珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

騎馬戦の思い出

2018-03-09 | 娘と夫の話
娘の小学校の行事はそれなりに参加した。
言われるままに、PTAの役員も引き受けた。

確かに時々参観日を忘れたり、さぼったりはしたけど、給食袋に入れる給食当番の帽子と
パンツを間違えて入れたこともあったけど、母なりに頑張った。

そして娘も、6年間見事に、断固手を挙げなかったけど、廊下に特別に選ばれて貼られた絵や習字や作文は一枚もなかったけれど、夏休みの読書感想文は、
私がテキトーに書いたものを丸写しして提出していたけれど、家庭科の裁縫は全部友達が縫っていたみたいだけど、それでも不登校にもならず卒業しようとしている。
充分である。

そんな小学校生活だったけど、ただ一度だけ、誇らしいと思った瞬間があった。
それは最後の運動会の騎馬戦だった。
華奢な娘は騎馬の上に乗ることになった。
対戦は一対一のルールで、学年でいちばん気が強いと言われている女の子と当たることになった。
ハーフで、顔立ちも性格もはっきりしている生徒だった。
勝負事には熱くならない娘が、めずらしく思うことがあったらしく私に言った。
「ママ、練習台になって!」
娘は細い腕で必死で私につかみかかって、負けまいとした。

 そして本番当日。
一斉に騎馬がスタートして、 娘と対抗する女の子を乗せた騎馬も闘志むき出しで駆け寄ってきた。
勝負は意外に長引いて、全部の騎馬の勝負がついても、その二つの騎馬だけが終わらなかった。
父兄も児童も先生方も一斉に注目して、大声援になった。
あの、普段教室でいるかいないかの娘が、圧倒的に目立っている女の子と掴み合って闘っているのを私は不思議な感覚で見つめていた。
そして娘が相手の帽子を掴んでうれしそうに手を上げた時、場内にものすごい拍手と歓声が沸き起こった。
親バカ全開で感動した私に、娘が涼し気に言った。
「××に勝つと、皆がとくべつに喜んでくれるの」

その時の写真が先日パソコンに上がってきた。
卒業前に、最後の思い出の購入しませんか?というセールスである。
ピノコはもう勝敗なんかどうでもいいようだった。
ただ「××の顔がこわい!!」とゲラゲラ笑っていた。
私には本気で勝負しようとしている真剣な顔に見えたけどね。

一方で、娘のヘラヘラしたしまりのない顔にズルッときて、感動するほどでもなかったなと思った。
やはり体温の低い娘であった。
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必ず現れる人

2018-03-09 | 日記
ある人気ブログでの話。
そこは管理人の記事というより、コメント者同士の対話とコミュニケーションが中心のサイトだった。
とにかくひっきりなしにコメントが入る中で、あることに気づいた。
「落ち込んでしまいます」「気持ちが晴れません」的な、具体的に答えようのないお悩みコメントが入ると、100%、いや120%、いや200%必ず現れる人がいた。
別にその人の職業がカウンセラーというわけでもないようなんだけど、皆勤賞で現れる。

それである時からお悩みコメントが載ると、その内容より「くるぞ、くるぞw」と私は一人穿った読み方をしてしまうようになった。(正確にいうと今でもしている(笑))

人のことを心配して親切にするのはわるいことではないだけに、それの何がいけないの?と言われれば言葉にするのは難しい。
(私の根性が曲がっているだけと思います。今回は(も?)曲がった記事です)

以前、あるサークルのようなものでリーダーだった人が、すごく人望があって親切な人だなあと思っていた。
でもそのサークルをやめた時、そのリーダーだった人はさばさばと打ち明けた。
「あれは立場上、責任感で一生懸命やっていただけ。私はそんないい人じゃないわ」
その人は、自分が偽善だったように言ったけれど私はそうは思わなかった。

ブログに現れる人は、会ったこともない人に片端から、うんうん!と話を聞いて同情する。
そして毎回、流暢に励ましたり元気付けたりする。
誰に頼まれたわけでもなく、自分がやりたいからやっている。
根から好きなんだろうなあ、他人の不幸を覗くことが。
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