親ガイドラインを読み感じたこと「警官と軍人とは大きく違う」
アメリカのボルチモアで警官6人が殺人罪の容疑で訴追されている。CNNは次のように報じている。「米メリーランド州ボルティモアで警察に逮捕された黒人男性フレディー・グレイさん(25)が死亡した事件で、州検察は1日、逮捕に関与した警察官6人を第2級殺人罪などで訴追すると発表した。モスビー検察官はグレイさんが警察のワゴン車で移送されていた時の状況について、手錠と足かせをはめられた状態でシートベルトを付けないまま車に乗せられていたとし、この間に「首に致命的な重傷を負った」と断定した。ワゴン車を運転していた警察官が最も重い第2級殺人罪に問われたほか、他の警察官全員が第2級暴行罪などで訴追された。3人には過失致死罪も適用された。ボルティモア市のローリングズブレーク市長は警察トップに対し、訴追された6人の即時停職処分を求めた。」
この報道を読み、警官は殺人罪容疑で訴追されるという事実を知った。軍人の場合、殺人罪で訴追されることがあるのだろうか。軍人の場合であっても殺人罪で罰せられることがあるという。平時、軍人が民間人を殺した場合である。ここで難しい問題が起こる。民間人が敵のゲリラであった場合はどうなるのか、もちろん殺すことは正義の実現である。民間人であるが故に武器を携行していない。市民として普通の生活をしている。民間人としての仕事も持っている。だが、夜になると武器を持ち、夜襲をかけることをする。戦闘行為での殺人は軍人にとって正義の実現であるが、非戦闘時に武器を持たない民間人を殺すことは殺人罪に問われる。問題は非戦闘時の民間人に扮しているゲリラ兵士なのか、それとも全くの民間人なのか、判らないということである。
軍法会議が軍人の犯罪を訴追する。軍法会議を持たない軍隊は他国では機能しない。他国の民間人から軍隊への信頼を得られない。軍人は犯罪を犯す。民間人の所有物を奪う。敵のものだから良いだろうという認識が軍人にはある。しかし、その民間人が敵側の人間なのか、どうか、判らない。だから軍法会議が必要となる。現代のゲリラ戦にあっては特に問題が多発する。軍人にとって殺人は正義の実現として称えられる場合がある一方で殺人罪として罰せられる場合がある。軍人であるが故に殺人が正義の実現として称えられることがある。正義の実現として殺人ができる人間は軍人と死刑の執行官のみである。
安倍総理は2015.4.28、オバマアメリカ大統領と会談した。自衛隊とアメリカ軍の新しい協力のあり方を定めた日米防衛協力の指針、ガイドラインによって日米同盟の抑止力が一層、強化されることを確認したと日本テレビは報じていた。
この新しい日米防衛協力の指針、ガイドラインによると自衛隊員の武器使用ができるようになった。ここに問題がある。自衛隊員は軍人なのだろうか。現在の日本国憲法9条では自衛隊を軍隊として認めていない。自衛隊が軍隊でない以上自衛隊員も軍人としては認められていない。自衛隊員が軍人でない以上、殺人を犯した場合はすべて相手が外国人であっても軍法会議を持たない自衛隊である以上すべての殺人が、その殺人が行われた国の裁判所か、我が国の裁判所で審理される対象とならざるを得なくなる。日本国が法治主義の国家である以上このような面倒くさいことが起きる。がしかし、自衛隊が海外に派遣され、武器を使用するようになり、戦闘行為になった場合、このような面倒くさいことをするだろうか。敵との戦闘行為である場合は、自衛隊員は軍人としてみなされるのではないだろうか。自衛隊員が軍人としてみなされた場合、憲法9条は有名無実化し、現憲法が実質的に改悪されてしまうだろう。
自衛隊が海外に派遣され、銃を持った自衛隊員が発砲し、相手側の人間を殺傷したとき、平和国家日本国のあり方が大きく変わり、アメリカ合衆国が敵だとみなすすべての国のテロ組織、テロ支援国家等を日本も敵とみなす戦争国家日本になる時であろう。
新しい日米防衛協力の指針、ガイドラインは恐ろしい。
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