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戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

鎮魂の丘の謎(2) 今年の皆の集まりのお知らせ

2007年07月20日 | 硫黄島・小笠原村
いろいろな人に「なぜ、鎮魂の丘にだけお供物を置いてはいけないのか。」について、質問をしてまわった結果

「そういえばなぜだろう?最初から、そう言われていたように思う。」と、おっしゃっていた訪問ベテランの方々も納得の回答を、いただくことができました。

そのたどりつた回答とは、
「「鎮魂の丘」は、碑(メモリアル、モニュメント)ではあるが、戦争の犠牲になられたどなたの御霊も祀ってはいない。したがって、お供物をお供えする相手がいない。」という説明でした。

皆で納得し合えて良かったです。

小笠原村発行のパンフレットの解説には、
「昭和58年、日米すべての戦没者の慰霊のため、東京等により碑が設置され、このあたりの台地が鎮魂の丘と名づけられた。」とあります。
慰霊 英霊を慰める碑(モニュメント)ではありますが、英霊を祀るお墓ではない
 この差は微妙な差のようであり、決定的に大きな差なのだろう、と思いました。
同パンフレットに「井上靖氏が碑銘の選定を行っている。」と、あります。

この写真の碑の向かって右側にまわると、この丘からの摺鉢山を望むことができます。碑のまわりには、英霊の御霊には大きな意味を持つ水がきれいに張られていて、また、いつもきれいに整備していただいている花々がとてもきれいです。


本日実家に往復葉書で、9月の集まりのご案内が届いていました。ご案内の文章が
ホットでした。幹事の皆様、毎年、本当にありがとうございます。今年の集まりが盛大で楽しい会になるといいですね。旧島民関係者の皆様方とお会いできることを楽しみにしております。
これまで私を含めて欠席がちだった一族に「召集」をかけていますので、揃って今年は参加させていただきます。
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