<貧困>「貧乏人らしく」女子高生たたきの大誤解
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000016-mai-soci
◇その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか
◇「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ
と言うような内容ですが、高額納税者が普通の生活をしていない場合どう説明するつもりのでしょう。
高額納税者が必ずしも贅沢しているとは限らないどころか、資産家のばあさんでエアコン嫌いとかいますよ。
何を持って普通の生活とか言うのか明確にすべきだと前の投稿でも書きました。
ただ、所沢市の件でもご承知の通り今やエアコンの方は必需品なのかもしれません。
「貧困女子高生」に批判・中傷 人権侵害の懸念も
http://blog.goo.ne.jp/johji2015/e/8aeeb4f5666a2470a2e33f5e1141bbd5
具体的には学校での給食や修学旅行などの学校行事に参加できないなど差別を受ける位なら支援するべきです。
また、キーボードの練習なら学校が補修名目で機材を提供するのも考えるべきで相談にならないから変わらないのでは?
と言うか放送後に文部科学省などは動いたのでしょうか?そちらのフォローこそ報道です。
「貧乏人は貧乏人らしく」は戦後 間もなくの考えです。
そこには明日は良くなるという気持ちから、慎ましやかな生活を是としたのでしょう。
現在ではローンも可能ですから、収入イコール消費でもありません。
また学校教育で平等な環境を整備するのに制服や学校の予算などの概念をそのまま垂れ流したのが
むしろ我慢するのが美徳のようになっています。
これも最近はクリエイティブな考えをさせるのにしっかりとした管理の下で裁量されていると思います。
また企業競争で無駄を省くと言う上からの強制とかで必要なものすら揃えない状況もこう言う思考の元です。
ですが必要な物もないのに企業競争で勝てる訳もなく本質的に間違った理念が精神論化しています。
就学や就職のチャンスを与えるのが公平な社会とアメリカなどでは言われています。
それに必要な物は決して「貧乏人は貧乏人らしく」ではなく、出世払いでも揃えてあげるのが良いでしょう。
しかし、それすら奨学金の償還で揉める社会です。
ネットに反論するのではネットレベルです。
もう一段上のレベルになるのには
改善される必要がある社会福祉とその福祉に対する感謝のバランスです。
具体的に絞った追加項目やその追加による効果を見積もって社会貢献になるとなれば理解も促進する筈です。
抽象的に弁護士の先生たちの一部が人権とかざして擁護だけするのは不公平でしょう。
本質的には権利ではなく、社会全般でどう改善させるのが良いのか考えないと無駄が増えるだけです。
最後にネット意見を抽出して例として挙げるのはあまり統計学的に正しくありません。
もし、新聞社が世論形成と言うか世の中の意見に興味あるなら正確に世論調査するべきです。
そして世論とネットの相違点を記載してネットが必ずしも正論でも多数意見でもない
個人的見解例である事を示す方がよりアカデミックに見えます。