珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

なぜ示談にするのか?

2018-03-08 | 日記
何か事件が起きた時、被害者が裁判で徹底的に争わずに示談にする場合があるのは、何故か?
突然だけど、これをご存じだろうか?

もしかして、こんな答えが返ってくるかもしれない。
裁判にしないで示談にしたってことは、被害者は加害者を許したというか、寛容な目でみたのだろうか?
或いは、示談というものを裁判より穏便にみている人もいるかもしれない。

いやそうではなくて、裁判というのは一言でいえば時間と労力がかかるのである。(話を聞いて5分でうんざりした)
気の短い私にはとうてい無理に思えた。
さっさと忘れてしまいたい不愉快なことのために、そんなことに長期にわたって関わりたくないと思った。
そして私の性格上、自分の娘(まあ自分と同じです)に起こったことを司法といえ、他人任せにすることが嫌だった。
他にも幾つかあったけどこれが理由だった。

ちょうど一年前の今頃。
「加害者の両親に会わせてください」(加害者は未成年だった)
と言ったら、最初弁護士さんは驚いた。
ふつうは先方が謝罪のため面会を申し込んでも、断る人が圧倒的だそうである。

そういうわけで前にちょっと書いたけど、娘が通り魔被害のような事件に遭って、こんなドラマのようなことが自分の身の上に起こるんだ?と驚きながら、ついでに加害者の両親と会って話すという、もっと希少なことを体験した。

場所は双方の弁護士を交えての、こちら側の弁護士の事務所だった。
私はまっすぐに彼らを見つめて、率直な思いと質問をぶつけた。
父親は憔悴しきっていた。
母親の方は知らない。(女は図太いんだなあと思った)

ちなみに「慰謝料」というのは司法で裁くとシビアである。(これは刑事ではなく民事裁判)
被害者やその家族が、事件によって実質の被害を被った金額の妥当性を領収書を提示して要求する、ということに私の心は納得しなかった。
お金で心は買えるはずはないが、私は一定額の支払いを要求した。

生々しいけど、これが示談というものだった。
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好きなブロガーさん

2018-03-08 | 日記
ある人気のブロガーさんが書いておられた。
その人が作る動画は人気があってよくコピーされて拡散されるのだけど、
自分の名前がついていなくても全然かまわない。内容が評価されシェアされればいい
また
YouTubeやブログで収入を得たくないのは、真実を伝えることに“金儲け”をなるべく絡めたくないから。自分にはなにか不自然なこと、不純なことに感じられる

私なんかが口を挟むような、チンケな内容を書かれている方ではないので大変僭越ながら、このような考え方に私は単純に魅かれる。
いいわるいじゃなくて、ただ好きか嫌いのアンテナが反応する。
金や知名度を圧倒的に凌駕するものがある。
そういう幸福度は、わからない人には説明してもわからないと思うけど。

ブロガーには、ネットで人気者になりたい人と純粋に書きたい人がいるんじゃないかと思う。
書きたい、伝えたいと思うなら、宣伝よりまずおもしろいものを書け!!
アクセスを励みに書くんじゃなく、一人内容に集中するのである。

それに尽きるんじゃないかなと思う。
例え最初は、ネットの海で独りぼっちで漂流しているように思えても、本当におもしろいものは必ず誰かの目に留まる。
2、3桁読めば引きこまれるし、読み続けられる。
そのくらいの力があるし、そんな気概があるからこそおもしろいのである。

まだ何も書いてないのに、人気ブログに乗っかって「ブログ始めました。見に来てください」と売名すれば アクセスはくる。
そうではなくて、ただ内容を書くことだけにしか満足できないブロガーさん。
そんなブロガーさんに、もっともっと出会えたらうれしいと思う。
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