「空飛ぶ教授」こと九州大学の矢原先生の 5/9のblog に,以下のような,興味と示唆に富んだ記述があった.
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私は10年前に九大に教授として着任して以来、自分の研究テーマ(性の進化など)に関しては、大学院生やポスドク、助教授・助手にたよらずに、学外の共同研究者、および科研費などで雇用するRAの協力を得て、成果を出してきました。いま、屋久島で進めている研究プロジェクトにも、大学院生は関与していません。したがって、「研究協力者」という点で言えば、(1)型です。
自分の研究は、自分でやるのが一番責任がもてるし、楽しいし、納得がいきます。
大学院生には、最初から自分のプロジェクトを持ち、自立した研究者としての訓練を積んでもらっています。助教授・助手も、私とは完全に独立した研究プロジェクトを持っており、それぞれ国内で指導的立場にあり、国際的な業績をあげています。大学院生は、私を含むスタッフのいずれかと共同研究を行う形で自立の道を歩みますが、プロジェクトの下僕ではありません。ポスドクも、もちろん同様です。最近、私の科研費プロジェクトに、大学院生やポスドクの協力を仰いでいるケースがありますが、その場合にも、大学院生やポスドクのインディペンデンスを保証しています。
このスタイルは、生態学の分野では例外的ではありません。ただし、分子生物学・細胞生物学などのいわゆるライフサイエンスの研究室のスタイルとはかなり違うと思います。
私が大学院生やポスドクに期待しているのは、早く自立して、分野の研究者層に厚みを加えてくれることです。
昨日のブログで紹介したY君の「学問は一握りの天才・秀才だけで進められるものではない。裾野の広さこそ重要だと思う。」という意見には、よくぞ言ってくれた、と思いました。
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これは,サイエンスの研究分野での話しとして書かれているが,ある種の「技術的専門分野」に関しては,基本的には同じことが云えるのではないだろうか?
私が日常の生業としている「情報システム / ソフトウェア」の分野でも,裾野こそ広がっているが,「層の厚み」が出ているとはとても思えない.(それに比べると,もう一つの専門である「機械工学」の分野は,裾野が広がったかどうかはやや疑問だが,厚みは増えてきていると感じられる.この違いは,どこから来るものだろうか?)
これは,矢原先生が指摘されている,大学院生への指導の仕方にも問題があると思われる.多くの研究室では,大学院生や若手研究者を「安いプログラマ」として利用している場合がある.
また,同じことは,就職した後にも云えるかもしれない.
「...自立した研究者としての訓練を積んでもらっています。」
「...早く自立して、分野の研究者層に厚みを加えてくれることです。」
これは,上記の「研究者」を「プロのエンジニア」に置き換えても,本質的に成り立つ話しである.また,
「自分の研究は、自分でやるのが一番責任がもてるし、楽しいし、納得がいきます。」
上記の「研究」を「プロジェクト」,「仕事」と置き換えても同様であろう.
自分のことを振りかえってみると,修士でも,就職して2-3年のころも,
「自分でやるのが一番責任がもてるし、楽しい」
...という環境を与えられていた.それらの経験が,今日に活きていると思う.
やはり,若いうちから,「自立した,プロ」としての自覚を持てる仕事を沢山経験する機会を与えることが重要であることを,あらためて痛感させられた.
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私は10年前に九大に教授として着任して以来、自分の研究テーマ(性の進化など)に関しては、大学院生やポスドク、助教授・助手にたよらずに、学外の共同研究者、および科研費などで雇用するRAの協力を得て、成果を出してきました。いま、屋久島で進めている研究プロジェクトにも、大学院生は関与していません。したがって、「研究協力者」という点で言えば、(1)型です。
自分の研究は、自分でやるのが一番責任がもてるし、楽しいし、納得がいきます。
大学院生には、最初から自分のプロジェクトを持ち、自立した研究者としての訓練を積んでもらっています。助教授・助手も、私とは完全に独立した研究プロジェクトを持っており、それぞれ国内で指導的立場にあり、国際的な業績をあげています。大学院生は、私を含むスタッフのいずれかと共同研究を行う形で自立の道を歩みますが、プロジェクトの下僕ではありません。ポスドクも、もちろん同様です。最近、私の科研費プロジェクトに、大学院生やポスドクの協力を仰いでいるケースがありますが、その場合にも、大学院生やポスドクのインディペンデンスを保証しています。
このスタイルは、生態学の分野では例外的ではありません。ただし、分子生物学・細胞生物学などのいわゆるライフサイエンスの研究室のスタイルとはかなり違うと思います。
私が大学院生やポスドクに期待しているのは、早く自立して、分野の研究者層に厚みを加えてくれることです。
昨日のブログで紹介したY君の「学問は一握りの天才・秀才だけで進められるものではない。裾野の広さこそ重要だと思う。」という意見には、よくぞ言ってくれた、と思いました。
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これは,サイエンスの研究分野での話しとして書かれているが,ある種の「技術的専門分野」に関しては,基本的には同じことが云えるのではないだろうか?
私が日常の生業としている「情報システム / ソフトウェア」の分野でも,裾野こそ広がっているが,「層の厚み」が出ているとはとても思えない.(それに比べると,もう一つの専門である「機械工学」の分野は,裾野が広がったかどうかはやや疑問だが,厚みは増えてきていると感じられる.この違いは,どこから来るものだろうか?)
これは,矢原先生が指摘されている,大学院生への指導の仕方にも問題があると思われる.多くの研究室では,大学院生や若手研究者を「安いプログラマ」として利用している場合がある.
また,同じことは,就職した後にも云えるかもしれない.
「...自立した研究者としての訓練を積んでもらっています。」
「...早く自立して、分野の研究者層に厚みを加えてくれることです。」
これは,上記の「研究者」を「プロのエンジニア」に置き換えても,本質的に成り立つ話しである.また,
「自分の研究は、自分でやるのが一番責任がもてるし、楽しいし、納得がいきます。」
上記の「研究」を「プロジェクト」,「仕事」と置き換えても同様であろう.
自分のことを振りかえってみると,修士でも,就職して2-3年のころも,
「自分でやるのが一番責任がもてるし、楽しい」
...という環境を与えられていた.それらの経験が,今日に活きていると思う.
やはり,若いうちから,「自立した,プロ」としての自覚を持てる仕事を沢山経験する機会を与えることが重要であることを,あらためて痛感させられた.