真の孤独、それは単純な「独り」という意味ではなく、一つの「個」としての孤独
独身とか恋人がいないとかそういう社会的な独りではなく、生命体としての「個」
だから配偶者や恋人がいても相手の人が先に死ねば独りになるし、自分が先に死んだら相手が独りになる
それが個という意味
エヴァンゲリオンの人類補完計画はその真の孤独を捨て、全員で1つになろうとする事だと思っている
ただそうすることにより、全ての意味が、全ての価値が無くなってしまった
悲しみも苦しみもない代わりに、楽しい事も嬉しい事も無い
全てが無になってしまった世界、全てが1であり全てが0の世界、他人と自分が同じな世界
それをシンジが最後に拒絶したっていう話じゃないかなと勝手に思っている
(どうでもいいけど劇場版エヴァの最後は2020年らしいですね
話半分で待っているのが吉)
おばあちゃんは言っていた「みんな居なくなっちゃった、私が最後」と
自分が死ぬ前に親族や友達が全員死んでしまったのだ、残ったのは子と孫のみ
前にも言ったが夫を自分が死ぬ50年も前に失くし、3人娘の一人も30代という若さで失った
戦争で指を一本失くしたし、実の母親は自分を産んで直ぐに死に、育ての母親には嫌われたらしい
でもおばあちゃんはそういう話無しなかった
全部亡くなった後で読んだおばあちゃんの日記(夫を亡くした時から50年の間に書いたもの)
に書いてあった
長生きするという事はそれだけ悲しい事も増えるという事
だってそれだけ他人が死ぬのを見てきた事になるのだから
なんでおばあちゃんの話がこんなに出てくるのかというと、さっき夢に出て来たのだ
おばあちゃんが亡くなってから夢に出て来たのは2-3回目だと思う
おばあちゃんはひとりで椅子に座り机に向かってミシンをかけていた
俺はそばでテレビを見ていた
小学生の時にこんなシーンはよくあったので、多分自分は小学生だと思う
そのテレビにさんまが出てたのだけどめちゃめちゃ若かったしw
それで良くわからんけど俺が悲しくなり「おばあちゃん、死んじゃやだ」といって抱きつきに行ったら
「一緒に居るよ」といって優しく抱きしめてくれた
そこで目が覚めた
実際生きている時にそんなシーンは無かったと思うけど
起きた時もその感情は胸に残っていて、少しだけ泣いた
昔仕事をしたくてもできなくなった時にも孤独感はやってきた
「今自分がここに居るという感覚がしない」というもの
生の実感が無い、自分が何の為に生きているのかわからない
そういうものがあるから、人は他人を求めるのだろう
自分を認めてくれる誰かと一緒に居たいのだろう
きっとそういう風に作られているのだ
・・・もっと合理的に言えばそういう機能がある方が子孫を残す為には良い
という考え方もできるが、それを言ってしまうとなんか擦れてる気がするw
独身とか恋人がいないとかそういう社会的な独りではなく、生命体としての「個」
だから配偶者や恋人がいても相手の人が先に死ねば独りになるし、自分が先に死んだら相手が独りになる
それが個という意味
エヴァンゲリオンの人類補完計画はその真の孤独を捨て、全員で1つになろうとする事だと思っている
ただそうすることにより、全ての意味が、全ての価値が無くなってしまった
悲しみも苦しみもない代わりに、楽しい事も嬉しい事も無い
全てが無になってしまった世界、全てが1であり全てが0の世界、他人と自分が同じな世界
それをシンジが最後に拒絶したっていう話じゃないかなと勝手に思っている
(どうでもいいけど劇場版エヴァの最後は2020年らしいですね
話半分で待っているのが吉)
おばあちゃんは言っていた「みんな居なくなっちゃった、私が最後」と
自分が死ぬ前に親族や友達が全員死んでしまったのだ、残ったのは子と孫のみ
前にも言ったが夫を自分が死ぬ50年も前に失くし、3人娘の一人も30代という若さで失った
戦争で指を一本失くしたし、実の母親は自分を産んで直ぐに死に、育ての母親には嫌われたらしい
でもおばあちゃんはそういう話無しなかった
全部亡くなった後で読んだおばあちゃんの日記(夫を亡くした時から50年の間に書いたもの)
に書いてあった
長生きするという事はそれだけ悲しい事も増えるという事
だってそれだけ他人が死ぬのを見てきた事になるのだから
なんでおばあちゃんの話がこんなに出てくるのかというと、さっき夢に出て来たのだ
おばあちゃんが亡くなってから夢に出て来たのは2-3回目だと思う
おばあちゃんはひとりで椅子に座り机に向かってミシンをかけていた
俺はそばでテレビを見ていた
小学生の時にこんなシーンはよくあったので、多分自分は小学生だと思う
そのテレビにさんまが出てたのだけどめちゃめちゃ若かったしw
それで良くわからんけど俺が悲しくなり「おばあちゃん、死んじゃやだ」といって抱きつきに行ったら
「一緒に居るよ」といって優しく抱きしめてくれた
そこで目が覚めた
実際生きている時にそんなシーンは無かったと思うけど
起きた時もその感情は胸に残っていて、少しだけ泣いた
昔仕事をしたくてもできなくなった時にも孤独感はやってきた
「今自分がここに居るという感覚がしない」というもの
生の実感が無い、自分が何の為に生きているのかわからない
そういうものがあるから、人は他人を求めるのだろう
自分を認めてくれる誰かと一緒に居たいのだろう
きっとそういう風に作られているのだ
という考え方もできるが、それを言ってしまうとなんか擦れてる気がするw