OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2010年6月硫黄島慰霊墓参  慰霊式典(2) 「故郷の廃家」を皆で歌いました。

2010年06月26日 | 硫黄島・小笠原村
写真は 慰霊式典が開催される硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口です。
タコの木になるタコの実が見えています。ここのタコの木は、硫黄ヶ丘のタコの木が低いところに実を付けていたのと対照的に、高い木で高いところに大きな実をいくつもつけています。

慰霊式典で、中学生代表の挨拶に続いて、今年も、参加者全員で、「故郷の廃家」を声を合わせて歌いました。

「故郷の廃家」は、作曲 ヘイズ、作詞 犬童球渓 の、唱歌です。
当ブログを始めて間もない頃にその曲について紹介した記事に反響があり、印象に残っている投稿です。

慰霊式典で歌う「故郷の廃家」は、年々、うまく歌えるようになってきているように思えます。リズムを合わせるのが難しい箇所でもずれることが少なくなってきています。中学生はきちんと練習してきているので毎年、上手に歌えます。それ以外の出席者である遺族(硫黄島協会)の方々や、私ども旧島民の参加者メンバーも、初参加ではない人が多く、特に、旧島民のメンバーは、9月の「硫黄島島民の集い」でも歌っているので、歌い慣れてきたからではないかと思います。

私にとっては、この曲を、慰霊式典で歌うということはいろいろな意味で、重要だと思います。硫黄島について学習してきた中学生や、親類を硫黄島戦で亡くした遺族の方と、
「戦前は豊かな生活を営んでいたのに帰ることが許されていないまま今にいたっている旧島民 (戦前に硫黄島で生まれて住んでいた方々に、戦後生まれのメンバーも加わっています。)」
とが声を合わせて、この曲を歌います。

この曲の歌詞は、長い期間を経て戻った荒廃ぶりを嘆き(いくぶん諦めの境地も入っているように思われます。)ながらも、昔の故郷の姿を懐かしく思い出しているという内容です。

南方に遠く離れた硫黄島に派兵され、懐かしく思い出される故郷に帰ることはできそうにないと分かり始めていただろう少年兵たちが夕日に向かって歌ったという、この曲「故郷の廃家」を、

戦後日本に返還されて東京都小笠原村の一部になった後にも、帰島することができない、硫黄島旧島民の我々が歌うということに思いを至らせると感慨深いものがあります。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2010年6月硫黄島慰霊墓参  ... | トップ | 6月27日 第155回 TOEICを受... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

硫黄島・小笠原村」カテゴリの最新記事