珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

夫との会話

2019-04-04 | 娘と夫の話
芸能ネタに疎い夫が
ねえ、『なんでもないようなことが~シアワセだったとおも~う』って歌っていた人って離婚したの?」
と訊いてきた。
いつの話ですか・・・( ̄  ̄;)

「うん、だいぶ前だけどね」
「なんで?」
「なんでって?なんか奥さんが嫌になったみたいよ。旦那さんの方は別れたくなかったみたいだけど」
「旦那さんが別れたくないって言ってるのに、別れたいだと?それはとんでもねーな」
「ガマンできないところが出てきたんじゃない?いつまでも夫の世界だけに従っているのが嫌になったとか」
「だって奥さんってそういうもんだろ?」
「そんな人ばかりじゃないよ。でも旦那さんの方は確かに未練があって辛そうだったような」
「当たり前だろ!!女はいいわけ?昔のよかった思い出とかないわけ?」
「そんなこと思ってる人は離婚なんかしないんじゃないの?」
「信じられないな。別れました、ハイ全部忘れました、になるのか女って」
「まあそういう人多いよね。忘れましたはまだいいよ。黒で塗りつぶして『なかったことにする』にする人もいるから」
「いや、そんなことあり得ん…俺には理解できない…」
「いろいろな人がいるんだって。逆に過去の女すら絶対許さない人もいるよ。プレゼントとか全部捨てる人とか」
「なんで?」
「さあ?私なんか全然かまわないけどね。連絡とりたい人とはドンドン連絡とればいいんじゃない?向こうが何て言うかは知らないけど(笑)
だいたい私は元カノに贈った歌を使いまわしされても怒らなかったしね。むしろ一曲で二人を喜ばせるのは効率的と思ったわ(笑)」
「まあ、オマエはそうかもしれないけど」
「でも『別れても好きな人』はわからない」
「別れても好きな人。それは当たり前じゃないか。別れても好きなんだよ」
「いやいやそれはない。京唄子がうたってたよ。『別れたら次の人』これはすごくわかる!!」
「…………(ーー;)」

私はつくづくこの人が「覚醒者」じゃなくてよかったと思った。
逆だったら相当に面倒くさかったかも。
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ネットにまつわるあれこれ29

2019-04-04 | ネットにまつわるあれこれ
仮に賛否が同じだけあっても、賛同より否定、批判が強く書かれるのがネットである。
好きなものをわざわざイエスとは書かなくても、嫌いなものにはノーと書くものと思う。

それから、「面倒くさいから放とけ」「無視しよう」「くだらなすぎてどうでもいい」「相手にしてない」「関わりたくない」という声がある。
それらも、「放といて関わらないから」ネットに上がっていないだけである。
ネットに載ってないからといって「無い」のではない。
むしろわざわざ声を上げる方がマイノリティーなのかもしれない。

偏った書き込みばかりを見る時、ネットには全ての声が載っているわけじゃないことを、つくづく思う。
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自分次第を考える6

2019-04-04 | 日記
夫が布のスーツケースに荷物を詰めながら「こんなの海外だったらナイフで一発で切られるけどね」と笑っていた。
そう。鍵をかけていようと、欲しいものはナイフで切ってでも奪う人たちがいるので、海外ならジュラルミン製でないと危険である。

そういう日本も物騒で、近所のある一帯が軒並み「空き巣」にやられている。
ママ友が「たまたまウチだけ遭ってないんだけどね。でも気をつけなくちゃ」と、リビングは暗くなると自動的に電気がつくものに取り換えたと言っていた。

「やめてほしいもの」ってなくならない。
喧嘩したって責めたって、弾圧したって無くならない。
そんなエネルギーがあるなら自分がかわせるようになればいいんだなあということは、経験してやっと理解できたことである。

そんなことも以前書いたら
「このブログは『気にしない、気にしない』これしか言えないのか!!最低最悪の糞ブログだな」
という投稿を頂いたことがあった。
他にも延々連投されたが、気分が悪くなったので承認せず削除した。
こういう人と正面から論争したところで何も変わらないからである。
言い合いしたところで、そんな意見がなくなるわけでも控えてもらえるわけでもなく、それも自由なんだろうから。

「気に入らないものは排除か?」という「それは魔に負てるんです」みたいな、棒読みのマニュアルは聞き飽きた。
そう脅せば承認されて、承認しないと私が「偏狭な人決定」という、アナタに都合よくはならないのである。

目の前に理不尽をドサッと渡されても、それは自分次第。
そんな強さをさらりと持つ人につくづく憧れたりもする。
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