想定が甘かったのが、やはり準備不足で救急搬送先に事欠く始末でした。
出来れば暗い想定はしたくないのです。
暗い想定だともっと怖い事も現実起きていますから。
少しでも明るく居たいが、その場合に常時意識する精神を強いられます。
それを理解できない、また実際にやれない人が強気に言うのは違うと思います。
政治家にしても、コメンテーターにしてもその緊張感の連続を熟せるだけの人でないと頭で理解しても行動では出来ていないとかになります。
ここまで現状が悪くなるとそれに応じた発想をしないといけないのですがそれは人間である以上辛い話です。
この前の政治的に入院は重症患者からと言っただけで、中等症が入れないのかと騒ぎになりました。
医師が判断するのでは重いから政治的に少しでも肩代わりしようとしたらこうなるんですよね。
出来る限り急変の予兆を検知してその人の緊急度を正確に判断できるようなサポート体制にしないといけないのですか、素人にはとても荷の重い話です。
責任論よりも具体的な改善をしなければ意味が有りません。
何か常時観察する装置的なシステムと連動した搬出体制を作ってせめても
部屋で孤独死させないだけの試みはしないとこんなのは減らないでしょう。
災害時の被災者の孤独死も騒ぐだけは騒ぐのですが、管理するようアイデアを試すようにして来なかったのです。
仮に仮設でのシステムとかあったなら、こういう時に活用できたのかと後悔しています。
今後、孤独死防止システムでも個人的に検討したいと思ってしまいました。
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