( 前出の小笠原村 発行のパンフレット
「硫黄島 -硫黄島島民平和祈念墓地公園開設15周年記念- 」から
歌詞とコメントを引用させていただきます。)
「
故郷(故郷)の廃家(はいか)
犬童球渓
一 幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば
咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
なれにし昔に、変らねど、
あれたる我家(わがいえ)に、
住む人絶えて無く。
二 昔を語るか、そよぐ風
昔をうつすか、澄める水、
朝夕かたみに、手をとりて、
遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
さびしき故郷や、
さびしき我家や。
」
慰霊祭で、歌詞の印刷された紙が配られ、全員で歌いました。
戦前に島で生まれて、帰る故郷がなくなった世代の方々には、思いがつまされる歌詞だと思います。
島で生まれていない、私のような年代の者でも「涙ぐまずに歌うことができなかった。」理由を紹介させて下さい。
小笠原村発行パンフレット「硫黄島」も、この歌詞を紹介して下さっていて、
さらにこの曲に関するエピソードも紹介されています。その部分も引用させていただきます。
「
「故郷の廃家」には、
次のような話が伝えられています。
硫黄島での先頭が激化する中、避難していた少年兵達が、壕から顔を出すと、 真っ赤な夕日が顔を染め、その夕日に故郷の両親を思い合わせ、この歌をひとり が歌い、ふたりが歌いするうちに、大勢の合唱となり、それを陰で聞いていた市 丸少将が「十五~十六歳のこの子らを、道連れにするしのびがたさに涙を浮かべ た」ということです。
」
パンフレットは、出発前に小笠原村が郵送して下さっていて、目を通していました。
私の祖父の弟と甥(母の従兄弟)も、十代で、島に残って戦士しています。
軍属として島に残った人、各地から集められた少年兵の十代の少年達が、生きて帰れる見込みがない戦闘の島で「何を思いながらこの歌を合唱したのだろうか」と思い、合唱する少年達を眺めたという「市丸少将(多くのWeb,ブログにも紹介されています)の思いはどうだったろうか?」と思いながら歌いました。
作詞者の犬童球渓のウェブサイト
http://www.city.hitoyoshi.kumamoto.jp/contents/7d390b0e260733c/7d390b0e260733c5.htm
この公園からは係留されているおがさわら丸が良く見えました。大きな船です。
おがささわら丸(小笠原海運)のウェブサイト
http://www.ogasawarakaiun.co.jp/index.html
「硫黄島 -硫黄島島民平和祈念墓地公園開設15周年記念- 」から
歌詞とコメントを引用させていただきます。)
「
故郷(故郷)の廃家(はいか)
犬童球渓
一 幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば
咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
なれにし昔に、変らねど、
あれたる我家(わがいえ)に、
住む人絶えて無く。
二 昔を語るか、そよぐ風
昔をうつすか、澄める水、
朝夕かたみに、手をとりて、
遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
さびしき故郷や、
さびしき我家や。
」
慰霊祭で、歌詞の印刷された紙が配られ、全員で歌いました。
戦前に島で生まれて、帰る故郷がなくなった世代の方々には、思いがつまされる歌詞だと思います。
島で生まれていない、私のような年代の者でも「涙ぐまずに歌うことができなかった。」理由を紹介させて下さい。
小笠原村発行パンフレット「硫黄島」も、この歌詞を紹介して下さっていて、
さらにこの曲に関するエピソードも紹介されています。その部分も引用させていただきます。
「
「故郷の廃家」には、
次のような話が伝えられています。
硫黄島での先頭が激化する中、避難していた少年兵達が、壕から顔を出すと、 真っ赤な夕日が顔を染め、その夕日に故郷の両親を思い合わせ、この歌をひとり が歌い、ふたりが歌いするうちに、大勢の合唱となり、それを陰で聞いていた市 丸少将が「十五~十六歳のこの子らを、道連れにするしのびがたさに涙を浮かべ た」ということです。
」
パンフレットは、出発前に小笠原村が郵送して下さっていて、目を通していました。
私の祖父の弟と甥(母の従兄弟)も、十代で、島に残って戦士しています。
軍属として島に残った人、各地から集められた少年兵の十代の少年達が、生きて帰れる見込みがない戦闘の島で「何を思いながらこの歌を合唱したのだろうか」と思い、合唱する少年達を眺めたという「市丸少将(多くのWeb,ブログにも紹介されています)の思いはどうだったろうか?」と思いながら歌いました。
作詞者の犬童球渓のウェブサイト
http://www.city.hitoyoshi.kumamoto.jp/contents/7d390b0e260733c/7d390b0e260733c5.htm
この公園からは係留されているおがさわら丸が良く見えました。大きな船です。
おがささわら丸(小笠原海運)のウェブサイト
http://www.ogasawarakaiun.co.jp/index.html
ワシモ(WaShimo)様
素晴らしいメール・マガジン、ホームページの「レポート&コラム」に、素晴らしい文章でのご紹介をいただけるとのこと、本当に有難うございました。
よろしくお願い申しあげます。
【INDEX】ボタンを押して、これまでのタイトルを見せていただき、びっくりしました!
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私は大学で日本近代政治史思想史を専攻して、「陸奥宗光論 初期議会の考察」が卒業論文でした。幕末から明治にかけての思想史専攻で、ゼミの教授の専門は横井湘南から肥後熊本実学党の元田(後の明治天皇の侍講)たちの思想の研究でした。
「レポート&コラム」の、どれから読ませていただこうか楽しみです。村田新八、田原坂、に、、亀山社中に鑑真和上、、、。 本当にありがとうございました。
OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)をご覧いただき、コメントをいただき本当にありがとうございます。メールマガジンに、この記事のことをご紹介いただけるとの、お申し出をいただき、心より感謝申しあげます。
私が書いた中に小笠原村発行パンフレット「硫黄島 硫黄島島民平和祈念墓地公園開設15周年杵」からの引用がありますが、転載に関しての注意書きもございませんので、私が書いた拙い文の部分も、よろしかったらお使い下さい。
参加した慰霊祭まで、私はこの曲も作詞者の犬童球渓の名前も知りませんでした。
熊本県に盆地で人吉市という地名があることは、以前の知り合いで出身の方がいましたので存じておりました。風光明媚な焼酎などでも有名な場所と聞いております。
今年の9月に川崎で開催されました、「旧島民の集い」でも、出席者のテーブルの上に「故郷の廃家」を含む曲の歌詞印刷が置いてあって、会の終わり近くに
皆で合唱いたしました。
小学生と中学生の子供を連れて行っておりましたが、
私より年配の戦後生まれの方が、子供たちに「この曲は音楽の教科書に載っていて学校で習ったけれど、今は、習わないのかしら。」とおっしゃっていました。
うちの子供どころか、私が小学校の時にも習いませんでした。
年配の出席者の方々の中にも、この曲をよく知っている人と、そうでない人ととがいらっしゃる様子が伺えました。
「あれたる我家に、住む人絶えて無く」の部分のリズムの切れ方と音程の上下が難しい曲(というよりは、歌詞を考えずにメロディーの展開だけを追うと、この曲は「あれたる、、」の前の「かわらねど」までの16小節で展開が完結しているという珍しい構成の曲です。
「あれたる、、から後の部分が歌えていない年配の人が多いな。」と思ったのですが、
今ちょうど、戦前硫黄島で生まれの母から電話があったので、訊いたところ、「学校で習った。」と申しておりました。それにしては歌えていませんでした。忘れてしまって歌えない方が多いだけかもしれません。
来年の6月での硫黄島平和祈念公園での慰霊祭でも、来年の9月の川崎での「硫黄島島民の集い」でも、
この「故郷の廃家」を私たちは、必ず、また歌うと思います。それまでに、堂々と大きな声で歌えるように、練習をしておきたいと思います。
メロディーは http://www.iwojima.jp/sunnyh.html
で聞くことができますので。
コメントをいただき本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い申しあげます。
(名前訂正・変更)
卒業研究で、陸奥宗光を研究されたのですね。陸奥宗光のことは詳しくありませんが、陸奥宗光といえば、宗光に取り立てられた飫肥藩出身の小村寿太郎を思い出します。宮崎県日南市飫肥(おび)もまた、小京都と呼ばれる静かな町で、寿太郎の将来性に着目し、長崎への英語留学、さらに大学南校(現東京大学)への進学の道を開いてくれた小倉処平も飫肥出身でした。陸奥宗光とも旧知の仲だったそうです。
小倉は、2年間英国に学んだ俊才でしたが、西南の役に身を投じ、『飫肥の西郷』といわれました。和田越の激戦の際に銃弾を身に受け負傷した小倉は、西郷の可愛岳(えのだけ)突破を知りその後を追ったものの
果たせず、山中で自刃し、自ら32歳の人生を閉じました。近いうちに、その自害の地を、宮崎県延岡市に訪ねたいと思っています。
→ http://washimo-web.jp/Report/Mag-Inudou.htm
宜しくお願い致します。