珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

コミュニケーション能力2

2018-08-02 | 日記
私が、世の中というものを全く知らなかったガラスの十代の時。
お茶くみもコピーも「さっぱりわからない」まま会社に入って、もっとわからなかったのが、上司への接し方だった。
ある日、上司へ電話をつないだらうまくつながらずに、電話が切れてしまった。
上司が私を怒鳴った時、先輩の女性がクスクス笑いながら私を見た。
後で理由を尋ねたら
「だってあなた、露骨にふくれ面してたから」
「私ちゃんとつなぎました」
「そうであっても、すみませんと言っておくのよ」

そのくらい上下関係も知らず、コミュニケーション能力もなく、怒られ笑われ、一から常識を覚えていった次第である。

あれからウン十年…
お茶くみもコピーも電話もパソコンもできるようになっても、コミュニケーションはやはりむずかしい。
だけどこれが一番大切と思う。

「それは自分は違うと思う」となった時、世の中には様々なタブーが立ちはだかる。

目上である、お世話になった、思いを寄せている、無勢に多勢である、利害がある、言いにくい空気、波風が立つ…

そんな時に、うまく言える人で、言ってもらえる人(できれば優し~~く♡)でありたいと思う。
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違和感

2018-08-02 | 日記
「子どもがこうなったのは私の育て方かしら…」
親なら一回や二回は、言ってみる言葉かもしれない。
ちゃんと自己反省のできる母親を意識して。

最近も、ママ友がつぶやいているのを聞いた。
子どもなんて、思った通りに育つわけでもないのにね。

私はその時なんとなく感じた違和感を、ずっと考えていた。

似たような感じで、私が母親に
「私がもっとこうしてあげればよかったのに、ごめんね」
などと言われるのが好きじゃなくて、どうも落ち着かなかったことを思い出した。

反抗期にそんなこと言われようもんなら
「うっとうしいわ!!私は私。好きでこうなってん!!誰が親の影響なんか受けるかー!!」
くらい言い返していたかもしれない。

何だろうこの感情……そう。
「こうなったのはアンタが悪い」と言われると、腹は立つけど一人前に扱われてる気がするのに対して、
「あなたがこうなったのは私が悪かったせい」みたいに言われると、自分が無力で支配されている感じがするのである。

以前、友人を変な会に入会さてしまったことを悔いて、メールで
「私のせいでとんでもないことをさせて、本当に本当に申し訳ないと思っている」
みたいなことを書いて送ったことがあった。
それは正直な気持ちに違いないんだけど、打ちながら何かこう、やはり違和感があった。
友人は憤慨して
「そんなの私の自由。海ちゃんに言われる筋合いではない!!」
と返してきた。
その時は、ああまだ伝わらないんだ…とだけ思ったけど、今はうっとうしいこと書いたな、と思う。

「私のせい」って一見しおらしいけど、全部が全部自分の責任なんて実際そんなことあるのだろうか。
自分をやたら責めすぎるのも、なんだかそれもどこか思い上がった話というか、自己防衛?自己満足?のような気がして…

ただの自分の違和感である。
これが正しいなんて思わない。

私は娘に「ママの育て方がわるくてごめんね」とは一度も言ったことがない。
実際、立派な育児なんかしてないけど、日々「アンタが悪い!!」と怒鳴りまくっている。
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