新古今和歌集の部屋

長明発心集 第一 佐國華を愛し蝶となる事付六波羅寺幸仙橘木を愛する事

 

 

 

 

 

佐國愛華成蝶事付六波羅寺幸
          仙愛橘木事

或人圓宗寺の八講と云事に参りたけるに、時まつ

程やゝ久しかりければ、其あたり近き人の家をかりて且

く立入たりけるが、かくて其家をみれば、つくれる家のいと

廣も非ぬ庭前栽をヱもいはず木共うへて、うへに假屋


のかまえをしつゝ、聊か水をかけたりけり。色々の花かづを

つくして錦を打をほへるが如く見へたり。殊にさま/"\なる

蝶いくらともなく遊あへり。事ざまの難有覚へてわざと

あるじをよび出てゝ此事を問り。あるぢの云樣是はなをざり

の事にも非ず。思ふ心ありてうへて侍り。をのれは佐國と

申て人にしられたる博士の子にて侍り。彼父世に

侍りし時ふかく花を興じて折につけて是を翫び

侍りき。且は其心ざしをば詩にも作れり六十餘國見れど

も未あかず。他生にも定めて花を愛する人たらんなむど作り

置て侍べりつれば自ら生死の會執にもや罷成けんと


疑はしく侍し程に、ある者の夢に蝶に成て侍ると

見たる由を語侍れば、罪深く覚へて然らば若これらにもや

まよひ侍るらむとて心の及ぶ程うへて侍る也。其に

とりて唯花ばかりは猶あかず侍ればあまつら蜜なむどを

朝ごとにそゝぎ侍るとぞ語りける。  又六波羅寺の

住僧幸仙と云ける者は年來道心深かりけるが、

橘の木を愛し、いさゝか彼執心によりて、くちなわと

成て彼木の下にぞ住みける。委くは傳にあり。加樣に

人に知るゝはまれなり。すべて念々の妄執一々に悪

身を受る事ははたして疑なし。實に恐てもをそるべき


事なり。

圓宗寺 京都市右京区、仁和寺の西南方にあった天台宗の寺。延久二年(一〇七〇)後三条天皇の勅で建立。初め円明寺といった。四円寺の一つ。天台宗の北京三会(さんえ)のうち、最勝会、法華会の勅会(ちょくえ)を修したことで知られる。

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