96歳の母親を介護しているお友達がいます。そのお母さんは、寝ている時間が多くなり、ときどき、お友達の名前を忘れたりなどして、認知症的な時間があるようです。
でも、まだまだ元気で昔のこと、懐かしい歌などを聴かせてあげるとニコニコと微笑んで一緒に歌い出すこともあるんだそうです。介護は大変だそうですが恵まれた家族だと思います。
ところが、恵まれた家族だけではありません。介護1・2の人を介護保険の対象から外し、介護施設への入所もままならない、介護に疲れ果て親子で・・・しょうと考えている家族のことが時々報道されます。なんて悲しいことでしょうか。
介護保険は、もともと自分が介護されなければならなくなった時に家族や周りの人に迷惑をかけずに生涯を迎えるためにと保険をかけてきたのです。
それなのに、介護施設や介護士を増やそうとせずに、家庭介護を推し進めようとしています。
今日は敬老の日、100歳になった人には政府から銀杯(純銀)が贈られるそうですが、100歳にる人が増えたので今年からは合金に銀メッキをした杯になるとか。何ともさもしいことでしょう。
お年寄りや子供を大切にしない国は滅びると言われています。こんな悲しい社会は1日も早く終わらせましょう
今日で満州事変から85年。鉄道爆破という卑劣な謀略で始まった戦争です。中国東北部で戦闘に入った日本人兵士にも犠牲者が生まれました。●21歳で亡くなった佐藤隼太2等兵もその一人です。仙台市の市電電気部で働いていましたが、歩兵第4連隊に入隊、1931年9月18日の戦争勃発とともに出動しました。19日朝、手帳に「遂二戦死セリ」と同僚の死を記したのが最後となりました。●第2師団は、「満州」の主要都市を次つぎ制圧しました。師団長の中将は33年1月に凱旋帰国したとき、声明を全国放送しました。「勇士は何れも壮烈なる戦闘の後、笑って国難に殉じた」と●同師団の地元仙台では、土井晩翠作の「凱旋歌」が歌われました。「凱旋、凱旋、誉れの凱旋」「万歳、万歳ああわが勇士」の文句を勇ましく繰り返して。以前仙台市で出会ったお年寄りは、この歌を良く覚えていました。●一方、侵略を受けた中国では、「松花江のほとり」という悲憤の歌が広がりました。「九・一八、九・一八、その悲惨な時から/我が故郷を離れ、あの無尽の宝を捨て、流浪、流浪・・・いつになったら一家団欒を楽しめるだろうか」●満州事変の発端となった柳条湖事件を18日の夜に起こし、19日の未明に攻撃命令が出されました。くしくも、昨年戦争法が国会で強行成立させられ月日と重なります。アジア・太平洋戦争が終わるまで15年にわたる侵略戦争のきっかけとなったこの日に、殺し・殺される戦争法を廃止に追い込む決意をしたい。(18日付け、しんぶん赤旗・潮流より転載)