珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

先を行く人

2018-08-26 | 思うこと
圧倒的多数が「そう」言っていた時、逆らうのがめんどうくさくて、はいはいと言っておいた。
倒的多数が安心と、波風を立てて注目されるが嫌なばかりに。

でも、そんなものどこ吹く風と自分はこう思うを言っている人はいた。

そういう人は「激しく同意」も「ああ私だけじゃなかった~」も、心底どうでもいいことなんだと思う。
誰が賛同しようが反発しようが、そんなもの知ったことじゃない。

後に、当時は誰も言ってなかった、その人が言っていたことが圧倒的多数となった時。
それに激しく同意しても波風が立たなくなった時。
 

途端それらのシンパはドッと押し寄せる。

ああ、あの人の言っていたのはこれか!!
圧倒的多数に囲まれてやっとそう思った時、あの人はもういない。

そんな人は、とっくにそこを去っていて、またどこ吹く風で好きなことをしているんだと思う。

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幾つもの事実

2018-08-26 | S教団関係
シンパがアンチになった途端、突然増えるのがスキャンダルである。
誰かと誰かが不倫していたとか、誰がお金に汚いとかDVだったとか、今まですっとぼけていたことを暴露しだすからである。
しかも同じ出来事が、その時の感情で、別モノのように内容が変わる。

シンパの時は「いいように、いいように」「肩入れして」「できるだけ穏便に」したものが、
アンチになると「ことさら刺激的に」「悪意をこめて」「センセーショナルに吹聴する」

そしてそれらは立場によって、いくらでもニュアンスを変えられる。

シンパの時は、人を深くわかろうとする気持ち、事情を汲もうとする気持ちから。
アンチになってからは、それは悪口ではなく、しょうもないことを告発することで「目を覚ましてね」という思いやりからの気持ちから。

気に入らない場合には、軽蔑をこめて隠蔽体質と呼ぶ。

感情次第でいかようにも語れる、幾つもの「事実」があるんだなと思う。
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