魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

非日常の世界

2022年09月23日 | 日記
Facebook、2022年4月7日にあげた記事。

非日常の時間空間を味わわせていただきました。

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素敵な先輩にお声がけいただき、
今年も幽玄の世界「夜桜薪能」を観賞させていただきました。

場所は、靖国神社の内苑。



夕暮れ時から夜にかけて変わりゆく、
桜と能舞台の組み合わせは「静と動」「光と影」を感じさせてくれます。



厳かな火入れ式が終わると、場の空気がガラッと変わって異次元の世界へ。



昼間とは違った表情になる桜の花びらが、
ときおりハラハラと舞い散る中、非日常のときを過ごすことが出来ました。



昨日は寒さも少し緩み…念の為にと持参したカイロも出番がなくホッ。
夜の静寂(しじま)に響き渡るお囃子の音の余韻が続きました。
この度は、お誘いいただきありがとうございました。

あらゆるものの中に「愛」を見出し、感じることが出来るのがこの世界

2022年09月23日 | 目覚め
Facebook、2022年4月5日にあげた記事。

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「愛でメシが食えるか」

「愛?なに寝ぼけたこと言ってんの」

この言葉そのまんまじゃないけど。
これに近いことを大人達が言っているのを、子供の私は何度も耳にした。

彼らが言う「愛」っていったいどういうものだったんだろう…。

そして、今の私にとって「愛」ってなんだろうと、フッと思った。

答えはひとつじゃないし、言葉で表現できないことも沢山ある。


夫が死んだ直後からしばらくの間、
かろうじて水分だけはとっていたけど本当に何も喉を通らなかった。

なのに、日が経つに連れてお腹が空いていく自分がいた。
食べたいという欲求が情けなく、なぜか恥ずかしくて恨めしくも感じた。


でもそこには、私の命を動かし続けていていたものが間違いなくあった。
受け取るとか、受け取らないとか、そんなこととは関係なく。

この私を私たらしめるもの。
「根源」とも言えるし「無条件の愛」とも言えると思う。


一方、誰かの想いや言葉だったり、
行動を通して「愛」を感じたり響きあうことも素敵だと思う。

人だけではなく、動植物や自然、そして人が創造したものも含めて。
見るもの、触れるもの、聴くものの中に。

さらに、この目で見えなくても、この手で触れることが出来なくても。
あらゆるものの中に「愛」を見出し、感じることが出来るのがこの世界なんだと思う。

「愛で飯が食えるか」と言われれば。
大きな愛で生かされていないと、そもそも飯も食えないし。

「寝ぼけているのか」と言われれば。
寝ぼけたままだと、愛を見出すことも感じることも出来ない。

「本質に目覚める」って「愛に目覚める」ことなんだなぁと今更ながら思う。



私は、愛を開いていくと決める

2022年09月23日 | 目覚め
Facebook、2022年4月4日にあげた記事。

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甘えたいのに甘えられない。
伝えたいのに伝えられない。

思いきって言ってはみたものの。
ぎこちないこと…この上ない。

あるいは。
口をついて出るのは、本心とは裏腹な言葉ばかり。

言ってしまって自己嫌悪。
時には、相手に責任転嫁。

「もう、いまさら」
「どうせ無理だし」

大人になればなるほど。
素直に愛を求めて、素直に受け取ることが難しくなる。

どこかで拒絶されたと感じたり。
受け入れてもらえないと思い込んだり。

自分から誰かに愛を表現することが怖くなる。
いつも、相手の出方を待つことが当たり前になってしまう。

自分は口をつぐみ、相手の言動が思い通りでないことに勝手に腹を立て落ち込む。

そんな自分を好きになれるはずがない。
私自身が自分のことを嫌っているのに。
誰がこんな私を愛してくれるの?

この状態から脱することが出来ないと、多くのものを受け取りそこねてしまう。

それらが欲しいから、ではなく。
既に自分に向けられている沢山の愛に気づくことが出来ないから。

じゃあ、脱するには。
このダメな部分をなおしてから、とか。
イケてない部分をどうにかして、とか。
あれこれやりがちだけど。

自分のことが嫌いなら嫌いのままでいい。

葛藤を抱えたままでもいい。

私は、愛を開いていくと決める。

そうすれば、始まっていくものだと思う。


ゆったりと・・・

2022年09月23日 | スイーツ&グルメ&料理
Facebook、2022年4月3日にあげた記事。

年々、和食がいいなぁと感じるようになってきました。
こちらのお店は、器もお料理も季節を感じさせてくれるので、
定期的に伺いたい場所です。

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季節ごとに変わるお料理と、合わせた器を楽しめるのは和食の醍醐味だな〜♡
そう思わせてくれるお店に先月伺いました。

先付・お椀・お造り・凌ぎ・焼物・煮物・食事・デザートのコースをいただきました。

桜の時期ということで、器にも花が咲いて華やかな雰囲気🌸



特にお椀に施された枝垂れ桜は、
塗りの黒を背景に浮かび上がるようで見とれてしまいました🥰



蓋を開けるとお出汁の香りが広がってなんとも言えず幸せな気持ち。



珍しかったのが「あんこう」のお刺し身。
各部位の説明を伺ったのですが、
肝は耳にしたことはあっても、エラ?とかヒレとか卵とか…
見るのも聞くのも食べるのも初めて😲
貴重な体験になりました。



黒むつ、名物の百合根饅頭も美味しくて体に染み渡るような感覚でした。







土鍋で炊いたえんどう豆のご飯は、春の味。
写真にうつっているのはごく一部で、中にたっぷり…えんどうさん隠れていました。



最後のデザートは3種。
中でも、抹茶のプリンは濃厚で思わず「んまっ!」。



大満足のお食事。
ご馳走さまでした😊✨

不在だった「私」を取り戻すことが大切

2022年09月23日 | 目覚め
Facebook、2022年4月2日にあげた記事。

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女はオトコゴコロがわからない。

そしてきっと、
男もオンナゴコロがわからない。

もっと言えば、他人のココロはわからない。


だからその人と深く関わりたいと思えば、
やっぱり言葉でもってコミュニケーションするしかない。

もちろん深さの度合いによっても違ってくるけど、いきなりすぐには難しい。

なぜなら、それまでやってこなかったから。


子供の頃は、親が絶対だった。
自分の意見を言おうものなら、
「親の言うことが聞けないのか」
「親に向かってなんて口きくの」
と聞き入れてもらえず、態度であらわすのが精一杯だった。

社会に出たら出たで、親が上司や組織に変わっただけだった。


保護色の生き物のように、
その場その場に合わせて身体の色を変えていれば安心だったし、
ある意味ラクだと思っていた。


家族という単位の中では「いい子」。
学校という単位の中では「優等生」。
組織という単位の中では「YES MAN」。


でも、人間という生き物は身体の色を変えてしまうと、
その色に見合う考え方や立ち居振る舞いをしてしまうものらしい。
(いい子や優等生がいけないというわけではなく)


長い年月をかけて、本当の自分からどんどん遠ざかり…
気づけば「私」が不在のまま歳だけを重ねていた。

だから、親が悪い社会が悪いということが焦点ではない。


借り物の言葉ではなく、
自分の言葉で相手に想いを伝えられるようになるには時間がかかると思う。

また、どれだけ豊富な語彙知識を持っていたとしても、
そこに心が入らなければ相手には伝わらないことも実感した。

だから、不在だった「私」を取り戻すことが大切になってくる。
でなければ、本心もわからないし、本心がわからなければ、本音も言えない。

自分の本当の気持ちを言葉に出せるようになってくると、想いと行動が一致してくる。

誰とも被らない「私」の色が出てくる。

似ているようでも、少しずつ違う色もそれぞれに美しいと感じるようになってきた。