
三手習の心也
さすがに人のゆるさぬことなれば、かはりた
昔はさげ
らんさまみえんもいとはづかしく、かみ
尼とてかぶろのやうにせしと也
のすそのにはかにおほどれたるやうに、
しどけなくさへそがれたるを、むつかしき
こと共いはで、つくろはん人もがなと、なに
細人々を恥たる也
ごとにつけてもつゝましくて、くらう
しなしておはす。思ふことを人にいひつゞ
けんことのはゝ、もとよりだにはか/"\し
からぬ身を、まいてなつかしくことわる
すゞり
べき人さへなければ、たゞ硯にむかひて、
思あまるおりには、手ならひをのみ、た
けきことゝはかきつけ給
頭注
おほどれたるやう 抄髪のす
そのみだりがはしくそがれたるを云。
むつかしき事ともいはで
つくろはん人もかな
不承のけしきなくつく
ろふ人もかなと也。
なつかしくことはるべき人
さへ 三心中におもふ事
をかくといはん人もなき
と也。
たけき事は
三至極の方人と也。

浮舟
なきものに身をも人をも思つゝすて
てし世をぞさらにすてつる。いまはかくて
かぎりつるぞかしとかきても、猶みづから
はいと哀とみ給。
浮舟
かぎりぞと思ひなりにし世中を返々
細同心なる哥と也
もそむきぬる哉。おなじすぢのことを、とか
くかきすさびゐ給へるに、中将の御文あり。
少将尼などの心也
物さはがしくあきれたるこゝちしあへる
細いひやりたる也 孟中将
ほどにて、かゝることなどいひてげり。いと
の心也
あへなしと思てかゝる心ふかくありける人
なりければ、はかなきいらへをもしそめじ
と思ひはなるゝなりけり。さてもあへな
頭注
なき物に 細手習君の
一生也。身をも人をも
なき物に思ひ捨てたる也。
孟もとより捨る身を又
出家すれば也。抄身をも
人をもとは手習の我身を
捨るから、思ふべき人々をも
思ひ捨し心なるべし。
かぎりぞと 孟両首
おなじ心をよみ給へり。
今はとかぎりの哀たへぬ折
なるべし。さればおなじす
ぢの事をと詞にもかけり。
尤哀なり/\。
かゝることなど 三中将
の方へ手習の尼になり
たるをいふ也。

きわざかな。いとおかしくみえしかみの程
を、たしかにみせよとひと夜もかたらひ
可然折に見せんと少将の尼のいひしなるべし
しかば、さるべからんおりにといひしものを
と、いとくちおしくて、立かへり、きこえん
かたなきは、
中将
きしとをくこぎはなるらんあま舟゙に
のりをくれじといそがるゝ哉。例ならずと
中将の心を推量
りてみ給。ものゝ哀なるおりに、今はと思
りて哀と思ひ給ふ也
ふも哀なる物から、いかゞおぼさるらん。いと
はかなきものゝはしに
手習君
こゝろこそうき世のきしをはなるれど
行衛もしらぬあまのうき木を。例の手習
頭注
たしかにみせよとひとひ夜
もかたらひしかば
抄中将の少将尼などに
かたらひしなるべし。
聞えんかたなきは
師中将の文の詞也。こと
ばよりうたにつけてか
けり。
きしとをく 細此世の岸
也。愚案手習の出家し
給ふ悲しみに中将も共
に世を捨んとおもはる
ると也。
例ならずとりて
孟尼になり給へば中将
の文を初て見給ふ也哢
今はと思ふも哀なる物
から 中将の心を推して
哀と思ひ給ふ心也。中将の
手習君をさりともと思
ひしを今はと思ふらんも
さすがに哀は思ふ物から

頭注
今はかひなきをとこゝをふくめたる詞なるべし。
いかゝおぼさるらんとは 終に返哥したまはざりしをとなり。
心こそ 細うき木は舟なり。世を捨はてたれどゝ卑下してかく世をば捨たれど猶定
なしと也。
手習君の自筆ならでもつか
にし給へるを、つゝみて奉る。かきうつしてだに
はせとの心也 三少将尼詞
こそとのたまへど、中/\かきそこなひ侍り
細中将の心也
なんとてやりつ。めづらしきにもいふか
孟はつせより尼君
たなくかなしくなんおぼえける。物まうで
かへり給ふ也 孟浮舟の出家を也
のひとかへり給て、思さはぎ給ことかぎり
細尼君の詞也。孟出家の身にてはすゝめて可申にと也
なし。かゝる身にてはすゝめきこえんこそ
はと思ひなし侍れど、のこりおほかる御身を
いかでへ給はむとすらん。をのれは世に侍
らんこと、けふあすともしりがたきに、いか
でうしろやすくみをきたてまつらんと、よ
頭注
つゝみてたてまつる
手習にし給へるうたを
包て中将のかたへ少将
の奉る也。
をのれは世に侍らんこと
抄尼君の行衛みじか
きをいふ也。
流石に、人の許さぬ事なれば、変はりたらん樣見えんも、いと恥づ
かしく、髪の裾の俄におほどれたるやうに、しどけなくさへ削がれ
たるを、難しき事ども言はで、繕はん人もがなと、何事に付けても、
慎ましくて、暗うしなして御座す。思ふ事を人に言ひ続けん言の葉
は、元よりだにはかばかしからぬ身を、まいて懐かしく、断るべき
人さへなければ、ただ硯に向かひて、思ひ余る折りには、手習をの
み、たけき事とは書き付け給ふ。
浮舟
亡きものに身をも人をも思ひつつ捨てし世をぞ更に捨てつる
浮舟
亡きものに身をも人をも思ひつつ捨てし世をぞ更に捨てつる
今は、かくて限りつるぞかしと書きても、猶自らは、いと哀と見給
ふ。
浮舟
限りぞと思ひなりにし世の中を返す返すも背きぬるかな
浮舟
限りぞと思ひなりにし世の中を返す返すも背きぬるかな
同じ筋の事を、兎角書きすさび居給へるに、中将の御文あり。物騒
がしく呆れたる心地しあへる程にて、かかる事など言ひてげり。い
とあへ無しと思ひて、かかる心深く有りける人なりければ、儚き答
(いらへ)をもしそめじと思ひ離るるなりけり。さてもあへなきわ
ざかな。いとおかしく見えし髪の程を、確かに見せよと、一夜も語
ざかな。いとおかしく見えし髪の程を、確かに見せよと、一夜も語
らひしかば、然るべからん折りにと言ひしものをと、いと口惜しく
て、立ち返り、
「聞こえん方無きは、」
中将
岸遠く漕ぎ離るらんあま舟にのり遅れじと急がるるかな
中将
岸遠く漕ぎ離るらんあま舟にのり遅れじと急がるるかな
例ならず取りて見給ふ。物の哀なる折りに、今はと思ふも哀なる物
から、如何おぼさるらん。いと儚き物の端に
手習君
心こそうき世の岸を離るれど行方も知らぬあまのうき木を
手習君
心こそうき世の岸を離るれど行方も知らぬあまのうき木を
例の手習にし給へるを、包みて奉る。
「書き写してだにこそ」と宣へど、
「中々書き損なひ侍りなん」とて、遣りつ。珍しきにも言ふかた無
く、悲しくなん覚えける。
物詣での人帰り給ひて、思ひ騒ぎ給ふ事限り無し。
「かかる身にては、勧め聞こえんこそはと思ひなし侍れど、残り多
かる御身を、如何で経給はむとすらん。己は、世に侍らんこと、今
日明日とも知り難きに、いかで後ろ安く見置き奉らんと、万
和歌
浮舟
亡きものに身をも人をも思ひつつ捨てし世をぞ更に捨てつる
亡きものに身をも人をも思ひつつ捨てし世をぞ更に捨てつる
よみ:なきものにみをもひとをもおもひつつすてしよをぞさらにすてつる
意味:入水して、悩み疲れた自分の身も二人の思いも、亡きものしてしまおうと捨てた世を、更に出家して捨てたのだ。
備考:
浮舟
限りぞと思ひなりにし世の中を返す返すも背きぬるかな
限りぞと思ひなりにし世の中を返す返すも背きぬるかな
よみ:かぎりぞとおもひなりにしよのなかをかへすがへすもそむきぬるかな
意味:もうおしまいにしようと思っていたこの世を、重ねて出家して捨てたのだ。
備考:「かくて限りつるぞかし」より。全集は、浮舟帖の「鐘の音の~我が世尽きぬと君に伝へよ」との関連を。新体系は、「惑いを更に払おうと自分に言い聞かせる趣」。
中将
岸遠く漕ぎ離るらんあま舟にのり遅れじと急がるるかな
岸遠く漕ぎ離るらんあま舟にのり遅れじと急がるるかな
よみ:きしとをくこぎはなるらんあまぶねにのりおくれじといそがるるかな
意味:彼岸に向かって、此岸から漕ぎ離れ尼となった貴女に、仏法の力で乗り遅れまいと、私も出家したい気持ちです。急に出家した貴女と同じ樣に。
備考:尼と海士、乗りと法の掛詞。岸、漕ぎ離れは舟の縁語。
浮舟
心こそうき世の岸を離るれど行方も知らぬあまのうき木を
よみ:こころこそうきよのきしをはなるれどゆくゑもしらぬあまのうきぎを
意味:心は、尼となって憂世の此岸を離れましたが、この先どこへ行くのか、どうなるか分からない頼りない漂うだけの筏です。
備考:尼と海士の掛詞。
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄 九条禅閣植通
※河 河海抄 四辻左大臣善成
※細 細流抄 西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄 牡丹花肖柏
※和 和秘抄 一条禅閣兼良
※明 明星抄 西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
