陸前高田の松 現地で焼かれる
「大文字五山送り火」で燃やす計画だった陸前高田の松からは放射性物質が検出されなかったにも関わらず、被災地の松というだけで、このようなことになりました。
薪333本には、犠牲者を追悼する思いや復興への願いが書き込まれていたんです。
しかし、ここで間違っていけないのは、このニュースを見て「京都の人は・・・」となることです。
京都の人すべてが、こういう心ない判断をしたわけではありません。
中止は、保存会が決めたことなのです。ここで、また「京都人は」ということになれば、それは保存会と同じく、本質を見ないで差別することになってしまいます。
保存会のメンバーでも、きっとこの判断に反対した人もいるのではと思います。
しかし、こういう決定がされたということは、そのような考えをする人が多かったということも事実なんでしょう。
今回の批判に対して、保存会理事長が「そんなことより明日からのこと」みたいな発言があったことが、さらに残念に思います。
死者の魂を追悼する行事で、このような差別があるのでは「大文字五山送り火」そのものも意味もない気がします。
死者の気持ちを思えば、わざわざ京都で燃やさなくても、地元で家族に見守られながら供養される方がずっと良かったのではないでしょうか。
http://www8.plala.or.jp/jucon