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戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2010年3月 硫黄島 慰霊墓参訪問(3) (再び)島の隆起について - 監獄岩

2010年03月24日 | 硫黄島・小笠原村
監獄岩という島に、戦前は、子供たちが遠泳大会で、泳いで行っていたという話を、聞いたことがあります。海にいる鮫の危害から安全を守るために漁船が両側に連なって遠泳コースを確保して、その間を子供たちが泳いだそうです。監獄岩に座っている人々の白黒の写真も見たことがあります。

この写真は、島民で軍属として硫黄島に残り戦没犠牲者となった82人の碑もある旧島民平和祈念墓地墓地から、真正面に見える、監獄岩を撮影したものです。
この角度から見る監獄岩が一番横に広がって幅が広く見えます。監獄岩を擂鉢山の山頂からみると、これほど、横幅が広い形状には、見えません。

今回の硫黄島での約3時間半の行程、私たちはバスの1号車でしたが、1号車担当の説明をして下さる自衛隊員の方は、私に、「また、来ちゃったんですか。」と、声をかけてきた方でした。
その自衛隊員の方が、この監獄岩の写真を撮影した時にも隣にいて、私に話かけてきてくれました。「私が硫黄島に来て、2年7ヶ月になりますが、来た時と比べると、監獄岩は、相当ここから大きく見えるようになったと思います。毎年来て見ていて、近づいたと思いませんか?」 確かに、その隊員の方がおっしゃるとおり、平和祈念旧島民墓地公園から見る監獄岩は、ほんの少しの海をはさんで、すぐ目の前にあるように見えました。
ずっと、見続けているわけではないので、頭の中で具体的な比較はできないのですが、言われてみると前より近くに来ているような気もしてきます。


何度も紹介していますが、小笠原丸で訪問する時の私達の上陸地点である、釜岩も、戦前は硫黄島沖に浮く小島だったものが、隆起で陸続きになり、砂洲になっているものです。

釜岩の向かって右側にある、この監獄岩も、いずれは、陸続きになるかもしれません。
監獄岩は、硫黄島の海岸線に沿って、併行方向に細長い小島なので、6月の小笠原丸での慰霊墓参の時に、最後に船が島を離れる時に一周する時の船との角度で、いろいろな形に姿を変えて見せます。


「島の隆起を示すもの」という記事で、擂鉢山の麓の米軍攻撃の時に上陸した南側の海岸に突き出た岩の高さ、海水面のかぶり方を、比較したことがありました。ですが、あの岩のどこまで海水が来ているかという比べ方は、潮の干満の影響を受けるので、行く季節の月齢や見る時間帯でも差があるので、前の年と比べて島が隆起したかどうかを判断するのには適していないと思うようになりました。


他にも、擂鉢山に登る舗装道路の、段差や亀裂や陥没が、9月に行った時より大きくなっていました。
また、空港の滑走路面にも段差ができてしまい着陸した機が上下に揺れるという話も聞きました。
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