遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『探花 隠蔽捜査9』   今野 敏  新潮社

2023-01-13 15:25:22 | 今野敏
 隠蔽捜査シリーズの第9弾! 前作から2年を経て、2022年1月に単行本が刊行された。初出は「小説新潮」(2020年10月号~2021年9月号)での連載である。

 p140に竜崎と伊丹との会話の中で伊丹が言う。「・・・気をつけろ。探花のおまえがやつの身近にいるんだから」。竜崎のリアクションは「タンカ? 何のことだ」
 この第9作のタイトルはここに由来する。この小説を読み、私は初めて知ったのだが、伊丹が竜崎に説明する。「知らなきゃ教えてやる。科挙の最終試験の合格者で、トップを状元、二番手を榜眼、三番目を探花と呼んだそうだ」(p142)と。
 なぜ、こんな会話が出て来て、それがタイトルになるのか。
 このストーリーの主人公、竜崎伸也は、このシリーズの愛読者ならご存知だが、息子の問題で左遷されて警視庁大森署の署長となった。その後、神奈川県警本部の刑事部長に異動した。国家公務員試験の結果の順位は公表されない。だが、その順位をどこからか伊丹は入手していたのだろう。同期のキャリアで生き残これるのは一人だけ。警視総監も警視庁長官になれるのも一人だけなのだ。竜崎の同期では、東大卒の八島圭介の試験結果がトップ。伊丹が二番手で、三番目が竜崎だったという。その八島が、福岡県警から神奈川県警本部の警務部長として最近異動してきた。竜崎はこの異動について佐藤本部長から知らされる。伊丹は竜崎に忠告する。「八島は、ハンモックナンバー一番の誇りがあるから、ライバルを平気で蹴落とそうとする。気をつけろ」(p140)と。
 竜崎は気にしていないが、伊丹は同期キャリア内での生き残りという視点で八島に注目している。その八島警務部長は、ある段階から竜崎の扱う事件との関わりが出てくる。読者にとってその経緯がおもしろさとなっていく。

 さて、竜崎が刑事部長の立場で、深く関わっていく事件とは何か?
 横須賀のヴェルニー公園の遊歩道脇生け垣の陰で遺体が発見された。通報したのは散歩していた老人である。死因は刃渡りの長いナイフや短刀のようなものと推定される刺殺だった。検視官は発見時に死後4時間ないし8時間が経過と判断。捜査一課長が出向いていた。竜崎は報告を受けると、直ちに捜査本部の設置を指示した。
 その後、一人の目撃者証言が入手できた。5月9日未明の午前3時頃、ナイフを持った白人男性が走り去る姿を見たと言う。
 
 この事件には、竜崎が従来取り組んできた事案とは異なる横須賀特有の事情が絡んでくる。その点が、このシリーズ愛読者にとてはまず興味津々となるところである。
 ヴェルニー公園の先には、米軍基地が存在する。もし、この犯罪が米軍絡みだとすれば、日米地位協定が関係してくる。そして、アメリカの海軍犯罪捜査局が出てくるかもしれないという懸念がある。そこには米軍基地が身近な存在となっている横浜市民の意識問題も絡んでくる可能性がある。この点を竜崎は阿久津参事官から聞かされる。

 殺人事件の状況を知り、原理原則を重視する竜崎は捜査方針としてどう判断するか?
 捜査本部は板橋課長に任せる。それが竜崎の刑事部長としての原則方針である。それならば、竜崎は原則県警本部に居ればよい。ところが、ここに上掲の日米地位協定が関わってくるとしたら・・・。竜崎は佐藤本部長に会い、米軍関係者が被疑者の恐れがある点から、佐藤本部長が米軍基地のトップと会談することを進言する。
 その場に同席していた八島が発言した。その発言を受けて、竜崎は米軍基地のトップとの交渉について全権委任を受けて対処することになる。
 その交渉の経緯が一つの山場になる。この経緯自体が興味深い。本書でお楽しみ頂きたい。

 結果的には、海軍犯罪捜査局のリチャード・キジマ特別捜査官が横須賀署に設置された捜査本部に出向いてくる。竜崎との話し合いの上、捜査本部の一員に加わり、板橋捜査第一課長の指揮下に入る。日系アメリカ人で日本語に堪能なこの特別捜査官がどのような役割を担っていくか。そこが一つの新しい要因となっていく。このこと自体の経緯を含め、捜査本部の状況が今までとは一味異なり、読者にとってはおもしろくなる。

 全権委任を受けた竜崎は、これもまた結果的に、横須賀署の捜査本部に居座ることになっていく。ここから、事件捜査との関連で副次的な事象が発生してくる。板橋課長に捜査を任せるという方針を伝えた竜崎が、捜査本部(現場)においてどのような形で事件の捜査活動について、指示の局面でに関わって行くかである。竜崎は大森署署長時代のように現場の指揮をとる立場とは異なる。神奈川県警本部の刑事部長として、竜崎が何を考え、どんな心理を働かせ、どのような行動を取っていくのか。読者としてはその点に着目したくなる。そこが、この捜査ストーリーでの副次的面白味となる。

 たとえば、目撃者は横須賀市内在住で職場も横須賀、43歳の堂門繁という人物一人だけ。その証言内容を基に初期捜査が進められる。一方、遺体発見現場の状況について、不審な点を刑事たちは感じていた。キジマ特別捜査官の要求により、米軍基地側への対応を引き受けた竜崎が現場に同行した。キジマは現場を検分して、刑事たちと同じ疑問点に気づく。キジマに現場を検分させたことに関連して、事後にこんな会話がある。(p112)
板橋「それについては、すでに検討しました。・・・・・それも一つの可能性として考えました。・・・・とにかく、まだはっきりしたことがわかっていない。だから、我々は慎重に動いているのです」
竜崎「済まなかった」
板橋「え・・・・・?」
竜崎「そういう事情を知っていたら、軽はずみに目撃者を訪ねたりはしなかった。捜査の邪魔をするつもりはなかった。だから、誤る。済まなかった」

 もう一カ所挙げておこう。こんな会話が竜崎と板橋の間で交わされる。(p210-211)
竜崎「ところで・・・・少しは休んだんだろうな」
板橋「ご心配なく。山里管理官と交代で寝ました」
竜崎「指揮官が倒れたら、捜査本部は機能しなくなる」
板橋「指揮官は部長ですよ」
竜崎「いや。間違いなく捜査一課長が指揮官だ」
板橋「何だか責任を押し付けられているように感じますね」
竜崎「責任は俺が取る。それが仕事だ」

 この殺人事件、被害者の身元が判明することと、堂門繁が行方をくらますことから、捜査が具体的に急速に進展していくことになる。
 この作品も、ストーリー展開で、場面の切り替えと進み方のテンポが軽快であり、一気に読者を惹きつけていくという魅力がある。

 あと二つ、このストーリーの特徴をご紹介しておきたい。
 一つは、竜崎と彼の配下にいる阿久津参事官との人間関係である。竜崎が指示を出すと、テキパキと片付けていく有能な人材である。だが、今は「阿久津参事官は実に油断ならないやつだが、味方ににつければ、それだけ頼りになるということだ」(p24)という思いを竜崎が抱いている関係にある。竜崎と阿久津との信頼関係が今後構築されていくのか・・・、竜崎はどのように対応していくのか。このシリーズが続く上で、興味深いサブストーリーになりそうなおもしろさがある。この事件に関連しても、阿久津は的確な情報を竜崎にタイムリーにフィードバックしてくる。

 もう一つは、竜崎の息子・邦彦の問題。邦彦はポーランドのウッチ映画大学に留学している。娘の美紀が、音楽関係のライターをしている友達から情報を得た。その友達は調べ事の最中に、SNSに邦彦が逮捕された様子の写真とポーランド語の記事が載っているのを偶然見つけたのだ。それを美紀に連絡し、記事は読めないので、写真だけ送信してくれたという。一方で、竜崎の妻・紗子は美紀から連絡を得て、邦彦の携帯電話に幾度かけてもつながらないという。ポーランドの警察に逮捕されたかもしれない・・・・。
 竜崎の家庭内問題が、捜査本部が立った最中に発生し、サブストーリーとして進展していく。竜崎にはどんな対処手段がとれるのか。邦彦が逮捕されたというのは事実なのか。その写真の背景に何があるのか。このシリーズの愛読者にとっては、特に興味深いことと思う。かつて、竜崎の左遷には当時の邦彦の問題事象が絡んでいたのだから。

 米軍基地のある地域に住んでいない者には、多分普段意識することがない日米地位協定について少し知る機会になる小説である。私はこの日米地位協定の内容をほとんど知らなかった。米軍基地内は治外法権のエリアという漠然とした理解に留まっていた。この小説がこの局面を少し具体性をもって知る契機となった。それと横須賀にヴェルニー公園があるということも。私にとってはこの小説を読んだ知的副産物である。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
横須賀市ヴェルニー公園 :「横浜緑地株式会社」
日米地位協定Q&A   :「外務省」
日米地位協定      :ウィキペディア
日米地位協定とは 米軍特権の基礎知識  :「毎日新聞」
日米地位協定に関するトピックス     :「朝日新聞」
地位協定ポータルサイト(日米地位協定関係)  :「沖縄県」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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「遊心逍遙記」に掲載した<今野敏>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 97冊



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