やねうら日記

~日常の中にある幸福

西国三十三カ所 第十四番 ~長等山 園城寺(三井寺)

2011年11月30日 | 西国三十三所
先の土日は久々に休みで時間が持てた。

紅葉狩りがてら、三井寺へ参拝に行った。
二十一箇所目、第十四番三井寺。

紅葉には一週間早い、という景色。期待が大きかっただけに残念で、ことさらに「うわぁ~きれいな紅葉だ~」などと言ってみて、自分を慰める。

お寺は良かった。広く、たくさん歩けるお寺が好きなようだ。勉強した甲斐もあり、菩薩、大日如来、藥師如来などが分かり、少し鼻を膨らませる。

仏像のひみつ

2011年11月24日 | 
◆ 2011 BOOKS 24 ◆

「仏像のひみつ」 山本勉

仏像を分かりやすく解説した本。如来、菩薩、明王、天が何なのか、大日如来とは何なのかが分かりやすく書いてあり、僕のような素人にもよく分かった。

仏教を信仰することと仏像を好むことが違うということが何となく分かった。今のところ、僕の興味は仏像ではなく、仏教の釈迦の教えらしい。工芸品としての仏像は美しいとは思うが、あくまで偶像に過ぎない。仏の心を深く知ってこそ、仏像への興味がわくのかも知れない。

***
先日の~あまりに馬鹿げた~会議以降、仕事がこれまで以上につまらなくなってしまい、いけない。何と言われようとコツコツやってきた実務が根底から否定されたようで、何をやってもしらけてしまう。ようやくこの土日はゆっくり休めそうなので、気持をいれかえよう。空気を入れ換えるみたいに。

もたない男

2011年11月21日 | 
この一週間は全くイカれた生活をしていた。
おととい休日出勤、帰宅深夜0時過ぎ
きのう休日出勤、帰宅深夜3時過ぎ、7時再び出勤

そして今日に至る。残念ながら生み出されるものは何もなく、不毛で茶番な日々が過ぎただけ。その合間を縫ってなんとか読んだ本。


◆ 2011 BOOKS 23 ◆

「もたない男」 中崎タツヤ

じみへんは積極的に読んだことはない。
これは持たない作者の話。こんなに持たずに、縛られずに生きられたら良いな、と思う反面、持たないことに縛られすぎて、困ったなぁ、という本。何にしろ、極端になると健全でなくなっていくものだ。

できることならば、中庸が良いのだ。

青春の門(第二部)自立篇

2011年11月16日 | 
◆ 2011 BOOKS 22 ◆

「青春の門(第二部)自立篇」 五木 寛之

久々に本を読んだ。
すっかり本を読む時間も心の余裕もなくなってしまっていた。

第一部に続き非常に面白い本で、何故今まで読まなかったのだろう、と思う。
でも学生の時に読むと随分印象も変わっていただろうし、分からない部分もあったかもしれない。逆に今はもう分からなくなっていて、その時読んでいたら分かっていたこともあるかもしれない。自分の境遇や状況で味わいが変わる、本や映画の面白いところだ。早く第三部も読みたいが、なかなか近所の本屋には売っておらず、また探しに行かなければならない。

スマイリーとマティ

2011年11月13日 | 日記
高校生の頃、僕は二つの呼ばれ方をしていた。
ひとつはスマイリー、もうひとつは○○マティ(○○には名字が入る)。

スマイリーは僕の日常的笑顔から来たもの。
では全くなく、ただ、その当時好きだったスマイリー原島(ex.THE ACCIDENTS)に理由がある。だって僕はしかめっ面なのだ。
何の拍子だったか忘れてしまったが、ほんの冗談で「スマイリーと呼んでくれ!」のようなことを言った。そうして僕はその日から『スマイリー』となった。もし僕が「ぽっちん君と呼んでくれ!」と言たら、僕は今でも「ぽっちん君」だったのだろう。

○○マティの方は、というと、当時巨人のクロマティに由来する。隠し球か何だでクロマティがアウトになったらしい。その出来事を僕は知らない。
授業中、友人に消しゴムを投げられて、どこから投げられたか分からなかった僕は、「うわぁ、○○マティ」となった。その日から僕のもう一つの呼び名は『○○マティ』となった。

どっちのあだ名も僕は気に入っていた。でもだんだん音信不通になり、そう呼ぶ友達は分からなくなった。『○○マティ』とはもう呼ばれない。
『スマイリー』は一人だけいる。僕の最も大切な友人だ。彼は僕を『スマイリー』とか『スマ』とか呼ぶ。

***
そんな彼が言った。
「そう、床屋さんはすごいのだ。おしゃべりしてお客さんをいい気分にし、その間片時も手を止めず、上手に切っていく。熱いタオルを顔に乗せてまどろみに誘い、その隙にひげから産毛からショリショリとそってしまい、ちょっと血の滲んだところには何も無かったかのようにメンソレータムをそっと擦り込んだりする、愛嬌のある部分も含めて、床屋さんはすごくて素敵な事を毎日しているのだ。
スマイリーのお父さんは、50年以上もそんな事をやっていて、多分とっても満足してしまったんだよ。そして、もうあんまりじたばたしてもしょうがないかな、って、思っちゃったのかも。
なんだったんだろう、と、否定も出来るし、こうだったんだ、と、肯定も出来る。物事は単純に二つに分類出来る訳じゃないけど、折角なんだから光の方を見ようよ。
優しく穏やかに、お父さんの事を、考えてあげよう。
それでいいと、僕も思う。」

***
僕はこれを読んで何度も泣いた。何度も何度も涙が出た。
何度も鼻が出てテッィシュを取りに行った。

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上手く結べないけれど、
父や母や姉やカミさんや
スマと呼んでくれる友人や
毎日愚痴や悲しみを聞いてくれる友人たちに感謝の気持が溢れてきた。

***
『スマイリー』に近づけるように笑わなくては、と思う。
しかめっ面で口をへの字にしていてはだめなのだ。

死ぬということ、生きるということ

2011年11月09日 | 日記
この数週間、死ぬということとは、生きるということとは、とよく考えていた。
特に入院中の父の容態が急速に悪くなり始めてからというもの。

先週末、父の様子を見に帰省した。
笑うことのなくなってしまった父は何だかもう、抜け殻のようだった。生きることを放棄しているように見えた。
50年以上働いて来て、仕事を辞めた翌日から入院し、のんびりした老後を送ることもなく、急激に衰えていった。これと言って趣味や楽しみのない人なので、老後に何をしようと思っていたかは知らないけれど、「老後の楽しみ」は存在しなかった。

***
僕は、と言えば、毎日一日の大半を会社で過ごし、その会社は~ごく控えめに言って~絶望的に面白くない状況に陥っていて出口も見えない。
ウィークエンドのそのわずかな時間にある楽しみだけを求めて生きているような。そんな歳でもないのに「老後の楽しみ」を妄想して、何とか生きているような・・・。
でもはなっからそんなものは存在しないのかもしれない、と思う。
僕だって明日死ぬのかもしれない。体が不自由になるかもしれない。誰も分からない。
死ぬかもしれないのになどうして不毛な仕事を続けなければならないのか、いつか死ぬのに何故生きていかなければならないのか、浅はかで馬鹿げた考えにも取り憑かれる。
その度に僕は頭を振る。父の苦しそうな表情がぐるぐる回る。

***
人に与えられた、あるいは課された唯一平等で公平な現実とは一度死ぬということだ。誰でも必ず一度死ぬ。そう思うと少し救われる気がした。死なんて当たり前のことで、実はたいしたことではないのかもしれない。人は生まれたら必ず死ぬのだ。
いつ死ぬかは分からないけれど、生きている間にどれだけ自分にとって価値のあること(立派なことや人に誇れることではなくて)ができるか、どれだけ気持を充実させることができるか、それだけでいいじゃないか、と。

まだ20代も始めの頃に「今日を楽しめない人は明日も楽しめない」とか「自分を愛せない人は他人も愛せない」など知った風なことを言っていた。薄っぺらな頭ながら、本気でそう思っていたのだ。
その頃と少しニュアンスは違うけれど、20年かけて1周回ってきたようだ。
明日死ぬかもれないから今日を楽しもう、とは違う。生まれた以上、今日を大切に、楽しまなければならない、使命というところか。
諸行無常だ。


***
人は、生まれて生きて死んでいく。ただそれだけ。
「それだけ」の中を、一日一日大切に、大事に生きることを心がけていこう。
父のついえていく人生を目の当たりにして、それをどう受け止めれば良いのか分からず、随分暗い穴に落ちていた。これを結論にしてもうやめよう。
現実を受け入れよう。