やねうら日記

~日常の中にある幸福

◇『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』

2015年06月10日 | 
◇2015 BOOKS 7◇

『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』 名越康文

この本を読んだからと言って、なぜ生きるかなんて分からない。ヒントすらない。宗教色が強くて分からない、感覚的に理解できない部分も多かった。偶然、アルボムッレ・スマナサーラ氏の「怒らないこと」が引用されたりしていた。
何も分からないけれど、とにかく怒らない(一般に言う怒らないではなく、仏教的に言う貪瞋痴の瞋)こと、善く生きること、慈悲を持って生きること、そしてこの本で繰り返し出てくる明るく生きること。「明るさは自分の心が作る」と。全てにおいて遠ざかっている。


何とか軌道修正しようと必死でもがいている。でも同じところをぐるぐる回り、回るたびに余計なものまで巻き込んで大きな渦となっている。どう考えていいのか何を考えていいのか分からない。とても苦しいし、とても悲しい。時折、本当に胸がつぶれそうになる。

でもこの苦しみも悲しみも他の人に受け持ってもらう訳にはいかない。自分で引き受け、自分で解決しなければいけない。歯を食いしばって耐えることしか、方法はない。心が乱れると「最後まで耐えるんだ」という言葉だけを思い、通りすぎるのを待つ。

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1 コメント

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悲痛でどうお声をかければいいのか (りとくらやな)
2015-06-11 06:59:13
お辛いでしょうね。
何がどうなれば楽になるのでしょうか?
もう以前の自分に戻ることはできません。
お辛いことの理由を「これ」としてしまえば楽になりますでしょうか?それを理由にするには余りにも悲し過ぎます。
自分でどうにもならないことはどうすることもできません、よね?
やねうら管理人さん、辛い理由をそれにしてしまってはいけない。
立ち直るにはその考えを断ち切ることではないでしょうか?
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