日本は「世界で最も助け合わない国」? 研究者が指摘する原因は「日本人の遠慮」(J-CASTニュース)
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(記事の目次)
■「人助けをする国」上位にジャマイカとアフリカ諸国
◾️「本当に困っている人」が目に入らない
◾️日本人特有の「遠慮」から手助けをしない
◾️「困ったときはお互い様」の精神で
出所は下記のようです。
英国の慈善団体「Charities Aid Foundation」が毎年世界各国の人を対象に行っている「過去1か月間に『助けを必要としている見知らぬ人を助けたか』どうか」に関する割合の調査だ
ではここで疑問です。
助けを必要としている人がいなかったらこのアンケートはどう答えるのが正解なんでしょうか?
おそらく、日本で見知らぬ日常生活で困っている人に会う確率は低いのです。
日本人で普通に生活していたら、朝出勤、登校して帰るのは夕方過ぎになるのでしょう。
こう言う一般的な生活をしている人が上記のような場面に出会す確率自体低いのでしょう。
専業主婦やフリーターとかでたまたま日常でも街を歩く可能性があったとします。
それで困っていたら、110番、119番、118番などに連絡して救助する程度は当たり前では?
簡単な事で済むならお助けするのは道案内に始まってそう苦でもないのかと思います。
しかしながら、最近はスマホ片手に探せてしまいますよね。
簡単に言ってしまうと出来る程度で時間があるなら老害は暇だから手助けはするのかと思います。
では何故人助けしないと思われているのかです。
「寄付をしたか?」「ボランティア活動をしたか?」「見知らぬ人を助けたか?」などの質問に対する回答を国ごとに集計したもの
寄付についてはこのサイトの寄付率を見れば44.1%は有ります。
それで曲者なのはボランティア活動をしたかと言うのが問題なのかと思います。
ケニア、インドネシア、アメリカだと宗教的にボランティア活動は推奨されついて回ります。
ですが、ケニアとボランティアで検索するとこちらが助けに行く話になります。
インドネシアにしてもまだ助けの必要な人も居て互いに助け合うのでしょう。
アメリカのボランティア活動も歴史は有りますが本当に助けられていたら銃乱射事件の幾つかはなかったかもしれません。
ボランティア活動はするものと言う一般常識の国ではイエスと答える人が多いのは当然です。
日本が悲しいのはむしろこの常識が失せてしまったと言う経緯かと思います。
助け合いが変わったのは1992年以降の事だと思います。
それまでは寄付金額を公表して盛り上がるような状況でした。
これで誰かが助かると本気で信じていたとまで言わなくてもまさか着服されるとまで思う必要はなかったのです。
理由は簡単でその場に立ち会う形のチャリティーでした。
現金で募金箱ですから、流石に回収してきちんと計算し福祉に何で使ったのかも報告されていましたから。
それがそう言うような状況でなくなったのが1992年のリニューアルでした。
また違う意味で募金活動が難しくなったのは1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災での打撃で以前なら少額なら出せるよね的な話もし難い状況が一部にありました。
おそらくもっと後になって相対的貧困などの件で気遣いから表面的に金額を示しての寄付活動はし難いのかと思います。
まして高額所得者に寄付を要求するような話が出てそれもやめていますよね。
2005年までは公表されていましたが廃止されています。
助け合いの精神が常識から薄れ出したのにはもう一つの理由はあるのでしょう。
2008年にゆとり教育から脱却しました。
問題はゆとり教育自体にもあったし、脱却してまた元の詰め込み主義的な事をし出した教育制度にも有るのかと思います。
ゆとり教育は検索すると下記のような経緯を辿っています。
ゆとり教育は、「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型の教育方針を是正し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型の教育方針をもって、学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指した教育であり、1980年度、1992年度、 2002年度の改定で徐々に内容の厳選が行われた。
ゆとり教育は、詰め込み教育に反対していた有識者から支持されていたが、学力低下の指摘から学習指導要領の見直しが起き、2011年度以降に、これまでのゆとり教育の流れとは逆の内容を増加させる学習指導要領が施行された。 ただし現在も学習内容は詰め込み教育時代の水準には戻っていない。
本来は知識ではなく経験・体験などで情緒的にも人として完成度を上げておきたかったのです。
一つには答えが載っている問題ではなく、自分で解決する課題を出して発想する習慣や問題解決の手法、それに助け合ってのチームワーク等が必要だったはずです。
ところが実際にはそうもいかないレベルで終わっているので不況などで就職なんだと自分が暮らせる道を探すのに苦労してしまいます。
ゆとり教育がチームワークや実体験に使用されていたらもう少し世の中は良くなっていたと考えます。
慈善団体の調査結果はそれとしてもその解釈までそれに沿いたがるのかと言えば、福祉・ボランティア関係者だからでしょう。
水野映子さんはJICAに協力した方ですし、
引用させていただいた日本財団にしてもそう言う御立場の団体ですから。
なので一般の日本人でこの慈善団体の調査結果に難色を示したとしてもそれは忙しい世の中だから仕方ないのです。
またその余裕もある人とない人がいて不思議ではありません。
更に競争社会です。
また、机上の論理を教えても実体験が少なくてバイトなのでも上手く出来ない子がいたとしても当然の教育でしかありません。
場慣れや場数を踏んで慣れる事で本来は知識だけでなく、気遣いも出来るようになるのですが。
一つだけ言えるのは福祉・ボランティア活動にも経費はかかります。
なので宣伝での訴求の割に関係者がそれなりの厚待遇でも表だって批判する訳にもいかないのに、それをネットだと批判してしまいます。
その辺りの暗黙のルール、了解が成り立つはずなのですが、2ちゃんねるとか以前からユニセフに疑念を抱くような状況はありました。
福祉・ボランティア関係者にとって活動し難い国なのもあるのかもしれません。
無宗教で合理的、かつ過当競争な市場経済です。
加えて大卒なら普通に幾らくらい経費が掛かるか試算出来てしまうのでそれ以上の施設等を見れば文句も出ます。
難しい世の中です。😓
そもそも助け合いに至るのは突然の事以外は公的福祉などで十分対応可能なのです。
だから、最初に戻ってしまうのですが助けを必要とする人がいなかったら?と言う話になります。