以前、アンチブログを書いていた時、自分を棚上げしていると言われたくないあまりにか、やたら
「私はクズだった」「カスだった」「被害だった同時に加害者でもあった」
と言いたがるコメントが多く目についた。
クズなんて謙遜を通り越して、酷い自虐と思うけど。
私は子どもから「自分なんてダメ」なんてネガティブな発言を聞くたびに、嫌な気分になる。
なんでこんなに自己肯定感が低いのかと悩んでしまう。
「そんなこと聞いて、ママがうれしいと思う?」
と、不機嫌になって返す。
自分がよかれと思ってやったことは、例え失敗だったとしても、その時は信念に沿ってやっていたのならば、人はそこまで卑屈にならないと思う。
卑屈になるなら、それはどこかに「やましさ」があったからではないか。
夫は若い頃の自分をロクでもなかったと言うが、その時はそれがやりたかったんだと笑う。
その屈託のないもの言いを見ていると、「しょうもなさ」でさえ爽快である。
失敗のない人生などない。
でも卑屈な人生になるかどうかは、その人次第と思う。
「私はクズだった」「カスだった」「被害だった同時に加害者でもあった」
と言いたがるコメントが多く目についた。
クズなんて謙遜を通り越して、酷い自虐と思うけど。
私は子どもから「自分なんてダメ」なんてネガティブな発言を聞くたびに、嫌な気分になる。
なんでこんなに自己肯定感が低いのかと悩んでしまう。
「そんなこと聞いて、ママがうれしいと思う?」
と、不機嫌になって返す。
自分がよかれと思ってやったことは、例え失敗だったとしても、その時は信念に沿ってやっていたのならば、人はそこまで卑屈にならないと思う。
卑屈になるなら、それはどこかに「やましさ」があったからではないか。
夫は若い頃の自分をロクでもなかったと言うが、その時はそれがやりたかったんだと笑う。
その屈託のないもの言いを見ていると、「しょうもなさ」でさえ爽快である。
失敗のない人生などない。
でも卑屈な人生になるかどうかは、その人次第と思う。