やねうら日記

~日常の中にある幸福

困ったときの漢方先生

2019年05月25日 | 日記
体調が戻らず、気持ちも鬱屈したまま。
困ったときの漢方先生を訪ねて京都まで診察を受けに行く。予約のみの診察にも関わらず、2時間待った。
しかし、ここでの時間は何故か苦にならない。

本当に久々で、4年ぶりぐらいか。
久しぶりに行くと先生はいつも「どうしてた?」と聞かれる。まるで数週間ぶりみたいに。
あれこれ不調の経緯を話す。不安感が最近とてもひどいこと。気持ちが沈んだままでいること。喉の違和感がひどいこと。食欲がないことなど。先生は優しい顔でうんうんと聞いてくれる。診察は20分ぐらい、ゆっくりだ。

処方は常備薬として、
 補中益気湯
 抑肝散加陳皮半夏

頓服として、
 甘麦大棗湯

うーん。
子供の癇癪の薬だな。
暫く飲んでみることにする。

何だか馬鹿みたい

2019年05月18日 | 日記
ああ、馬鹿みたい、と口から出る。
そんな毎日。

恥も外聞もなく、プライドも、自己嫌悪もなくなってしまえばどんなに楽だろうか、と思う。
もうすぐ50歳。こんなはずではなかった。もっと自由でいるはずだった。
何に縛られているんだろう、俺は。

海を見に行く

2019年05月12日 | 日記
カミさんと海を見に行った。
海なし県に住んでいることを思い出すと、ときどき、わーっとなることがある。
息が詰まりそうになるというか。

そんな訳で海を見に行った。
ただそれだけ。
風がびゅーびゅー吹いていて、寒かった。

運転しながらカミさんといろいろ話す。
最近は、子供とチワワふくのこと以外にあまり話していない気がした。これもこのドライブの目的でもあった。

足の怪我で春は思わぬ引きこもり生活になった。気分が鬱屈していた。何のために生きているんだろう、とか。
時々、外に出て、風に当たるといいな。海の風なら尚いい。

今日の献立

2019年05月11日 | 日記
今日は僕が晩飯を作った。
鶏胸のさっぱりポン酢炒め、豆苗ともやしのピリ辛ナムル、サーモンのカルパッチョ、わかめとおぼろ昆布のスープ。
まぁ、ぼちぼち美味しかった。カルパッチョは非常に好評。また作ろう。

9日目(反語)

2019年05月05日 | 日記
もう7日目ぐらいから憂鬱が始まっている10連休。
まだ、から、あと、へ。


今日は9日目。
昨日からカミさんが体調を壊した。多分、風邪で熱は下がったが39度あった。
子供たちは朝から部活。
まずはコンビニに栄養補給ゼリーと昼に食べられそうなうどんを買いに行く。
することもなく、出かけることもできず(信楽に行こうと思っていた)、居間に座っている。
まるで受験の時のようだ。


大河ドラマ「篤姫」を見たり、チワワふくを膝の上に乗せたり(重いので、膝の横で寝てくれたら良いのに、どんだけ横で寝せても膝の上に上ってくるチワワふく)、「真田太平記(3)」を読んだり。
録りたまっている「ガッテン」を見ると、とても重い気分になった。自分はどの病気だろうと探す。

そんなこんな。
出かけたのはチワワふくのぶるぶる散歩のみ。。。

昼はインスタントラーメン。
夜は西友で弁当。
これほどのジャンクがあるだろうか、いやない(反語)。


連休7日目

2019年05月03日 | 日記
連休もあと3日となった。
特に何をした訳でもないが、少なくとも会社に行かなくてすんで、それだけでも良かった。

さて、今日は一人で関ケ原観光。長い道のりをミチロウの歌を聞きながら車を走らせた。
やはりというか、涙が止まらなくなり、いろいろ考えた。
これまでの人生について。老いについて。病気について。これからについて。
自分に残された人生があとどれだけあるかは分からないけれど、もうそんなには長くないな、とか。
気分は暗く、重い。体調の悪さもある。


関ケ原歴史民俗資料館と古戦場を少し。足がまだ良くないので、あちこちは歩き回れない。
まぁ、それなりという感じ。地元の貴重なものは全部県外で展示されていて、ここにあるのはレプリカばかり。
長浜城歴史博物館へ行ったときもそれを感じた。

訃報、遠藤ミチロウ逝く

2019年05月01日 | 日記
5日目は甲子園へ野球を見に行ったり、令和が始まったり、と話題はあるが。

何よりも。
闘病中の遠藤ミチロウが亡くなった。まだ68歳。
令和の幕開けと同時に公表されたミチロウの死は、数字にこだわり続けた人生の幕引きだと、とても彼らしい。


36年間も聞き続けているミチロウの音楽と生き方は、間違いなく僕の人生の一部を形作っている。
破壊的なパフォーマンスの裏には、誠実な人柄があった。どんなに破滅的でデタラメ(に見える)ことをやってもみんな分かってた。それがこの報道のされ方なんだな、と思った。

とても悲しい。
でも、ミチロウの音楽、残したものは僕たちの心に永遠に残るよ。
間違いなく、たくさんの人たちの心に残って、ミュージシャンたちはそれを語り継いでいくだろう。
どうしたって、日本で最初で最後の本物のパンクロッカーで、日本語を武器にできる数少ない詩人で、こんなにかっこいい男はいなかった。

ご冥福をお祈り致します。