小右記(実資)
長保元年十月
廿三日(道長彰子入内のため屏風和歌を諸卿に課す)
源相公、左府の使の為に来る。屏風和哥の題を授ける。其詞に云ふ。倭歌讀むべきは、左右更に難しと返事を申す。只陳べるべく申して白く由矣。上達部多分に件の題を得る云々。又非参議能く哥者給す云々。上達部役は荷汲を及ぶべきか。
実資 歌は詠まぬ。
俊賢 そこを、なんとか。学才並ぶ者無き、中納言様の御歌を、左大臣樣は、切にお望みでございます。
実資 公卿が屏風歌を詠むなど、あり得ない。先例も無い。
鸚鵡 先例
廿八日(道長第にて彰子入内のための和歌の撰定あり)
・・・平中納言、藤宰相、式部大輔、宮大夫參入。彼此云ふ。昨、左府に於いて和哥を撰定す。是、入内女御打屏風歌。華山法皇、右衛門督公任、左兵衛督高遠、宰相中將齋信、源宰相俊賢、皆有和哥。上達部、左府の命に依り和哥を獻ず。往古事を聞かず也。何を況んや法皇御製か。又、主人の和哥有り云々。
今夕、披催和哥の御消息有り。申すに堪えずしむ由。定めて有り、不快の色か。此事不甘の心事也。又右衛門督是廷尉、凡人に異なる。近來の氣色、猶以て追從、一家家風豈に此如しや。嗟乎、痛いか。上達部近日近日西京に參る云々。今夕右衛門督、左府の命に依り参詣。
廿九日(再び和歌提出を断る)
和哥の事、以て源相公の譴責有り、重ねて申す堪えずと。
実資 左大臣家の姫は、未だ入内前。女御にもなっておらん者の為に、何故公卿が歌を詠まねばならんのか。
俊賢 それは・・・。
実資 左大臣樣は、公と私を混同されておる。
卅日 ・・・右大辨行成書屏風色紙形、華山法皇、主人相府、右大將、右衛門督、宰相中將、源宰相和哥、書色紙形。皆名を書く。後代已面目を失う。但し、法皇御製讀み人知らず。左府云ふ、左大臣書く。件の事、奇恠な事也。主人余和哥の責。獻じる詞に到る、承らず引く。右大辨書了える。
十一月七日 卯刻中宮男子を産む。前但馬守生昌三條宅。世に云ふ横川皮仙。・・・傳え聞く、主上今日初めて女御の直廬に渡り給ふ。・・・上達部女御の直廬に詣でる。源大納言、右大將、民部卿、余、平中納言、藤相公、左衛門督、右衛門督、左中辨、宰相中將、源相公。盃酒有り。巡行算無く。上達部淵醉侍る。唱哥朗詠有り。賀茂祭の調樂、直廬を經て東邊に參入す。左府暫く留まる。以て右衛門權佐宣孝、酒を勸めしむる。舞人曰く、人出舞若しくは何故か。戌時許り南殿に環御す。左府主人余の手を携へ候て御共の使い、更に直廬に引き入れ、装束を見せしむ。・・・
権記(行成)
長保元年十月
卅日(屏風の大和絵に歌を書く)
内より西京に參ず。倭繪四尺屏風の色帋形に書く。故恒則繪、哥者當時左丞相以下讀之。
十一月一日(今夕姫君入内)
内より左府に詣でる。今夕、姫君入内。戌剋、蔵人左中辨道方、御使參る爲、許す。亥剋入内。
御堂関白記(道長)
十月
廿一日 人々をして屏風の和歌を詠せしむ。
廿七日 屏風歌、人々持ち来る。
参考文献
史料大成 別巻1 小右記 臨川書店
史料大成 権記 臨川書店