3月17日、お天気は快晴、新幹線の新山口駅でミイーさんと合流、ミイーさんのお車で、一路萩へ、まず向かったのは松陰神社です。
親思ふこゝろにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん
吉田松陰が江戸在獄中の、安政6年10月20日付、父・叔父・兄らに宛てた書状の中にあり、刑死の1週間ほど前のものです。
中学生の社会科で習い、吉田松陰を知るきっかけとなりました。
松陰神社のご本殿、
パンフレットには次のように書かれています。
吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890)に松下村塾の西側に土蔵造りの小祠を建てたのがはじまりです。
その後、明治40年(1907)伊藤博文らの努力により、県社の社格を得て、萩城内にあった宮崎八幡宮(毛利家鎮守)の神殿が移築されました。
現在の社殿は昭和30年に完成し、御神体として松陰愛用の赤間硯と父叔父宛に書かれた書簡の2品が祀られています。
境内にある小さな社は松門神社です。
松陰神社のお神籤は傘の形をしていると聞いていたのですが、
今はなくなったとのことで、探していると、隅の方の1本の木にすこしだけぶら下げてあるのが見つかりました。
松下村塾(国指定史跡)です。
松下村塾は、玉木文之進(松陰の叔父)が天保13年(1842)に自宅で私塾を開いたのが始まりで、ついで久保五郎左衛門が継承し、安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎました。
松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、僅か1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文など明治維新の原動力となる多くの逸材を育てました。
当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられたそうです。
このブログでは萩の旅ははじまったばかりで、しばらく続きますが、ごいっしょしたミイーさんのブログ「ここだよッ」では1回で簡潔にすばらしいレポートをしてくださっています。
ここだよッ
今日は春分の日ですね。
朝、パソコンをひらくと、Googleのロゴがあざやかで、日中もぽかぽかとあたたかく、春を感じています。
13:10追記