俺はおばあちゃん子だった
親は二人とも仕事で夜に帰ってきていたので
学校から帰ってからは二人でいる時間が多かったからだ
もう亡くなって5年は経つ
亡くなる一年ぐらい前に炎症で入院した時に一気に認知症が進み
本人としては自己認識は出来ていなかったと思う俺はこの時点でおばあちゃんは亡くなったと認識した
そこに居る生きている人はおばあちゃんではなかった
その時に「死んだんだ」と思って泣いたので、命が消えた時には一滴も涙は出なかったし、悲しくもなかった
だってもうおばあちゃんの心は既に、、、
そのおばあちゃんが認知症になる前の最後の言葉は未だに鮮明に覚えている
俺の手を両の手で握りしめながら「がんばりぃや」と言われた
その時は適当に笑って返していたが
今となってはそれを思いだすと少し涙が出てくる
(さっきから過去のことばかり思いだしていたので、不意に思いだした)
おばあちゃんは夫を亡くなる50年も前に病気で失っている
その後はなんの浮いた話しもなく、タダひたすら子育てと孫育てをしていたと思う
もしかしたらその時には既に自分の為の人生は終わっていたのかもしれない(分からないが)
そんな人生を送ってきた人の
「がんばりぃや」
生きることは頑張ること
ただ時間が過ぎていく人生を送れる訳がない
今生きている人は過去に生きて、そして死んでいった人の全てを受け継いでいるのだ
それがなければ今はないのだから
老害という言葉を発している人間全てを軽蔑する
そしてその言葉を最初に使った愚かな人間
お前達は何も分かっていない
現在が現在だけで成り立ってると思っているが如き浅はかさ、愚者極まりない
親は二人とも仕事で夜に帰ってきていたので
学校から帰ってからは二人でいる時間が多かったからだ
もう亡くなって5年は経つ
亡くなる一年ぐらい前に炎症で入院した時に一気に認知症が進み
本人としては自己認識は出来ていなかったと思う俺はこの時点でおばあちゃんは亡くなったと認識した
そこに居る生きている人はおばあちゃんではなかった
その時に「死んだんだ」と思って泣いたので、命が消えた時には一滴も涙は出なかったし、悲しくもなかった
だってもうおばあちゃんの心は既に、、、
そのおばあちゃんが認知症になる前の最後の言葉は未だに鮮明に覚えている
俺の手を両の手で握りしめながら「がんばりぃや」と言われた
その時は適当に笑って返していたが
今となってはそれを思いだすと少し涙が出てくる
(さっきから過去のことばかり思いだしていたので、不意に思いだした)
おばあちゃんは夫を亡くなる50年も前に病気で失っている
その後はなんの浮いた話しもなく、タダひたすら子育てと孫育てをしていたと思う
もしかしたらその時には既に自分の為の人生は終わっていたのかもしれない(分からないが)
そんな人生を送ってきた人の
「がんばりぃや」
生きることは頑張ること
ただ時間が過ぎていく人生を送れる訳がない
今生きている人は過去に生きて、そして死んでいった人の全てを受け継いでいるのだ
それがなければ今はないのだから
老害という言葉を発している人間全てを軽蔑する
そしてその言葉を最初に使った愚かな人間
お前達は何も分かっていない
現在が現在だけで成り立ってると思っているが如き浅はかさ、愚者極まりない