珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

自由は愉し

2018-03-07 | 娘と夫の話
娘の中学校のカバンを買いに行った。
地元の公立中学に通うのだけど、カバンは自由なのである。
毎日使うカバンが自由!!
自分で考えて選ぶ。
これぞ教育だ。
すばらしい!!


私の行った中学なんて田舎の公立中学なのに、今思うと軍隊並みのガチガチのクソみたいな規則だらけで、そのおかしさはクルクルパーのレベルだった。
靴下は無地で白。
黒も紺もグレーもワンポイントもダメ。
その白の無地を止める、当時はやったソックタッチも禁止だった。
ホワイ?
靴下がずり下がらないように止めるという意味しかない、スティック状の糊がなぜいけないのか?
ソックタッチはいけなくて、工作糊で止めるのならいいのか?
洗濯しても落ちないぞ。
靴下のずり下がりを止めるだけのことを、色気づいた不良の一歩みたいに得意満面に没収する教師たちは、今思うと思考停止の権化だった。

前髪が眉毛にかかるのもダメ。(なつめちゃんみたいのが理想)
それはなぜ?
目にかかるなら健康上問題があるかもしれないけど、なんで眉毛?

カバンは黒い指定の学生カバンで、サブバックは指定の変な緑色のナップサック以外は一切認められなかった。
そしてどちらにもストラップ一つ、付けてはいけなかった。

これには自分のものを見つけにくくすること以外に、何の意味があったのか?

そんな支配された日々と違って、いい学校だなあと思っていたら女子の今の流行りはリュックだと聞いた。
近所の同じ中学校に通う女子生徒を見ていたら、本当だ。
10人が10人リョックをしょっていた。

カバンのコーナーに行ったら、リュックの他に黒と茶色のショルダーバッグがあった。
ピノコはリュックには目もくれず、茶色のそれを選んだ。
リュックじゃなくていいの?と聞いたら、「これがいい!」と嬉しそうに目を輝かせた。
制服には全く興味を示さなくて、面倒くさそうに採寸していたのに。

その調子で、好きなことを自分の目線で選ぶ人生を生きていけ~。
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当たり前ではない

2018-03-07 | 日記
以前、ブログを書いていた時私は天涯孤独ですというコメントを頂いたことがある。
夫の仕事仲間にも、まだ若いのにそんな方がいる。
家族がいても、そりが合わなかったり事情があったりで疎遠の人もいる。
血縁を恋しく思う人のように、厭わしく思う人もいる。
見えていないだけで、そういう人はふつうにいる。
ざらにいる。

震災の話が出ると、愛する人を失った悲しみに同情や励ましが必ず寄せられる。
間もなく訪れるそあの日も、おそらくそれ一辺倒が語られることは間違いない。
そうでもない人がいなくなった解放感については、決して語られないことも。

幸せ=家族が健在で仲良し、というのはあくまで一つの側面にすぎないのに、そんなアピールばかりが強い人に、想像力をもたせるのは難しい。

まずは簡単なことから想像してみることをお勧めする。
クリスマスやお正月というと家族と和やかに過ごすのが当たり前、ではない。

そして人は自分の体験した境遇によってどちらかに偏りがちで、家族思いか極端に冷たいかになる。
両方をよくよく理解している人は、なかなかいない。
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