珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

好奇心

2019-04-02 | 思うこと
これまでネットに書いてきて、どこの誰かもわからない画面の奥の人に
「この人どんな人?実際に会いたいな」と思った人が一人だけいた。
その時は好奇心と行動力のままに本当に会いに行ったが、それは魅力を感じた、というよい意味だった。

逆に、悪い意味で「こいつ誰?」と思った人もいる。
恐ろしいことに同じくらい会いたいと思った(笑)
真っすぐ目を見て、「ねえ?どういうつもり?」と訊きたいのである。
リアルで私と会って、ネットと同じことが言えるのか確かめたいのである。
そして何故、何も知らない、何をされてもいない他人に、そこまでの中傷ができたのかその理由と、それをどんな顔してどんなふうにしゃべるのか、反応を見てみたいのである。

そして、内容次第に限り、それを遠慮なく隈なく書きたいと思う私って、「書く」となるとどんだけ容赦ないのかと苦笑いしてしまう。
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ネットの外部

2019-04-02 | 思うこと
「会ったこともない人に虜になって『先生』と呼べる、宗教信者のメンタルって滑稽」と笑う人がいるが、そんなの不思議に思うことなかれ。
会ったことがないどころか、顔も名前も素性も知らない人に「ババア」とか「気持ちワルイ」とか「闇を感じる」とか簡単に書けるのがネットの住人である。

「知りもしない人に心酔して涙する」のと
「知りもしない人の文字だけでカーッとなって心を持っていかれる」のと
どこがどう違うの?

知りもしない先生が大嘘を言ったり、ゴーストライターが書いていたのだったら、どこの誰ともわからない人だってそれは同じ。
変身願望のある人や、退屈しのぎや憂さ晴らしがしたい人が、「心にもないこと」を書いているかもしれないのに。

そんな宗教ほどにも根拠のないものを素直に真に受けて、心を躍らせたり乱すことができるオメデタイ人。
宗教にも、ネットのやりとりにもハマったことがない夫は、それが「さっぱりわからない」という。

ネットには書かれない、ネット外部の声である。
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