http://news.infoseek.co.jp/article/mynavi_1504477/
普段はこの人何考えているのかなと思いますが、
今回の感覚は自分にはそれもあると同意します。
24時間テレビは当初、3つくらいのカテゴリーがあったように憶えています。
海外の途上国の支援、入浴バスなどの高齢者福祉、そして障害者への意思疎通でした。
1992年から現在のような手紙やマラソン主体の番組に変わったらしいです。
個人的にはこの前にニッポン放送のラジオミュージックソンがあったので、
そのようなスタイルの踏襲と思っていました。
ところが、いつの間にか障害者が挑戦するなど感動を売りにする傾向が強くなりました。
当然の如く意見はわかれます。
そして最大のミスリードが視聴者の中の障害者の意見です。
ボランティアが必ずしも真面目で見返りの無いのだけとも思いません。
タレントがテレビでするボランティアには一般人の障害者への配慮に
それなりの効果があります。
なので見返りにそのタレントのイメージが上がるのは批判するものではありません。
しかし、特別な存在のテレビに出て頑張る障害者と
その他の障害者が同一な存在として扱われるかの難しさです。
簡単な話、シルバーシートすら座れない状態なのが理解されているかです。
何故なら、シルバーシートはまず高齢者がいますよね。
そして妊婦や赤ん坊連れと埋まってしまいます。
障害者が座れる以前に障害者が居ることも知りません。
当たり前ですが、個人情報をそんな簡単に見せてまで座るかですから。
障害者が普段思っている状況と近い視線で番組を制作すると
感動より大変さになってしまいます。
例のプラットフォームから落ちる件などが並びますよね。
おそらく、障害者の悩みを描いたら、絶望で鬱になる暗さも表現することになります。
ペット並みに可愛がられた状況だけを伝えてしまうと、
その障害者より努力して生きようとする人達は同一視されてどう思うかです。
本当に障害者福祉をテーマにして、またチャリティーを考えるのなら
障害者が見て明日は良くなると希望の持てる話をする方が良いくらいの状況でしょう。