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いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

お初釜でした・・・

2022年09月16日 | 日記
1月10日に開かれた今年のお初釜の記事です。
3月に98歳になられた先生は、まだまだお元気!
貴重な時間をご一緒させていただいています。

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本日は、お初釜でした。

午前中は雲行きが怪しいお天気だったので、折り畳み傘と雨ゴートも念の為に持参。
集まったお弟子さんのお着物の色が全員違っていて…お席入り前から華やいだ雰囲気。

美味しい桜茶で喉を潤してから、お席入り、拝見。

皆様で新年のご挨拶。







お炭手前、香合の拝見。
(お香は、坐忘斎好みの坐雲)

コロナ事情もある為、懐石料理はお弁当にかえて各自持帰りに。
それでも、何もいただかないのはさびしいから…と。
わざわざお取り寄せされた逸品を使って八寸を用意して下さいました。

お喋りを楽しみながら味わった後は、花びら餅をいただき、お濃茶。
(お濃茶は一保堂の京極の昔)

コロナ前と違い、薄茶同様にお一人分ずつ練るので塩梅が難しいのですが、
大先輩の手にかかると…トロリと美味しくなるのです♡

そして、可愛らしいお干菓子に薄茶。
(薄茶は上林の双鶴の白)

普段はお目見えしない、素晴らしく貴重なお道具の数々にも触れることが出来ました。


あぁ、やっぱりいいなぁ…としみじみ。


3月に98歳になられる先生は、まるで観音様のような雰囲気。
折しも、今日のお軸も「観音像」。





今年も、お稽古の時間を大切にしていこう…。


そして、初釜といえばお着物。

訪問着に袋帯の二重太鼓。
着付け教室の講師をしていたとはいえ。
久しぶりだったので、大丈夫かしらと思ったけど。



体で覚えたことは、忘れないのね~と自分で感動。
綺麗に着付けられました!


フォローアップ講座

2022年09月16日 | 目覚め
Facebookに、2022年1月9日にあげた記事。
う~ん、やっぱり何年も昔のような感覚だわ。
書いた内容も、さらに気づきが深まっていいかも!!

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昨日は、岡田歩さんとWSのフォローアップ講座を開催。

今回は、リアルで3名、オンラインで2名の方にご参加いただきました。

前半は、振り返りと体験&気づきのシェア。
後半は、個々にメッセージをお伝えしました。

私自身は、前回開催の10月以後の濃い体験談を中心に、
下記のようなお話しをさせていただきました。

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人間も自然の一部であること。
その人間だけが罪悪感や無価値感や欠落感といったものを持ちうること。

そして、それが人が人たる所以でもあること。

また、同じ罪悪感や無価値感といっても、個々にバリエーションがあること。
それらをみていくことにより、対極にあるものを見出すことが出来るということ。

その仕組みがわかると、マイナス要因だと思われていたことは、
そうではなかったことがわかってくる。

すると…。

「存在している」「体験している」ことそのものが至福である感覚が湧いてくる。

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また「時間は命」という言葉も出ましたが、その大事な命をどう使っていくのか?

「肉体」という乗り物の「操縦席」に乗り、動かせるのは自分だけ。

どこに行く?
誰と会う?
何をする?

いちいち自分に聞いてあげてほしいし、どんな小さな違和感も見逃さないでほしいのです。

この日の共振共鳴のエネルギーが、どんな形で顕れるか楽しみです。

新しい年の始まりに開催できたこと。
そして、皆さんと会えたことがとっても嬉しかったです!
本当にありがとう♡




祖母の着物と初詣

2022年09月16日 | 日記
Facebookに、2022年1月4日にあげた記事になります。
なんだか、ものすご~く遠い昔の感覚になります。

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新年明けてから、どうしても袖を通したい着物があった。 

昨年の11月に、母から譲り受けた祖母の着物。
と言っても、私は祖母に会ったことがない。

さらに言えば。
祖母は母を生んだわずか数ヶ月後に亡くなったので、
私の母は実母の顔を知らずに育った。

その祖母の着物だと初めて見せてもらったのは20代の頃。

黒の地味な着物と言う印象しかなかったが、
その手触りは驚くほど柔らかくしなやかで、現代のものとはずいぶん違っていた。

母にとっては、実の母の形見の着物。
大切に保管はしていたけれども1度も袖は通さなかったようだ。

アンサンブルになっていて、亡き祖母がいくつの時に仕立てたものだろう。
母が現在79歳だから…。
少なくとも、80年の時を経て、孫の私の元に来た…ということになる。

絹の光沢がまろやかで、軽くて柔らかな手触り。
今となっては、もう手に入らない貴重なものだということがわかる。

着物を通して感じた祖母のエネルギーはあまりにも可憐で、
触れた瞬間なぜか涙が溢れた。

亡くなった祖母の倍以上を生きて、
人間としての…しぶとさのようなものを身に着けた私とは違う儚げなものだった。

「おばあちゃん、私がこの着物を着れば一緒にデートができるね♡」
「お正月に一緒に初詣に行こう!」

そんな経緯があり、今日は地元の友人と初詣。





着付けについては、昔のものということに加えて、私とは寸法も違い、
特に身丈が短くて…おはしょりがぎりぎりだったけど何とかなったのでホッ。
裄丈が短いのは仕方なし。







草履とバッグは、これまた母から譲り受けたろうけつ染めのもの。



無事にお詣りをすませ、お昼は「なだ万」のお弁当。
やっぱり美味しいね~と完食。



食後は、松屋銀座に入っている「茶の葉」さんの花びら餅とお抹茶を。



幸せな2022年の始まり♡
つきあってくれた友人にも…ありがとう!


幸せにしかならない世界

2022年09月16日 | 目覚め
そんな都合のいい話なんて、あるわけないじゃない。
そう思っているうちは、その世界を体験出来ない。

そして「幸せ」の意味するところも、以前とはまるっきり違うことに気づく。

たとえ同じ場所にいて。
同じものを見ていても。
それぞれが、全く違う世界に存在しているということはある。


先日の個人セッションでも、そんな話をしたが。

彼女いわく…。
「以前のように悩んでいいよ」と言われても無理なんです、出来ないんです。
なぜ、あんなことで…あそこまで悩んでいたのか、全く思い出せないんです。
自分でも笑えます。
どんだけエネルギー無駄遣いしてたんだろう…って。

このエネルギーの無駄遣いがなくなると、自ずとあらゆるところが勝手に調和し始める。

そして「命の欲求」といえるようなものが湧いてくる。

それは「考える」ものでも「教えてもらう」ものでもない。

「探す」ものでも「掴み取る」ものでもない。


色々なものが削ぎ落とされたら「顕れる」もの。


だからといって、だいそれたものとは限らない。
日常の中に根ざしているし、固定化されたものでもない。

この命の欲求に従っていると、幸せにしかならないことがわかる。

楽しくて、ユルくて、ラク。
別の言い方をすれば「本当の自分」で生きていく。

昔の私は、全部が真逆だった。
楽しいのは不真面目。
ユルいのはだらしがない。
ラクなのはズルい。
そんな風にとらえていた。

そりゃあ、しんどいわ…と思う。


この世の全ては実体はなく何も起こっていない…
という大元に寄り過ぎても味気ないし、肉体を着ている醍醐味がない。

だからといって、肉体の中にどっぷり入って堪能し過ぎても…
それはそれでキツい時もある。

その間を、行き来出来るとこの世界は彩り豊かで俄然楽しくなる。


食いしん坊の私は、美味しいものをいただく時は、堪能したい。
写真のチョコレートは、仕事でお世話になっている方からのプレゼント。



お忙しい時間をぬって、昨日わざわざ買ってきて下さった。
嬉しいなぁ♡





ちょっとずつ…いただきます。