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松山道後鷺谷墓地・秋山好古墓参

2013年12月24日 | 伊予松山歴史散策
平成25年も師走を迎え残すところ7日となりました。
今年の年末年始休暇は、9連休道後温泉にも多くの方々が観光にお越しになると思います。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」は、平成24年第38回放送文化基金賞番組部門(テレビドラマ番組)本賞を受賞された輝かしい作品で現代日本人に勇気と元気を与えるものでありました。
坂の上の雲の主人公の一人である、秋山好古の墓所が道後温泉の一角にあります。
年末年始の休暇を利用して、道後温泉観光にお越しになる皆様の中には好古の墓参される方が多くおられます。本日(24日)秋山兄弟生誕地の関係者が墓の清掃と献花をして来ました。
なお、松山鷺谷墓地にある好古のお墓は、秋山宗家の了承を得て、東京の青山霊園にある好古の墓所から分骨をして昭和5年11月4日に北豫中学校・松山同郷会の関係者が建立したお墓であります。

参考までに
秋山兄弟生誕地では、坂の上の雲の名場面と感動を再び全国各地で呼び起こそうと、主人公であります、秋山好古・眞之兄弟と正岡子規の生誕地であります愛媛県松山市から再放送の陳情しようと12月19日から署名活動を開始しました。


市営「鷺谷墓地」にある表示板。


市が設置している秋山好古のお墓の説明板。


道後温泉本館で、右奥のビル後方に鷺谷墓地がある。


鷺谷墓地から見た伊予松山城、左の建物は「ホテル・道後舘」で設計は、女優、若尾文子の亡夫、黒川記章建築家が設計した建物。


先ずは、秋山好古の両親「久敬・貞子」のお墓掃除をし献花をする。


続いて、秋山好古のお墓も清掃をして献花、新年の準備も万端。




何時でもお墓参りをして頂いてもOK、綺麗なお花を生けて完了。


この墓地には、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句で有名な、中村草田男も眠っている。


伊佐庭如矢の墓所。
松山最大の観光資源松山の宝、明治6年、政府は廃城令を発布したため日本各地の城郭は取り壊しが行われた。伊佐庭如矢は、伊予松山城を市民の公園として存続を明治政府の大久保利通卿に陳情し、木戸孝允内務卿(桂小五郎)が存続を許可した。松山から存続請願が出た後、18の城郭存続願いがあり政府は19の城郭存続を認めた。そして先の大戦で7城が焼失、現在12城の天守が存続している。これを現存12天守と称している。(弘前・松本・犬山・丸岡・彦根・姫路・松江・備中松山・丸亀・高知・宇和島・伊予松山の各天守)
そして如矢は明治27年に当時の建設費13万5千円の巨額の予算を投じて建設した「道後温泉本館」生みの親であった道後町町長、伊佐庭如矢もこの墓地に眠っている。お墓は、道後温泉本館を向いて建っている。道後温泉本館は、来年築120周年を迎える。



日本最古の温泉と言われている道後温泉には、聖徳太子が来湯した時の石碑が椿の湯の南側に再建立されている。
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