最近、これが難しく思えてきました。
従来なら、その大切さこそ富裕層の証だった気がしていました。
衣食足りて礼節を知ると言う言葉通り、一定の生活の上に礼儀や作法があったかと思うのです。
マナーにしても別に誰かが講義するような物でなく、その社会で通用する社交性でお付き合いの中で守られる習慣なのかと思います。
それが保てない程、多様性が大事されるとマスコミ他が囃し立てるのですが現実には一定の感性の方がウェイトがあるようです。
幾ら多様性と言ったところで限界は直ぐに来ます。
おそらく、テレビやネットはこの気品を尊ぶ文化を残せないような評価をしてしまったからテレビ離れが加速したのかと思いました。
ネットでもそうなのですが、一定の面白さの追求で演者が思う程、見る側は期待していない人の割合が高い場合もあります。
例えば、無駄にする物が多い企画で気をひこうとしてもそうそう見る側はそう言うのを期待していません。
過剰な企画自体についていけないのが見えてきます。
有名な演者こそそれなりの企画で勝負しないとありきたりの過激さはかえってひかれてしまいます。
悪ノリが過ぎて見る側がついていけない状況だと自然と他へと興味が移ります。
テレビ局にしても世界的にウケる動画を扱うなど誤解をしている場合もあります。
確かに再生数は伸びているのでしょうけど、それは海外での評価です。
それにその動画を好む年代がどうなのかを判断しないとズレを生じます。
ペットものは確かにウケますが、それは言語による障壁がなく、見れば癒されるからでしょう。
その辺りを意識せずに採用していくと変な現象を起こします。
最近、テレビ局に持ち込まれる車載カメラのビデオ等で異様な運転とかを放送する事が見られます。
視聴率的に釘付けになるので良いのかもしれませんが、背景の説明や前後の経過がないと後味が悪いだけです。
そこまでの取材フォローが出来ないなら放送も控えるべきかと思います。
そう言うのも対象者や関係者に対する配慮なのでしょう。
また、雛壇を作って出演者を増やしてその発言機会を競わせるような状況を作り出す事でかえって騒然とするだけで結局中身が薄くなります。
そうでなくても予算が減って番組制作の費用や出演費が下がったイメージになり易いと思えてしまいます。
タレントでさえも言っているのですが、切り抜きで細かいところをネット記事にされるので大変だと言うのです。
下手すると炎上ですから、気もつかいます。
それでいて黙っていれば、愛想が良くないとなりますよね。
本当は気づいていてもスルーするのが相応しい時にもテレビのお約束でツッコミを入れるような流れになってしまいます。
雑誌のファッションなら未だ購読者が絞られるので価値観を展開しても共有されますが、全く該当しない人々からすればただの興味のない話です。
それで情緒の安定していないキャラクターも使用するのですから、気品以前にガイドラインに抵触しないのかが気になってしまいそうです。
特に試用で取り上げてみるのだとしても見る側からすればいきなり分からない状況が進行されるのです。
それで印象に残るとか言い出して突飛な行動に出れば印象が悪いのは仕方ないです。
仲間内の価値観や行動様式を世間一般に通用する物ではなく、テレビ制作スタッフやYouTuberの生活態度だと当たり前でも世間からすると気品が尊ぶ事のない世界にならざるを得ないのかと残念に思います。
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