我が家の庭に一輪の山茶花が咲いた
使いから帰ると一輪の山茶花が咲いていた。秋な
んだ。どんより曇った日の夕暮れに山茶花が咲いた。季節は廻りくる。立ち止まり山茶花の花を眺めた。また玄関に至るアプローチに花びらが舞い散る日が来るな。
「山茶花の花のこぼれに掃きとどむ」。虚子の句が思い出された。本当にそうだ。だが日がたつと茶色に変質し、地面にへばり付くと汚くなってしまう。心を鬼して箒で掃き清めて初めて山茶花の花のこぼれの美しさを味わうことができる。掃き掃除の楽しさがまた山茶花の花を愛でる楽しさなのだ。
「さざんくわのいくひこぼれてくれなゐにちりつむつちにあめふりやまず」。歌人、会津八一が詠っている。二階の屋根に届くやに思われる我が家の山茶花花が満開になると毎日毎日雨が降るように零れ落ちてくる。一雨ごとに寒さが一段と厳しくなっていく。無情な雨が山茶花の花の上に落ちてくる。秋は日ごとに深まっていく。私の老いもまた深まっていく。無情な時の流れの中にあることに山茶花は日々私に押し付けてくる。
「山茶花の匂ふがごとく散り敷ける」。日野草城は山茶花を詠んでいる。うち重なって山茶花の花びらが降り積もる。紅が匂うのだ。匂うからこそどこからともなく蜂が集まってくる。蜂の羽音に山茶花の花びらが震えている。
私は寒椿と言うのよ。冬に咲く真っ赤な花が好き。こんなことを言った女が飲み屋にいた。山茶花の花を見ると真っ赤な厚ぼての唇をした女を思い出す。今が私の女盛りなのよと言っているように感じたものだ。美容院の客から解放されたのか、カウンターに座った女はぬる燗の酒を注文する。椅子からはみ出したお尻。甲高い笑い声、ママとニコニコ笑いながら話す。「もう紅葉は終わりね」。「どこに行ってきたの」。「奥鬼怒に行ってきたのよ。ちょうど良かったわ。一泊してきたのよ」。誰と行ってきたのと、私が口を挟むと「野暮なこと、聞くもんじゃないわ」とママが言った。「彼と行ったということよ」と私にママが言った。高校を卒業した子供がいるはずの美容院の先生にはご主人と彼と子供がいるみたいだ。
寒椿。椿の生花を胸に差した女、「椿姫」を中学生の頃詠んだ記憶がよみがえる。クルチザンヌ、日本でいえば江戸吉原の花魁、城を傾けたという美女、傾城、マルグリット・ゴーチェの純情な恋を表現した小説だ。寒椿の紅い花は高級娼婦クルチザンヌ、吉原の花魁を形容する花なのかもしれない。
椿も山茶花も寒椿もみな照葉樹だ。葉が光り、厚ぼったく堅い。このような木が照葉樹だ。中国の雲南から日本にかけての地域が照葉樹林帯だ。昔、中尾佐助の著作を読み、日本文化の源流の一つが照葉樹林文化だという認識を得た。椿の花を愛でる。山茶花の花を愛でる。これも照葉樹林文化の一つなのかなと考えてみる。東アジアの花の文化、椿や山茶花の花を愛でる文化がフランスに伝わり、『椿姫』のイメージがデュマ・フィスの脳裏にうかんだのかもしれないなと私の想像は膨らんでいく。
しかし日本文化を代表する花は桜の花だ。平安時代に日本文化が花開いた。その時から日本人が愛でる花は桜であり、椿や山茶花の花ではなかった。椿の花や山茶花の花は中国文化を表象するような花のイメージが私にはある。ぼってりとした肉厚感は日本のものではない。そんな印象がある。紅い色の強烈さも日本のものではないように思う。日本のものはもっと淡いもの、薄いもの、薄命なもの、そう桜の花びらが風に舞う姿が日本の文化のように感じる。
宮尾登美子の小説に『寒椿』がある。この小説の世界も高知の廓に生きた女の話だ。日本のクルチザンヌ、花魁の話だ。濃い紅い色の世界の話だ。寒椿がイメージする世界だ。背中の入れ墨が月明かりにギラギラ光る世界にマッチする花が山茶花の紅い色のように感じる。どす黒い命がうごめく世界をイメージする花が椿や山茶花の花なのかもしれない。
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