協議会関係者の皆様、旧島民の皆様、硫黄島に興味をお持ちの皆様、
まずはブログを開設させていただきました。
3度目の硫黄島訪問でした。
前の2度は「戦争の傷跡の悲惨さ」ばかりに興味が集中しての訪問でしたが、
3度目の今回は、「戦前は海からの恵みに山からの恵みで、豊かな島だったんだ」と感じました。
あれだけの日本にとってだけではなくアメリカにとっても、特別な戦闘の島になったのですから、「悲惨な傷跡」のイメージに興味が行くのは当然だと思います。(映画の影響もあると思います。)
今回の訪問でも多くの戦跡、お祈りをする場所で、犠牲になられた旧島民の方と日米の兵士の英霊への、お祈りをしてまいりました。
これからは、「戦争の前は、どんな島だったの?」「当時の島の生活の様子は?」「島の自然と天候や生態系は?」などにも、もっと興味を持ちたいと思います。
おがさわら丸が竹芝桟橋につく頃に、「硫黄島の呼称が「いおうとう」に変わったというニュース」が届き、旧島民の長年の念願が一つかなったという喜びが満ち溢れた有意義な墓参帰島でした。
写真は鶉石(うずらいし)(世界で硫黄島以外には、イタリアに一箇所しかないそうです。)がある南海岸からの摺鉢山です。
まずはブログを開設させていただきました。
3度目の硫黄島訪問でした。
前の2度は「戦争の傷跡の悲惨さ」ばかりに興味が集中しての訪問でしたが、
3度目の今回は、「戦前は海からの恵みに山からの恵みで、豊かな島だったんだ」と感じました。
あれだけの日本にとってだけではなくアメリカにとっても、特別な戦闘の島になったのですから、「悲惨な傷跡」のイメージに興味が行くのは当然だと思います。(映画の影響もあると思います。)
今回の訪問でも多くの戦跡、お祈りをする場所で、犠牲になられた旧島民の方と日米の兵士の英霊への、お祈りをしてまいりました。
これからは、「戦争の前は、どんな島だったの?」「当時の島の生活の様子は?」「島の自然と天候や生態系は?」などにも、もっと興味を持ちたいと思います。
おがさわら丸が竹芝桟橋につく頃に、「硫黄島の呼称が「いおうとう」に変わったというニュース」が届き、旧島民の長年の念願が一つかなったという喜びが満ち溢れた有意義な墓参帰島でした。
写真は鶉石(うずらいし)(世界で硫黄島以外には、イタリアに一箇所しかないそうです。)がある南海岸からの摺鉢山です。
いつも楽しみに拝見させていただいております。
まずはブログ開設おめでとうございます。
何かとご苦労でしょうがこれからも硫黄島の情報発信元としてお互いに頑張りましょう。
まずはご挨拶とさせていただきます。
これからもよろしくお願いいたします。
ではまた。
不都合等あればご連絡下さい。