羽州ぼろ鳶組シリーズの第6弾! 比較的ゆっくりとしたペースでこのシリーズを読み継いでいる。本書は平成30年(2018) 8月に文庫本が刊行された。
松永源吾と深雪との間に平志郎が誕生し、すくすく育ちつつある。時折この平志郎の様子が描き込まれていくところが微笑ましい。前作の終りで新庄藩ぼろ鳶組は、田村意次の一計により、方角火消大手組に所属が変更された。今回から、方角火消大手組としての活躍ということになるのだが、この第6作では、ぼろ鳶組火消集団としての活躍は最終段階での出番だけになる。
なぜか? それはこのストーリーの舞台が江戸の不夜城と称される巨大な遊郭「吉原」が舞台となるからだ。吉原には楼主たちが自衛手段として組織化した「吉原火消」が存在する。ただ特殊な点がある。吉原火消は廓内の火消活動だけに専従し、他地域の火事には一切関わらないのだ。さらに、店火消であり、それぞれの火消は個別の妓楼に雇われている火消たちの合同組織である。一方、吉原に関しては、郭外のどの火消も吉原の火事には関わらない。そういう不文律ができているようなのだ。そこには、吉原という遊郭の特殊性が関係していた。
本書で知ったことだが、吉原で火事が発生し妓楼を焼失してしまうと、楼主は妓楼の建物を再建するまでの間、遊郭吉原の近隣で家屋を借り上げて、遊郭外において、一時的に営業を再開することが認められ、さらにその一時営業の期間は税を納めることを免除されるという。この規則が大手の楼主たちにとって、遊郭内の火事による被災は必ずしもマイナスだけではなく利益をもたらすことにもなるそうだ。吉原火消はその存在の根っ子である店火消という点でグレーな側面を抱えていることになる。
その吉原に、源吾が関わるように・・・・。それどころか関わらざるを得なくなる。
事の発端は、彦弥にあった。
非番にお種という女に誘われて遊んだ後に、気持を切り替えたくて待乳山に登ろうと近くまで行った。そのとき、遊郭吉原での火事を目にして、彦弥は思わず現場に向かう。そして、花魁の最高位である昼三にまで駆け上った花菊を燃えさかり始めた妓楼の2階から救出した。花菊はその火事を幸いとして、2階の押し入れに潜んで死のうと決心していたのだ。花菊は、京町1丁目の大見世「醒ヶ井」のトップの花魁、21歳である。火事場の土壇場の中で、彦弥は花菊を救うためにいくつかの約束をすることで、無事救出には成功した。彦弥は花菊に「主さんは・・・」と尋ねられ、「ぼろ鳶さ」と答えた。助けられてしまった花菊は、郭言葉で彦弥に「ぞっとする」と囁いた。彦弥は「ひでえな」と言って笑った。意味が伝わらなかったのだ。この言葉の真意は?
勿論、現代の一読者の私には分からない。その真意は、ストーリーの最後に明かされる。お楽しみに。
この時点で、彦弥の行動は全くの個人プレーである。
ところが、国元からやっと江戸屋敷に戻ってきた江戸家老北条六右衛門のところに、妓楼「醒ヶ井」の楼主鳩五郎が御礼を申し出てきた。そして明日、改めて直接に源吾に礼を述べるために参上するという。源吾は家老の口からそれを聞く羽目になる。
鳩五郎と面談した源吾は、花魁救出の行動を取ったのが彦弥だと分かる。
数日後、再び今度は吉原火消頭の矢吉と称する者が、源吾を尋ねて来る。彼は彦弥に吉原にきて、己に代わって火消頭になって欲しいと言うのだ。勿論、彦弥は言下に断りを言う。なぜ、矢吉がそこまで言ったのか? 矢吉は、吉原で連続して火付けが起きている事実を源吾たちに語り始めた。最近は、四、五日に一度火付けが起こっているという。
事情を聞き取った源吾は、彦弥がしばらく暇をもらい郭に乗り込んで調べたいと云う事を即座に応諾するだけでなく、源吾自らも出向いて調べると言い出した。源吾は、彦弥、寅次郎、そして己の三人がまずは吉原に出向くことに決めた。
その翌日、田沼意次から新庄藩に直々の文が届く。吉原の不審火の多発に対して、方角火消大手組新庄藩は、吉原火消を援けて真相を暴き、事を鎮めよという指示である。
源吾らは、公の仕事として、如月11日に、吉原に乗り込み、連続不審火の真相究明に乗り出して行く。
このストーリーのおもしろさは、遊郭「吉原」が舞台となることにある。彦弥は吉原を素見(付記:廓内の見世を見て回るだけのいわばひやかし)だけで幾度も出入りしていると言い、吉原事情にはある程度通じていた。しかし、源吾と寅次郎は、吉原という名前を知るだけで、そこは全くの別世界、まさに異文化環境である。まず、吉原独特の習慣や言葉から知らねばならないことになる。真相究明よりもまず吉原知識を知ることから始めて行かねばならないことに。
これは、読者にとっても、江戸時代の遊郭「吉原」がどのような存在であり、どのように機能していたかを知る契機になる。時代小説に必要な江戸知識の一つを副産物として楽しみながら得る機会になる。苦界に投げ込まれた人々の心情や悩みを一旦棚上げにして、江戸の社会文化の一要素である、吉原の組織・仕組みと機能・環境などを実に楽しみながら知ることができて、おもしろい。
吉原の郭の唯一の出入口である大門に至った時、源吾は面談所にて、手続きを踏む。町奉行の支配下にあり、隠密回りの同心2人と岡っ引きが交代で常駐する公的な監視所でる。ここで、源吾は隠密回りの同心・岡田五兵衛から、2日前に戸田斎宮の麾下で、麹町定火消頭、日名塚要人と称する火消がただ一人で来て、既に探索に入っていると聞く。岡田はその指示がどこから出ているのかは知らされていなかった。一人であることを、その方が身軽に探ることができると答えられたと言う。
彦弥と寅次郎はその名を知っていた。昨年の安永2年(1773)版火消番付では西の前頭八枚目に位置づけられ、唐笠童子という異名・綽名を持つ火消だった。
源吾は釈然としないものを感じる。田沼意次が源吾らとは別に送り込んでいるのか。それとも、別の誰かがその背後にいるのか。
源吾等の真相究明にとって、日名塚要人がどのように絡んでくるのか。読者にとっては一つの関心事にならざるを得ない。この不確定要素もおもしろみの一つとなる。
今までに6軒の妓楼で不審火があった。これらを源吾、彦弥、寅次郎は三手に別れて、吉原火消の幹部級の者を案内役にして、聞き込みから始めていく。源吾が聞き込みに入った妓楼の楼主から、既に定火消の日名塚が聞き込みに来ていた事実を聞く。楼主は、日名塚からさる御方の命で動いていると言われたと聞いていて、源吾も同じ御方からの命で動いているのだろうと、勝手に理解していた。源吾は、きな臭さを感じ始める。
この吉原の火付け犯探索には、吉原の仕組みの上から制約条件があることをご紹介しておこう。源吾らが聞き込みをして、真相を究明するにあたり、壁になる制約条件としてまず気づくことである。
1)遊女は所属の妓楼以外に、他の妓楼に揚がることはできない。
2)客は一旦、ある妓楼の遊女と馴染みになれば、ほかの妓楼には登楼できない掟がある。
3)若い者、遣手婆、中郎、お針は妓楼の奉公人であり、他の妓楼への出入りは少ない。
4)幇間、芸者、台屋は複数の妓楼への出入りが可能。
5)火付けは多種多様な方法で実行されていた。下手人像が定まりがたい。
さて、これらの制約条件をどのようにクリアして、犯人を糾明していくのか。
一方で、源吾も彦弥も、聞き込みの中で、真相を究明する糸口を見いだしていく。
おもしろい設定要素がある。源吾等が吉原に探索に入った時、「大文字屋」の下村彦右衛門が吉原に来ていることである。彦右衛門は、吉原の妓楼に布団、呉服、湯文字を売る商売目的で滞在していたのだ。
この彦右衛門が思わぬ度量を発揮し、源吾に協力することに。この辺りのストーリーの流れは、実に巧みだと思う。
源吾らが探索に入っている最中に、新たな火事が発生した。勿論、源吾らは吉原火消に協力してというよりも、リードしてその消火活動を行う事態になる。
様々な要素が複雑に絡み合ってくる。源吾は、遂に加持星十郎の出番だと判断する。星十郎の知識と論理的分析力が必要となってくる。さらには新十郎の記憶力と剣の腕が・・・。
この火付け犯人の究明、さらに真相究明は、まさにミステリーそのものである。
これから先は、本書でお楽しみ願いたい。
ストーリーの山場づくりが巧みであり、引き付けていく。エンターテインメント性は申し分ない。楽しめる。一方で、江戸の社会文化についての知識がうまく織り込まれていて、読者としてはこれが副産物にもなり興味深い。
ご一読ありがとうございます。
補遺
吉原遊廓 :ウィキペデキア
遊郭とは?吉原は何をするところだったの?3分で分かる遊郭のすべて :「和楽」
吉原 (東京都) :ウィキペデキア
吉原とはどんな場所?吉原遊郭の跡地を散歩 :「東京生活.com」
江戸の吉原(遊郭) :「ビバ!江戸」
3000人以上の遊女が集結した江戸時代の「吉原」【前編】 :「歴史人」
3000人以上の遊女が集結した江戸時代の「吉原」【中編】 :「歴史人」
【江戸の性語辞典】女性の下着を意味した「湯文字」 :「歴史人」
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『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『塞王の楯』 集英社
松永源吾と深雪との間に平志郎が誕生し、すくすく育ちつつある。時折この平志郎の様子が描き込まれていくところが微笑ましい。前作の終りで新庄藩ぼろ鳶組は、田村意次の一計により、方角火消大手組に所属が変更された。今回から、方角火消大手組としての活躍ということになるのだが、この第6作では、ぼろ鳶組火消集団としての活躍は最終段階での出番だけになる。
なぜか? それはこのストーリーの舞台が江戸の不夜城と称される巨大な遊郭「吉原」が舞台となるからだ。吉原には楼主たちが自衛手段として組織化した「吉原火消」が存在する。ただ特殊な点がある。吉原火消は廓内の火消活動だけに専従し、他地域の火事には一切関わらないのだ。さらに、店火消であり、それぞれの火消は個別の妓楼に雇われている火消たちの合同組織である。一方、吉原に関しては、郭外のどの火消も吉原の火事には関わらない。そういう不文律ができているようなのだ。そこには、吉原という遊郭の特殊性が関係していた。
本書で知ったことだが、吉原で火事が発生し妓楼を焼失してしまうと、楼主は妓楼の建物を再建するまでの間、遊郭吉原の近隣で家屋を借り上げて、遊郭外において、一時的に営業を再開することが認められ、さらにその一時営業の期間は税を納めることを免除されるという。この規則が大手の楼主たちにとって、遊郭内の火事による被災は必ずしもマイナスだけではなく利益をもたらすことにもなるそうだ。吉原火消はその存在の根っ子である店火消という点でグレーな側面を抱えていることになる。
その吉原に、源吾が関わるように・・・・。それどころか関わらざるを得なくなる。
事の発端は、彦弥にあった。
非番にお種という女に誘われて遊んだ後に、気持を切り替えたくて待乳山に登ろうと近くまで行った。そのとき、遊郭吉原での火事を目にして、彦弥は思わず現場に向かう。そして、花魁の最高位である昼三にまで駆け上った花菊を燃えさかり始めた妓楼の2階から救出した。花菊はその火事を幸いとして、2階の押し入れに潜んで死のうと決心していたのだ。花菊は、京町1丁目の大見世「醒ヶ井」のトップの花魁、21歳である。火事場の土壇場の中で、彦弥は花菊を救うためにいくつかの約束をすることで、無事救出には成功した。彦弥は花菊に「主さんは・・・」と尋ねられ、「ぼろ鳶さ」と答えた。助けられてしまった花菊は、郭言葉で彦弥に「ぞっとする」と囁いた。彦弥は「ひでえな」と言って笑った。意味が伝わらなかったのだ。この言葉の真意は?
勿論、現代の一読者の私には分からない。その真意は、ストーリーの最後に明かされる。お楽しみに。
この時点で、彦弥の行動は全くの個人プレーである。
ところが、国元からやっと江戸屋敷に戻ってきた江戸家老北条六右衛門のところに、妓楼「醒ヶ井」の楼主鳩五郎が御礼を申し出てきた。そして明日、改めて直接に源吾に礼を述べるために参上するという。源吾は家老の口からそれを聞く羽目になる。
鳩五郎と面談した源吾は、花魁救出の行動を取ったのが彦弥だと分かる。
数日後、再び今度は吉原火消頭の矢吉と称する者が、源吾を尋ねて来る。彼は彦弥に吉原にきて、己に代わって火消頭になって欲しいと言うのだ。勿論、彦弥は言下に断りを言う。なぜ、矢吉がそこまで言ったのか? 矢吉は、吉原で連続して火付けが起きている事実を源吾たちに語り始めた。最近は、四、五日に一度火付けが起こっているという。
事情を聞き取った源吾は、彦弥がしばらく暇をもらい郭に乗り込んで調べたいと云う事を即座に応諾するだけでなく、源吾自らも出向いて調べると言い出した。源吾は、彦弥、寅次郎、そして己の三人がまずは吉原に出向くことに決めた。
その翌日、田沼意次から新庄藩に直々の文が届く。吉原の不審火の多発に対して、方角火消大手組新庄藩は、吉原火消を援けて真相を暴き、事を鎮めよという指示である。
源吾らは、公の仕事として、如月11日に、吉原に乗り込み、連続不審火の真相究明に乗り出して行く。
このストーリーのおもしろさは、遊郭「吉原」が舞台となることにある。彦弥は吉原を素見(付記:廓内の見世を見て回るだけのいわばひやかし)だけで幾度も出入りしていると言い、吉原事情にはある程度通じていた。しかし、源吾と寅次郎は、吉原という名前を知るだけで、そこは全くの別世界、まさに異文化環境である。まず、吉原独特の習慣や言葉から知らねばならないことになる。真相究明よりもまず吉原知識を知ることから始めて行かねばならないことに。
これは、読者にとっても、江戸時代の遊郭「吉原」がどのような存在であり、どのように機能していたかを知る契機になる。時代小説に必要な江戸知識の一つを副産物として楽しみながら得る機会になる。苦界に投げ込まれた人々の心情や悩みを一旦棚上げにして、江戸の社会文化の一要素である、吉原の組織・仕組みと機能・環境などを実に楽しみながら知ることができて、おもしろい。
吉原の郭の唯一の出入口である大門に至った時、源吾は面談所にて、手続きを踏む。町奉行の支配下にあり、隠密回りの同心2人と岡っ引きが交代で常駐する公的な監視所でる。ここで、源吾は隠密回りの同心・岡田五兵衛から、2日前に戸田斎宮の麾下で、麹町定火消頭、日名塚要人と称する火消がただ一人で来て、既に探索に入っていると聞く。岡田はその指示がどこから出ているのかは知らされていなかった。一人であることを、その方が身軽に探ることができると答えられたと言う。
彦弥と寅次郎はその名を知っていた。昨年の安永2年(1773)版火消番付では西の前頭八枚目に位置づけられ、唐笠童子という異名・綽名を持つ火消だった。
源吾は釈然としないものを感じる。田沼意次が源吾らとは別に送り込んでいるのか。それとも、別の誰かがその背後にいるのか。
源吾等の真相究明にとって、日名塚要人がどのように絡んでくるのか。読者にとっては一つの関心事にならざるを得ない。この不確定要素もおもしろみの一つとなる。
今までに6軒の妓楼で不審火があった。これらを源吾、彦弥、寅次郎は三手に別れて、吉原火消の幹部級の者を案内役にして、聞き込みから始めていく。源吾が聞き込みに入った妓楼の楼主から、既に定火消の日名塚が聞き込みに来ていた事実を聞く。楼主は、日名塚からさる御方の命で動いていると言われたと聞いていて、源吾も同じ御方からの命で動いているのだろうと、勝手に理解していた。源吾は、きな臭さを感じ始める。
この吉原の火付け犯探索には、吉原の仕組みの上から制約条件があることをご紹介しておこう。源吾らが聞き込みをして、真相を究明するにあたり、壁になる制約条件としてまず気づくことである。
1)遊女は所属の妓楼以外に、他の妓楼に揚がることはできない。
2)客は一旦、ある妓楼の遊女と馴染みになれば、ほかの妓楼には登楼できない掟がある。
3)若い者、遣手婆、中郎、お針は妓楼の奉公人であり、他の妓楼への出入りは少ない。
4)幇間、芸者、台屋は複数の妓楼への出入りが可能。
5)火付けは多種多様な方法で実行されていた。下手人像が定まりがたい。
さて、これらの制約条件をどのようにクリアして、犯人を糾明していくのか。
一方で、源吾も彦弥も、聞き込みの中で、真相を究明する糸口を見いだしていく。
おもしろい設定要素がある。源吾等が吉原に探索に入った時、「大文字屋」の下村彦右衛門が吉原に来ていることである。彦右衛門は、吉原の妓楼に布団、呉服、湯文字を売る商売目的で滞在していたのだ。
この彦右衛門が思わぬ度量を発揮し、源吾に協力することに。この辺りのストーリーの流れは、実に巧みだと思う。
源吾らが探索に入っている最中に、新たな火事が発生した。勿論、源吾らは吉原火消に協力してというよりも、リードしてその消火活動を行う事態になる。
様々な要素が複雑に絡み合ってくる。源吾は、遂に加持星十郎の出番だと判断する。星十郎の知識と論理的分析力が必要となってくる。さらには新十郎の記憶力と剣の腕が・・・。
この火付け犯人の究明、さらに真相究明は、まさにミステリーそのものである。
これから先は、本書でお楽しみ願いたい。
ストーリーの山場づくりが巧みであり、引き付けていく。エンターテインメント性は申し分ない。楽しめる。一方で、江戸の社会文化についての知識がうまく織り込まれていて、読者としてはこれが副産物にもなり興味深い。
ご一読ありがとうございます。
補遺
吉原遊廓 :ウィキペデキア
遊郭とは?吉原は何をするところだったの?3分で分かる遊郭のすべて :「和楽」
吉原 (東京都) :ウィキペデキア
吉原とはどんな場所?吉原遊郭の跡地を散歩 :「東京生活.com」
江戸の吉原(遊郭) :「ビバ!江戸」
3000人以上の遊女が集結した江戸時代の「吉原」【前編】 :「歴史人」
3000人以上の遊女が集結した江戸時代の「吉原」【中編】 :「歴史人」
【江戸の性語辞典】女性の下着を意味した「湯文字」 :「歴史人」
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』 祥伝社文庫
『塞王の楯』 集英社
まつやの件ありがとうございます!
しかし、『むかしの味』未読なのです〜
気になるので読んでみますね。
ありがとうございました😊