金物資料館入口から見た光景
学校らしき古い建物が気になります。
校舎に寄れるのかな
道路から歴史資料館の看板が見えたので寄ってみる事に
上の丸庁舎
ノスタルジックな校舎
バリケードされて中には入れないみたい。
三木歴史資料館
三木合戦を描いた掛け軸
fakeらしく、ホンモノはもう少しサイズも大きいらしい
この大きな壺は籠城時に食糧を備蓄した壺
天正8年(1580年)1月
三木城内の食料は既に底をつき「三木の干殺し」状態では犬・猫なども食糧にしたそうな・・・
戦はイヤですね・・・
22か月間も闘った戦地を散策
紫陽花も綺麗に咲いちょります
長治公と雲龍寺 案内板
元々雲龍寺は三木城内にあり、当時の建物は戦火で焼失したらしい。
長治公自害の際、雲龍寺住職が愛用の天目茶碗などを形見として送り後事を託したという。
雲龍寺へ向かう道中にあった小さなお宮
ここが雲龍寺
首塚到着
平田・大村の合戦後、それまで毛利方に与していた備前の戦国大名・宇喜多直家が織田方に寝返ります。
さらに、長治と呼応して挙兵した荒木村重の有岡城が陥落。
三木城は完全に孤立してしまいます。
万策尽きた長治は城内に立てこもる将兵たちの命を助けるという条件のもと、天正8年1月17日自害する道を選びます。
ここに22ヶ月におよんだ三木合戦は幕を閉じたのです。
雲龍寺に祀っている長治夫妻の首塚。
23歳で自害か・・・
私には出来ん
つづく
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