醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  1059号   白井一道 

2019-05-06 11:57:23 | 随筆・小説
 


  病を得る


 ここ二週間ばかり、ブログの更新ができなかった。病を得たのである。私は床屋に行った。床屋の親父と世間話を楽しんで店を出た。自転車を引き、出ようとしたが、おかしい。床屋の外の景色が初めて見る景色なのだ。私は自転車を引き、駅に向かって歩いて行った。交差点に差し掛かった。見慣れた景色だ。この角を曲がれば、蕎麦屋に出る。蕎麦屋の脇の道をたどれば駅だ。駅と反対に向かって歩けば自宅に行く。しかし自宅への道が分からない。私は一人きり、誰も知る人のいない街中にすっぽり出された気持ちになっていた。勇気をもって信号を確認した後、交差点の歩道を渡り、まっすぐに歩き出した。どこまでも真っすぐに歩き出した。
 突然、携帯電話が鳴った。妻からだった。私は道が分からなくなった。自分がどこにいるのかさえ分からないと訴えた。妻は驚き、今、どこにいるのかと聞いてきた。が私は自分が今どこにいるかが分からないと妻に話した。電話が切れた。私は真っすぐに道を進んだつもりだったが自宅に向かう道を進んでいたようだ。
 見慣れたセブンイレブンの店が見えた。そうだ、この店の反対側に渡れば、自宅にたどり着ける。嬉しさが込み上げてきた。車の行き来を確認し、道路を渡る。この道を行けば自宅だ。妻が家から出てきたところだった。
 私は汗をかき、疲れ切っていた。「どうしたの」と妻が心配げな顔を見せ、私を見た。「どうもこうもないよ。突然だった。自分が今どこにいるのかが分からなくなった。こんなことがあるなんて初めての経験だった。」私は汗をぬぐい、体を休めた。三日後に迫っていた「徒然草を読む会」は休止せざるを得ない。仲間への連絡を終え、風呂に入り、夕食を食べると疲れて寝てしまった。
 かかりつけの医者に朝一番に妻と出かけた。最初に私を診断した医者は封書を渡し、すぐ市立医療センターに行くように指示した。それでも私の気持ちは暢気なものだった。タクシーが来るのを待ち、医療センターに向かった。受付に封書を渡すと受け付け係りの女性は困った顔を露骨に示し、困ったわねと仲間同士で話している。今日はこの先生の受付日ではないので、診療するかどうか、先生に聞いて来るということだった。待ち時間は長い。三十分が一時間にも、二時間にも感じられた。実際一時間ぐらい待った。診療室に迎え入れられた。医師は私の腕に針を刺し、点滴を始めた。事態がどのように展開したのか、分からない。慌ただしい時間が過ぎた。私は大きな病院の患者になった。ベットに載せられた私は五階の病棟に運び込まれた。この時から二週間私は点滴を受け続けた。
 私の記憶に残っているのはベッドの上で尿瓶に尿をしたことだった。若い女性の看護師さんパンツを下げられ、チンチンの先をつままれ、尿瓶に尿をした。初めての経験だった。
 入院二日目になった。私は誰に教えられたのか記憶がない。私は脳梗塞を起こしたと告げられた。この脳梗塞と言う言葉が私の心の底に鳴り響いた。「ノウコウソク」。漢字ではどう書くのか。私は知らなかった。私は手も自由自在に動く。足も動く。言葉も何不自由することなく、話すことができる。ただ目が認識する空間が安定しない。右の三分の一くらいの所が真っ暗だ。左側の世界と右側の世界が違う。見るという行為に力が必要になった。見ると草臥れる。目を瞑っている方が楽である。
 若い男が私のベッド脇に来た。あなたは誰ですか。何をしている人ですかと問うた。若い男は医者だと言った。「先生、私はどうしたのでしようか」と問うた。「脳梗塞の視野欠損」でしようと若い医者は答えた。三言,四言、言葉を交わすとその若い医者は病室から出て行った。私は元気に歩くことができた。看護師さんに付き添われ、いろいろな検査室に出向き検査を受けた。体中痛むところは何もない。ただ見える世界が安定しない。
 「ノウコウソク」、漢字でどう書くのか、携帯電話を使って調べた。分かった。「脳梗塞」。脳の血管が詰まったということなんだと漠然を分かった。血液が届かない脳細胞がそのため壊死したということなんだなと理解した。
 医者の発言は無慈悲だった。壊死した脳細胞は再生することはない。目が以前と同じように見えるようになることはないと断言した。治療は更に脳の動脈が詰まることがないように、見える範囲がさらに狭くならないよう、手足や言葉が不自由にならないように点滴をし、脳梗塞の範囲が広がらないよう手当することだった。
 目が見えなくなる恐怖に私は襲われていた。

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