珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

小学校行事にて

2018-03-02 | 娘と夫の話
小学校の行事に出席した。
娘が間もなく卒業なので、父兄への感謝の会のような催しがあったのである。
劇やダンスなど演目がいろいろあって、娘の参加演目はミスチルの「hanabi」の合奏だった。
演奏を聴いて、リズムがしっかりしてるなあと思ったら、ドラムを叩いていたのがKくんだった。

私は彼らが小3の時初めて見た音楽会で、Kくんのピアノ演奏に驚いた。
帽子を被って、楽譜も鍵盤も見ずにノリノリで弾いている様子に、思わず見入ってしまった。
その日もさすがだなあと思いながら彼を見て、慌てて懸命に木琴を叩いている小さな娘を追った。

最後にいきものがかりの「エール」の合唱が、学年全員で合始まった。
ピアノはKくんだった。
驚いたことに、彼はピアノに譜面を置いてなかった。
そして、何度も何度も指揮者を確認していた。

ところが残念なことに、指揮者の女の子はあまり指揮がうまくなかった。
可愛らしいんだけれど、ただ手を適当にふっている感じで(ごめんね)、でも歌う子どもたちはそんなことは誰も気にしていないようだった。
ただ一人、ピアノの彼だけが懸命にリズムを合わせようとしているのがわかった。
私はハラハラしながら彼を応援した。

娘ですか?
前列にいながら、明らかに口パクだったので殆ど見なかった(笑)

終わってから娘に言われた。
「ママ、Kくんばっかり見てたでしょ」
「いやだってね。あなた全然歌ってなかったよ。Nちゃんなんて大きな口開けて、背筋もピンとしてよかったのに」
「Nも口パクだよ。そう言ってたよ」
「そうなの?同じ口パクなら、あのくらい上手くやりなさいよ」
うちはこんなレベルの会話の親子なんだけどね。
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捨てると現れる女神

2018-03-02 | 思うこと
世の中には買い物をしてトレスを発散する人がいるらしいけど、私は逆で捨てることに解放感を感じる。
休日に買い物にいく時間があったら、捨てることにに専念したいくらいである。

文章もそうで、書いているうちに余計な言葉に胸やけを感じて、それを削除する。
おー、すっきりした!と一人ニヤニヤして満足する。(これ自分だけのマニアな世界なので伝わらないかもしれません(笑))
要は、文章にも贅肉があるといえばいいのかな。
クドクドした言い回しや、くだらない自己アピール。
こってりした食事に、頼んでもない甘すぎるデザートなんか押し付けられることを考えてみる。
読んだ方は、わざわざ「ちょっとしつこいですね。こうした方がいいですよ」なんて、やさしいアドバイスはしてくれないのよ。

捨てることって、モノだけじゃなくてこんなふうに言葉もあれば、あとは例えば付き合いもあると思う。
具体的にいえば、PTAや(くじ引きや順番でまわってくるんですよ)学校行事の付き合い方。
基本、ママ友達とつるんでは行かないこと。
こうすると、彼女らのきりのないおしゃべりに巻き込まれずにさっさと帰れる。
これ、バカにできない時間の節約になります。

情報交換のために、ママ友とは密につきあった方がいいという意見もあるかもいれないけど、私の経験上、それらはまず役に立たなかった。
だいたいが人の噂話か自慢話か、別にストレスにもならないけど、聞いたところでどうでもいいような毒にも薬にもならないことだった。

捨てると現れる女神がいるというのをご存じだろうか?
 捨てるって冒険だし、リスクもあるんだけど、それをやった人間にだけ微笑んでくれる幸運の女神。

これは体験しないとわからない。



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