珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

雑誌を読んで

2019-02-08 | 日記
Newtonという雑誌の別冊がおもしろいと勧められた。
すぐ読む課の海としては即、バックナンバーを含めて数冊注文して読んだら本当に面白かった。

最新号の「絵でわかるパラドックス大百科」の中のアビリーンのパラドックスの例。
4人家族の娘が「明日からの連休、久しぶりに温泉でもいかない?」と提案した。
息子は友達とサッカーの約束があると渋った。
でも母が「いいわね、行きましょう」と言った。
すると父も「たまには旅行もいいんじゃない」と話に乗った。
すると、息子も「皆が行きたいなら仕方ない。行こう」となった。
それで車で温泉に行ったが、結局宿も料理も値段のわりに今いちで、おまけに帰りは大渋滞に巻き込まれて、家に着いたのは連休最終日の深夜だった。
長時間の運転にクタクタに疲れた父が「連休は釣りに行きたかった」とこぼした。
母も「私は本当はデパートのセールに行きたかった」
息子は「僕だって友達とサッカーをするつもりだった」
娘までが「私も実は遊園地にいく計画があったんだけど、たまにはお母さんを家事から解放させてあげたかっただけ」

つまり誰一人温泉など行きたくなかったのに、思いやりのある(或いは事なかれ主義の)4人はやりたくもないことに時間もお金も体力も消耗してしまったのである。
このように集団が、集団の意志とは逆のマイナスの方向にいくことがある。
実際にこのようなパラドックスに陥っている企業や団体が存在する……

集団(ほんの4人くらいでも)こんなことが起きるんですね。
「よかれと思って」思いやりのある人たちが、いったい何にあやつられるのだろうか。



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わからないことはわからないと

2019-02-08 | S教団関係
娘の家庭教師を頼んだ時、私がお願いしたことは一つだけである。
「わからないことをどれだけわからないと言っても、笑わない、怒らない、バカにしない先生をお願いします」

今も時々訊く。
授業は一切覗いていないけど「わからないことはちゃんとわからないと言ってる?」と。

どれだけ気をつけようとしても「誰も質問しないから」「わからないのはきっと私がおかしいだけ」と納得させてしまうことがある。
それを後悔した経験があるのにね。
本音、本音と言っている私だって、雰囲気や立場に呑まれて言えなかった、訊けなかったことがあるんですよ、これでも。

これだけは捨てずに手元にある「香峯子抄」という本。
私はここに書かれている「奥さんとしての一女性」に尊敬する部分が幾つもある。
私は奥さんをみれば夫がわかると思っているし、いくら外面がよくても、一緒にいる奥さんは騙せないと考えてる。
あの人はこんないい奥さんをもっている面があるんだなあ、とは思った。
言えなかったけど。

お米を一粒を無駄にしなかった。
紐も紙も何度も再利用した。
子どもを毎朝、姿が見えなくなるまで手を振って見送った。
子どもの前ではいつも笑顔を絶やさなかった。
すごい。
どんな偉そうなことを語る人より私は驚いた。
外国でパンがダメな夫のためにボンベを使ってバスルームでご飯を炊いた、なんて話には思わず笑って感心した。

わからないことはわからない。
改めて問い続けたいと思う。



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