今年の硫黄島訪問で島に上陸して最初の行事が慰霊祭でした。
慰霊祭会場の「硫黄島旧島民平和祈念墓地公園」には、旧島民で軍属として残って戦争の犠牲者になった82名(うち5人が私の親族)の名前が彫られた碑などがあります。
式の後半では、全員による献花があり、その後で、父島の小笠原中学校、母島中学校の生徒代表の方が、力強く、ご自分たちの言葉で、「戦争について、学んできて感じたこと。この慰霊祭で将来に向けて、語りたいこと」を 「誓いの言葉」として、捧げてくれました。
「誓いの言葉」に続く「献歌」(犬童球渓 作詞「故郷の廃屋」)では、歌いながら、いつしか、多くの方が、涙ぐんだり、すすり泣いたり、していました。あの歌詞をあの式典で、泣かずに歌うのは、かなり難儀なことでした。
写真は 中学生代表の方が捧げて下さった「誓いの言葉」と千羽鶴、遺族代表の方が捧げて下さった「追悼の言葉」、全員で献じたお花。
この「硫黄島旧島民平和祈念墓地公園」には、「硫黄島開拓の碑」もあります。
慰霊祭会場の「硫黄島旧島民平和祈念墓地公園」には、旧島民で軍属として残って戦争の犠牲者になった82名(うち5人が私の親族)の名前が彫られた碑などがあります。
式の後半では、全員による献花があり、その後で、父島の小笠原中学校、母島中学校の生徒代表の方が、力強く、ご自分たちの言葉で、「戦争について、学んできて感じたこと。この慰霊祭で将来に向けて、語りたいこと」を 「誓いの言葉」として、捧げてくれました。
「誓いの言葉」に続く「献歌」(犬童球渓 作詞「故郷の廃屋」)では、歌いながら、いつしか、多くの方が、涙ぐんだり、すすり泣いたり、していました。あの歌詞をあの式典で、泣かずに歌うのは、かなり難儀なことでした。
写真は 中学生代表の方が捧げて下さった「誓いの言葉」と千羽鶴、遺族代表の方が捧げて下さった「追悼の言葉」、全員で献じたお花。
この「硫黄島旧島民平和祈念墓地公園」には、「硫黄島開拓の碑」もあります。