心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

3・11以後に向けて(7) 2011/06/22 13:41

2011-07-03 00:30:00 | 3・11と原発問題

残念ながらわがニッポンでは、こんな「理性」がいつも、さまざまな重要な事柄の、何が「正しい」情報なのかを決定してきました。それに外れると判断された情報は、たとえ(科学的に!)正しいものであっても、隠蔽され黙殺され、「デマ」として排除され抑圧される。
諸外国のメディアは、日本のマスコミよりずっと的を射た報道をしても、しばしば「行過ぎた過剰な報道」として、日本政府(外務省)から訂正を求められねばなりませんでした。もちろん「明らかな事実誤認」もあり、「原発事故で作業員が5人死亡」といった記事が次々と転電されるなどは、訂正されて当然ですが、他方では、オハイオ州のタブロイド紙の例のように、「ヒロシマ」「ナガサキ」「フクシマ」とキノコ雲が3つ並んだ漫画を掲載しただけで、在デトロイト日本総領事館から「事故と原爆を同一に扱うのは不適切」と抗議され、謝罪のうえ、ネット上に掲載された漫画も削除する、「過剰報道狩り」もみられました(朝日新聞4月8日付)。
それでいて、福島第1原発3号機がプルサーマル稼動でプルトニウムを所有するという基本的な事実さえ、海外では震災後1週間以内までに、欧米から中国・韓国に至る多くのメディアで伝えられる周知の事実だったのに、当のわがニッポン国内では、専門家や反対運動界隈以外ではほとんど知られておらず、3月29日に3号機敷地内の土壌からプルトニウム検出が明るみに出てはじめて、慌てて少し、その時だけ、報道されるのです。

ましてネット空間への当局の猜疑心は格別で、早くも震災当日にデマ取締りの方針を決定した警察庁は、3月17日には、各都道府県警に、ネット上のデマと判断した書き込みは事業者に削除を要請するよう指示、表現内容にまで警察が直接踏み込むという前代未聞の対応を見せました。折しもその日、ツイッターに宮城選出の参院議員(自民党)・熊谷大氏が、「ガソリン抜き取りや火事場泥棒が報告されている。こういう時だからこそ助けあおう」と書き込み、それを誰かがネットに転載した、こんなものまで「デマ」と判断されて、警視庁の要請で削除されてしまいました(朝日新聞5月2日付)。
一体これは正しくない情報なのでしょうか? ちなみに、3月30日の衆院法務委員会で警察庁生活安全局長は、「ガソリン抜き取りや侵入窃盗が相当数発生している」と答弁しています(同紙)。すると問題は何? ……「正しい」か「正しくない」かは当局が決める。また、「正しい」としても、それを「誰が」言ってもいいかも当局が決める。要はそういうことでしょうか。でもこれでは、事態は<災害ナショナリズム>どころか、もはや<災害ファシズム>(野田正彰・鎌田慧など)になってしまいます。それともそうやって、日本版ジャスミン革命が勃発するのを、ひそかに応援しているのでしょうか(笑)。4月6日には今度は総務省が、ネット上のデマの自主的な削除を各事業者に要請する通達を出したところをみると、どうやら本気なのかもしれません!

一方、本当は正しくないかもしれない情報も、できるだけ「正しい」ものであるかのように、できるだけ曖昧な表現を使って発表されます。たとえば、放射能問題をめぐって、政府が繰り返し表明してすっかり流行語(!)にまでなった、「ただちに健康に害のある値ではない」というあの文言。あれこそよっぽど、「国民の不安を煽る」デマに相当しないでしょうか。デマのおこりやすさは、事柄の曖昧さと重要さ(関心度)の積に比例し、断片的であるほど・抽象的であるほど・よそよそしい態度で語られるほど、デマの材料になりやすいというのは、もう何十年も前から社会心理学の「常識」(科学的真理!?)です(オールポート『デマの心理学』、清水幾太郎『流言蜚語』)。デマの取締りというなら、警察はまずこうした政府をこそ取り締まらなければなりません。
では取り締まって削除すれば落ち着くかというと、おそらく現実はそう単純でない。ネット上のデマも同じでしょうが、むしろますますデマを増殖させるだけでしょう。なぜなら、よほど政府に都合の悪い事実だから削除された(あるいは見当たらない)のだろうという推測を、猛烈に煽ることになるからです。
とすると、もはや残る選択肢は1つ。政府は、おのれの都合のフィルターを通さずに、事実をありのままに公開すべきです。公開して、公共の場で皆がさまざまの立場から、対等に、しっかりと討論すべきなんです。それが公的機関としての政府の第一の役割であり、責任であり、それこそが<公助>の第一歩でなければなりません。またそのとき、デマに対しても最も効果的な火消し役となるはずです。……と、こんな主張もそれ自体1つの「デマ」にすぎないというのであれば(論理的にはそうなりかねない)、むしろ政府はネット空間に目を向け、しかと観察し、虚心に見習いなさい。多くのガセ情報が飛び交うたびに、即座に検証し訂正してまわる「検証屋」(荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』)の働きぶりが、政府より何歩も先を行く、よき理性を備えていることに気づくはずです。

こんなふうに、まず言論や情報メディアのレベルで見てきただけでも、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”の<災害ナショナリズム>は、前に見たように<災害ユートピア>の方へたえず踏み越えられるにとどまらず、今度は<災害ファシズム>の方へもたえず踏み越えられてゆくポテンシャルに満ち満ちていることがわかります。しかもこれは、単に言論や情報メディアの問題だからではありません。あくまでそれは波頭の一滴。深海に蠢くもっとおどろおどろしいうねりこそが本命です。

<つづく>


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