安定、先の見えない閉そく感、いらいら…
何を求めても満たされない、
なにかがおかしく、それに気付きながらも、その“なに”にせまれない、
そんな、一見環境問題とは無関係の社会全般の問題も、
空を見上げる、小さな命をいとおしむ、環境を愛し、感謝する…
そういうところから、実は解決のきっかけは生まれるのではないか、
問題は実は底の底のところで、大きくつながっているのではないか、
そんなふうに私は思います。
誰でもがそのためのアクションの主役、愛する主体の主役であって、小さなことからでもなにかは変わる、変えられる。
こう言うと、ただのきれいごとのようだけれど、それは虚ではない、嘘ではない、事実と証明できることだと私は思います。
とりあえず自分にできることから始める、
そのことが実は間違った愛しかただった、もっといい愛しかたがあった、
そう気づくときがくるかもしれない。
でも、何もしない、愛を知らない人よりはずっといい。
そして、ただ愛せばいいのではなく、それが本当に応える愛になっているか、常に気を配ることが必要なのだということを学ぶ、
そしてさらに次の段階へと進むことができる、
愛を次はもっとうまく返すことができる、もっと良い関係を築くことができる、はずだと。
今、ことさらにエコと言われるけれど、それが実際問題として、どういうカタチになって地球へと帰っていくのか、
どういう愛として伝わるのか、
そのことにまで気を配る、
常にこれでいいのか、この方法がきちんと応える、自分なりの想いの方法なのか、
問い続けること、
それが地球を“愛する”という観点から考えて、真に環境問題に向き合うという点から、
これから、とても大切なことなのではないかと私は思います。
もちろんやらないよりはやったほうがいい、のだけれど、
ただ“やればいい”じゃない。
なんでもかんでも“エコ”。
その文句さえついていれば、すべてが有無を言わせずの正、
疑問を付すこともない、前後を考えない、やりっぱなしの満足、
愛した“つもり”。
そんな独りよがりな押しつけの愛は、愛とはいえない自己満足。
それを押しつけ続けても、想いは伝わらない。
悪くすれば傷となって広がることも…
相手を見ること、想うこと、
その基本が、環境問題でも失われてはならないキーなのではないかと思います。
思いやること、考えることを放棄しない、
密につながる“愛”。
そういう発想での環境保護が、
小さな想い、愛が集まって、地球のとてつもなく大きな愛に応えられるように…
なるといい、
環境問題に対して、私はそういう付き合い方をしたいと思っています。
今日のレシピです
・烏賊のソテー アンチョビ風味のバターソイソース …①
・蚕豆と桜海老のキッシュ ペコリーノロマーノ風味 …②
・人参と焼きエリンギのスパイシーサラダ …③
①の作り方
1 烏賊げそは食べやすいサイズに切る
2 玉ねぎを薄くスライスする
3 みじん切りにしたニンニクと2をオリーブオイルで炒める
4 1も加えて炒める
5 ごく軽く塩こしょうをし、ブランデーでフランベして火をとめる
6 アンチョビの漬けオイルとバター、醤油を小鍋に入れて煮詰める
7 わきあがったら火をとめ、冷たいバター少々を加えてとろみをつける
8 5を盛り、7のソースを流す。木の芽を添える
②の作り方
1 パイシートを薄くのばし、型にはめてオーブンで下焼きする
2 蚕豆はさやから出し、半割にする
3 生クリーム、おろしたペコリーノロマーノ、卵、塩少々をよく混ぜ、アパレイユをつくる
4 下焼きした1の生地に2を並べ、3を流し込む。桜海老をふる
5 オーブンに入れて焼き上げる。途中焦げすぎるようなら、ホイルで覆って焼く
6 竹串で刺して、なにもついてこなくなったら出来上がり。型をはずして盛りつけ、ペコリーノロマーノをおろしたもの少々をふりかけて飾る
③の作り方
1 人参は千切りにする
2 エリンギは半分くらいに割って、網焼きにする
3 2を縦に裂く
4 1と3をカレーパウダー、粉唐辛子、塩、砂糖、ワインビネガー、オリーブオイルで和える
5 器に盛りつけて出来上がり
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